3月7日より、岐阜県土岐市で核の実験 

私はテレビとかほとんど見ないので知らなかったんですが
3月7日から岐阜県土岐市の核融合科学研究所で重水素実験が行われるそうですね。

いくつか動画を貼っておきます。









動画はいずれもお借りしたものです。動画主さん、ありがとうございました。

核融合科学研究所の実験に対する説明は次のとおりです。

核融合科学研究所は、1月17日に重水素実験の開始を発表したところですが、複数の方から類似の問い合わせをいただいております。皆様のご心配を少しでも取り除くため、代表的な回答をこちらにお示ししますので、ご覧いただけると幸いです。

  1. 核融合科学研究所は、将来のエネルギー源として期待される核融合発電の早期実現を目指し、プラズマの学術研究を行っている大学共同利用機関です。
  2. 重水素実験は、核融合反応を起こすことを目的とした研究ではありません。
  3. 3月7日から開始する重水素実験で使用する、重水素ガスは自然界にも存在し、無害です。
  4. 重水素実験で発生する微量の三重水素(トリチウム)は河川には流しません。ちなみに、宇宙線の影響で、自然界においても水1リットルあたり0.5から1ベクレル程度のトリチウムが存在します。
  5. 重水素実験で発生する中性子は、コンクリートの壁で遮蔽します。コンクリートの壁を交換することはありません。

以上のように、重水素実験は、周辺環境に影響を与えません。
放射線量などの周辺環境を監視し、ホームページ上で速報値を公表します。

http://www.nifs.ac.jp/info170215.html より引用




[2017/03/07 00:32] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)

五箇山 相倉 菅沼集落 『ここにもあった!お小夜伝説』 


富山県南砺市 五箇山 相倉 菅沼集落
2017年2月下旬 撮影

 
五箇山 菅沼集落3

五箇山 菅沼


二度目の訪問です。一度目の記事はこちらです→白川郷・五箇山 合掌造り集落 『流刑地だった五箇山 と ささら踊り』 

あちこち旅をしていると(いうほどあちこちへは行ってませんが~)今回の旅が以前の異なる場所への旅とつながることがあって
感動してしまうことがあります。

今回の旅も、思いがけず、大阪市十三(じゅうそう)の旅、石川県輪島の旅と繋がるドキドキワクワクの旅でした。

①お小夜節

五箇山民謡にお小夜節があります。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

名をつけようなら お小夜につきゃれ
お小夜きりょうよし 声もよし 声もよし 声もよし

峠細道 涙で越えて
今は小原で 侘び住まい 侘び住まい 侘び住まい

心細いよ 籠乗り渡り
五箇の淋しさ 身にしみる 身にしみる 身にしみる

庄の流れに 月夜の河鹿(かじか)
二人逢う瀬の 女郎が池 女郎が池 女郎が池

輪島出てから ことしで四年
もとの輪島へ 帰りたい 帰りたい 帰りたい


元禄3年「加賀騒動」の首謀者・高崎半九郎ら4人と遊女20人が輪島(石川県)に流刑となりました。
しかし遊女のひとりのお小夜は輪島出身だったため、五箇山小原に流罪となりました。
お小夜は流刑小屋ではなく、庄屋に預けられ、村人たちのアイドル的存在として愛されました。
お小夜は、吉間という村の青年と恋に落ち、吉間の子を身ごもりました。
お小夜は罪人の身で妊娠してしまったことを恥じ、庄川に入水自殺しました。


今回、行くことができなかったんですが、小原地区にお小夜塚があるそうです。

また五箇村田向に流刑小屋が復元されています。
雪深い山村である五箇村は古より流刑地とされていたのです。

五箇山 田向 流刑小屋 

五箇山 田向 流刑小屋



②石川県輪島のお小夜伝説


この伝説を聞いた私はテンションあがりまくり、心臓バクバク状態にーーーー!

だって、石川県輪島にお小夜伝説があるんですよ!

猟師の重蔵が水死し、恋人のお小夜は悲しむあまり、海に入って死んでしまいました。
琴が浜を歩くときゅっきゅっと音がするのはお小夜の泣き声だといわれています。


五箇山に流罪になった遊女のお小夜とは、輪島名舟の伝説に登場するお小夜のことでは?
五箇山に流罪になったお小夜の出身地は輪島だといいますし。
 
五箇山 菅沼集落2

五箇山 菅沼

③お小夜は女神だった。

石川県輪島市河井町に重蔵神社があります。
お小夜の恋人の重蔵とは重蔵神社の神だと考えられます。

重蔵神社 キリコ

重蔵神社 夏祭

重蔵神社には次のような伝説が伝わっています。

8月23日の晩、舳倉島の女神が松明の明かりを目指してやってきて、輪島の男神が結ばれ、産屋に見立てたお仮屋で新しい神様が産まれる。

輪島の男神とは重蔵のことだと思います。
するとお小夜とは舳倉島の女神のことだということになります。

五箇山の伝説に登場するお小夜も舳倉島の女神なのではないでしょうか。

五箇山 菅沼集落 
五箇山 菅沼

④重蔵は水死体だった?

大阪に十三(じゅうそう)という地名があります。
十三という変わった地名の由来にはいくつかの説がありますが、その中に次のような説があります。
a.重蔵という男の名前が転じた。
b.中津の富島の富(とみ)を十三(とみ)と表記した。

なにわ淀川花火大会

大阪 十三付近

私はこのabどちらの説も十三という地名に関係があると思います。

富島のトミはトミヒコからくると思います。
トミヒコとは記紀に登場する人物で、別名をナガスネヒコともいいます。
トミヒコは、日向より神武が東征して畿内入りする以前より現在の大阪付近に住んでいたとされます

トミヒコはニギハヤヒという神を奉じていたのですが、トミヒコは神武に服したニギハヤヒによって殺されたと記紀には記されています。

記紀は為政者に都合よく書き換えられていると考えられます。
実際にはトミヒコは神武または神武の軍に殺されたのでしょう。

で、トミヒコが神として奉じていたニギハヤヒは物部氏の祖神とされます。
ここから、神武以前、畿内には物部王朝があったとする説があります。
トミヒコは物部王朝の王だったのではないでしょうか。

そしてトミヒコのトミは十三の漢字をあてることができ、さらに十三は「とさ」と読めます。
ドザエモンとはトミヒコの「トミ」に「十三」の漢字をあて、さらにそれを「どざ」と読んだところからくるのではないでしょうか。

成瀬川土左衛門という肥満の相撲取りが色白で水死体を思わせるところから、水死体のことを土左衛門といいうようになったと言われますが、語源由来辞典(http://gogen-allguide.com/to/dozaemon.html)にも、正確な語源は未詳と書いてあります。

さらに輪島市名舟の伝説では重蔵は水死したとあるところから、重蔵とはドザエモンだといえます。

トミヒコ→十三(トミ)→トサ→ドザエモン  ※青森県の十三湖にかつてあった十三湊は「トサミナト」と読みました。
トミヒコ→十三(トミ)→十三(じゅうさん)→十三(じゅうそう)→重蔵
∴トミヒコ=ドザエモン、重蔵=ドザエモン


とこうなると思うんですが、どうですか?

詳しくはこちらの記事をお読みください ↓

重蔵神社 夏祭 『重蔵神社はトミヒコ神社?』 
輪島ふらっと訪夢 御陣乗太鼓 『男幽霊(土左衛門)は重蔵だった?』  


五箇山 上梨 村上家住宅

五箇山 上梨 村上家住宅 茅葺屋根からものすごい蒸気が立ち上っていました。


⑤お小夜の恋人・吉間は土左衛門?


五箇村のお小夜伝説に登場するお小夜の恋人・吉間という名前も謎々ではないかと思うんです。
吉間の「吉」の士は土と書く場合もあり、吉は「さむらいよし」𠮷は「つちよし」と言います。
牛丼の𠮷野屋は「つちよし」ですね。

そこで、𠮷間とし、これを分解すると「土口日門」となります。
なんと「土左衛門」の「土」と「門」があります。

だけど、日と口を左衛と読む方法が見つからなかった~。

五箇村 相倉 

五箇山 相倉




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[2017/03/06 00:00] 岐阜県 富山県 | トラックバック(-) | コメント(-)

京都駅ビル 雛祭 イルミネーション 『菱餅の菱形は何を意味しているの?』 

京都市下京区 京都駅ビル
2016年3月初旬 撮影

 
 京都駅ビル 雛祭イルミネーション 雛人形 
何回もやりなおして作ったけど、いまいちだった~。

①菱餅

雛祭には菱餅を飾りますね。
菱餅と皆さんご存知のように、赤・白・緑の三色の菱形をしたお餅のことですね。

赤いお餅はクチナシの実で色を付け桃の花を、白いお餅には菱の実を入れ残雪を、緑の草餅はヨモギをいれ若草を表すと言われます。

京都駅ビル 雛祭イルミネーション 菱餅カラー 

②菱餅の形は何をあらわしているの?

菱形の形はなにをあらわしているのかについては諸説あります。

a.菱の実を食べて1000年の生きた仙人の話にちなむ
b 小笠原氏の家紋・三階菱
c 大地をあらわす
d 心臓の形

③菱ってどんな植物?

トウビシの実はとげが2本あります。
またオニビシヒメビシにはとげが四本あります。

武田菱など、菱紋の名前の由来については、葉の形からくるとも、実の形からくるともいわれています。

④菱は角をあらわす?

漢和辞典をひいてみると「夌は音を表し、角のある意からきている」とあります。
菱の実には鋭い角があり、図形の菱形にも鋭角の角があります。
おそらく角のあるものを菱と言っていたのではないでしょうか。

 京都駅ビル 雛祭イルミネーション 桃

⑤鉱物にも角がある

鉱山で採取する鉱物にも角があります。
自然金黄銅鉱

⑥菱は鉱物をあらわす?

日本地質学会員の藤井光男氏さんは、桐生市菱地域は古代鉄生産の里であったとしておられます。

鉱物は植物や動物と違って、腐ることがありません。
古の人にとって腐ることのない鉱物は不老不死を象徴するものだったのではないでしょうか。
そして植物の菱は角があるところから鉱物に喩えられ、そのため菱は不老長寿のシンボルとされたのではないでしょうか。

⑦菱餅は女性器をあらわす?


菱餅は女性器を表すという説もありますね。
で、甘酒は精液だとかなんとか(笑)

これはもうそのとおりだと思いますね。
いろんな伝統行事や道祖神(神像のほか、男性器・女性器を象った石なども道祖神と呼ばれています。)なんかを見ていると、昔の日本人って性に対してオープンだったんだなあ~、と思いますもん。

古代には歌垣といってフリーセックスの習慣もあり、高橋虫麻呂という人がこんな歌を詠んでいます。

率(あども)ひて 未通女壮士(おとめおとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ刊歌(かがい)に 人妻に 吾(あ)も交はらむ 吾が妻に 人
も言問(ことと)へ
(誘いあって若い男女が集まる刊
歌で、ぼく、人妻を抱いちゃおう~。君もぼくの奥さん抱いていいよん♪)

また、京都の江文神社には大原雑魚寝という習慣がありました。
もちろん現在はそういう習慣は廃れましたが、与謝蕪村(1716-1784)が大原雑魚寝の歌を詠んでいるところから察するに、少なくとも江戸時代まではこの習慣があったと考えられると思います。
 
性に対して閉鎖的になったのは最近のことなのではないでしょうか?

⑧貝も女性器をあらわしている?


また雛祭には蛤のお吸い物を食べる習慣がありますが、貝というのも女性器を比喩したものだと思います。

道祖神は、日本ではサルタヒコとアメノウズメの男女双体の神とされていますが
「サルタヒコは貝に手を挟まれて溺れて死んだ」と記紀には記されています。
これは、サルタヒコがアメノウズメの性的魅力に溺れて死んだということを比喩的に表現したものだと思います。

道祖神は手をつなぎあう男女の神像で表されることがありますが
これは手をつなぎあっているのではなくて、サルタヒコがアメノウズメに手を押さえつけられているの図なのだと思います。

多気山不動尊 道祖神

多気山不動尊 道祖神

⑧昔の日本人が性に対してオープンであったことを示す写真 いろいろ


飛鳥坐神社 おんだ祭 狂言

飛鳥坐神社 おんだ祭の夫婦和合の狂言

飛鳥坐神社 むすひの神石

飛鳥坐神社 むすびの神石

 飛鳥 勧請綱 雌綱 田植

奈良県明日香村 勧請縄 雌綱(女性器をかたどったもの)
 
飛鳥 勧請綱 雄綱

 奈良県明日香村 勧請縄 雄綱 (男性器を象ったもの)

マラ石 
奈良県明日香村 マラ石

信楽駅の狸

信楽焼の狸


川治温泉 おなで石 

川治温泉 おなで石(おなで石は祠の中の石ではなく、祠の手前にある四角い石)





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[2017/03/05 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

滝宮天満宮 梅 『菅原道真は本当に雨乞いを行ったのか?』 

香川県綾歌郡 滝宮天満宮
撮影 2015年3月上旬

滝宮天満宮 梅

①菅原道真は怨霊だった。

滝宮天満宮の御祭神はもちろん菅原道真です。

藤原時平の讒言によって大宰府に流罪となり、数年後に大宰府で死亡。
その後、都では疫病が流行して醍醐天皇の皇太子が次々に亡くなったり、清涼殿に落雷があって道真左遷に関わった人が大勢亡くなるなどしました。
その結果、道真は怨霊であると畏れられ、道真の怨霊を鎮めるために各地に道真を祀る天満宮が作られました。

天満宮というのは菅原道真を神として祀る神社です。学問の神として今でも厚く信仰されていますね。

さきほど、「道真は怨霊として畏れられた」と書きました。
怨霊がなぜ神として祀られているのかについて、簡単に説明しておきましょう。

かつて、怨霊と神は同義語であったといいます。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、このような人々は死後怨霊となって天災や疫病の流行をひきおこすと考えられていました。
そこで、怨霊が祟らないように神として祀るということが行われました。
菅原道真のほか、藤原広嗣・井上内親王・早良親王なども怨霊として畏れられ神として祀られています。

滝宮天満宮 梅3

②菅原道真は讃岐に左遷されていた?


ここ滝宮天満宮は、かつて讃岐国国司の官舎があった場所とされています。
菅原道真は886年、41歳のとき、讃岐守となりこの地で過ごしています。
そういった関係で、道真の死後、この地に滝宮天満宮が作られたのでしょう。

讃岐はかつては流刑地で、保元の乱で敗れた崇徳天皇が流された土地でもありました。
讃岐守という役職はいわゆる左遷だったのではないかと思ったりします。

その後、宇多天皇が藤原基経を関白に命じた際、藤原基経はその詔勅の文章に難癖をつけてごね、政務を放棄するという実にくだらない事件がおきています。(阿衡事件)
参照/https://kotobank.jp/word/%E9%98%BF%E8%A1%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6-24919

そのごねた藤原基経をなだめて事件を解決したのが菅原道真でした。
阿衡事件解決後、道真は讃岐より帰郷しています。

この事件の解決によって菅原道真は宇多天皇より厚い信頼を得ることができ、結果、左遷がとかれて京に呼び戻されたということではないかと思ったりします。

①でお話ししたように、最後は大宰府に左遷されたまま道真は生涯を終えてしまうわけですが。

滝宮天満宮 梅4

③滝宮の念仏踊


境内にはこんな ↓ 額が飾ってありました。

滝宮天満宮-滝宮念仏踊の額

滝宮の念仏踊をえがいたものです。

滝宮の念仏踊りは、8月25日に滝宮神社と滝宮天満宮で行われています。
見たことはないのですが~。



動画、お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

道真が讃岐守であったとき雨不足で大飢饉となり、道真が断食をして7日7夜神に祈ったところ雨が降り人々が喜び躍ったのが起源とされます。
その後、この土地にやってきた法然が振付をして念仏を唱えながら踊るようになったといいます。

滝宮天満宮 梅2

④菅原道真は雨乞いをしていない?

でも私は菅原道真は実際には雨乞いの祈祷をしていないと思います。
そうではなく、滝宮の念仏踊そのものが雨乞いの踊りなのだと思います。

京都隋心院で、雨乞いの踊を見たことがありますが、滝宮念仏踊はこれによく似ていました。
滝宮念仏踊は各地に伝わる念仏踊のルーツとされているので、雨乞いの踊りが滝宮念仏踊りに似ている、といったほうがいいかもしれませんが。

 
髄心院 出雲風流花踊 

髄心院 出雲風流花踊


⑤菅原道真は雨を降らせる神だった。


滝宮の念仏踊の起源説話に菅原道真が登場するのは、菅原道真が雨を降らせる神であるとして信仰されたためではないかと思ったりします。

北野天満宮絵巻などには、菅原道真は雷神として描かれています。
①で清涼殿に落雷があったと書きましたが、清涼殿の落雷は菅原道真の怨霊が雷神となってひきおこしたものだと考えられたのでしょう。

雷は雨を伴います。

滝宮の人々が雷神・菅原道真に「どうぞ雨を降らせてください」と雨乞いの踊りをしたのが始まりではないでしょうか。
すると、滝宮念仏踊が始まった時期も、道真の死後だということになると思います。

⑥古の日本人は神の世界と現実の世界を描き分けなかった?

ですが、滝宮念仏踊の起源説話は嘘っぱちだ、なんていうつもりはありません。
古の日本人は神の世界と現実の世界を明確に描き分けないという習性があったのではないでしょうか。

また、想像の世界と現実の世界を描き分けないという習性もあったと思います。

今でも同じようなことはあります。

例えば、故人Aとの思い出の土地を散策している人が、故人Aと散策しているようなつもりになって
「私はAと街を散策した」などと言うことがあります。

滝宮天満宮 梅と念仏踊


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[2017/03/03 00:00] 香川県 | トラックバック(-) | コメント(-)

2016年 3月の風景と祭 まとめ 


いなべ 農業公園  梅 『二つの名前を持つ山』 

いなべ 梅林公園 

いなべ農業公園

常法寺

常法寺


淡路島の春景色 『淡路島は流刑地だった?』 

淡路島 八木のしだれ梅 

淡路島 八木のしだれ梅

慶野松原 夕日 
慶野松原 夕日

淡路花桟敷 菜の花 
淡路花桟敷 菜の花


下鴨神社 ひな流し 『お雛様は卑弥呼、お内裏様は?』 

下鴨神社 ひな流し

下鴨神社 ひな流し 舞妓


智積院 梅 『家康はなぜ玄宥に土地を与えたのか』 

智積院 梅


東寺 河津桜&夜景 京都駅ビル・イルミネーション 『空海はキリスト教徒だった?』 

東寺 河津桜

東寺 五重塔 ライトアップ


宝山寺 般若窟柴燈大護摩供 『生駒山は聖天さんの聖地だった?』 

宝山寺 柴燈護摩供


二月堂 お水取り 紫木蓮 『生身の観音とは?』 

二月堂 修二会 お松明

二月堂 裏参道 紫木蓮


京都御苑 梅 猿が辻 護王神社 『方角と干支』 

京都御苑 梅 夕景


長徳寺 おかめ桜 『晒し首と茶の湯』 

長徳寺 おかめ桜2


車折神社 桜 大酒神社 木漏れ日 『八つ裂きの刑神社と極刑神社?』 ※追記あり 

車折神社 寒緋桜


大雲院 東山花灯路 『織田家と牛頭天皇』 

大雲院 ライトアップ


秋篠寺 木蓮 『伎芸天は迦楼羅だった?』 

秋篠寺 木蓮3


龍野 ひなまつり 『氷や刀に変身する手』 

龍野 ひなまつり 人形浄瑠璃


海龍王寺 雪柳 『光明皇后と阿倍仲麻呂のスキャンダル?』 

海龍王寺 雪柳2


本満寺 しだれ桜 『七面大明神は北斗七星の神?』 

本満寺 しだれ桜4



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[2017/03/01 00:00] まとめ | トラックバック(-) | コメント(-)

雨晴海岸より立山連峰を望む  


富山県高岡市 雨晴海岸
2017年2月下旬 撮影


富山駅でポスターを見て、どうしても行きたくなって行ってしまった雨晴海岸

 雨晴海岸より立山連峰を望む

向かって右が義経岩、その左に小さく見えているのが男岩、中央近くに見えているのが女岩
遠くに見えている雪をかぶった山は立山連峰


①義経岩

1187年、源義経は奥州平泉に向かう途中、この海岸を通りました。
そのとき雨が降り、弁慶が岩をもちあげ、その岩の下で雨宿りしたという伝説が残されています。

写真ではちょっとわかりにくいのですが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yoshitsuneiwa.jpg
↑ 上記リンク先を見ると、義経岩は下部に穴があいているみたいですね。
その穴が雨宿りにちょうどよさそうだということで、このような伝説が作られたのでしょう。

そしてこの伝説が雨晴海岸という地名の由来とされます。

男岩 女岩 
 男岩 女岩

②男岩 女岩


雨晴海岸には男岩・女岩と呼ばれる岩もあります。




東に男岩の表記があります。
そして地図をクリックすると、左上の表記が消えてzの形をした島が見えますが、その南にあるのが女岩です。


雨晴海岸 男岩 
男岩

③男は晴、女は雨

さきほど、弁慶が岩をもちあげてその下で源義経が雨宿りしたという伝説が、雨晴海岸という地名の由来であると考えられていると書きました。

でも、私は男岩=晴、女岩=雨、ということで雨晴海岸という地名になったのではないかと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD#.E9.99.B0.E9.99.BD.E6.80.A7.E8.B3.AA.E8.A1.A8
↑ 上記ウィキペディアの陰陽性質表をみると、陰陽道では晴と男はともに陽、雨と女はともに陰となっています。
湿度湿潤乾燥
性別女性男性
天体太陽
天気
南北
東西西

④北西が女岩、南東が男岩

また、東西では西が陰・東が陽、南北では北が陰・南が陽となっています。

それで北西にある岩を女岩、南東にある岩を男岩としたのではないでしょうか。

富山の農村 
雨晴海岸から五箇山へ向かう途中、車の中から撮影した富山の農村 ↑↓

富山の農村2 



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[2017/02/28 06:00] 岐阜県 富山県 | トラックバック(-) | コメント(-)

貴船神社 雪 ライトアップ 『貴船神社は紀船神社だった?』 


京都市左京区  貴船神社
2015年2月初旬 撮影



貴船神社では以前、1月と2月の雪が積もった日にライトアップしていました。
残念ながら今は行っていないと聞きました。

①船形石

貴船神社から貴船川をさらに上流に向かって歩いていくと貴船神社の奥の院があり、境内には船形石という石があります。
(奥の院のライトアップはしていません。)

この船形石には次のような伝説があります。

反正天皇の時代、黄色い船にのり、黄色い服を着た神が難波の津に降りたち、次のように言いました。
『私は皇母玉依姫(神武天皇の母)である。私の船が止まるところに祠を作るように』 と。
船は蜑女崎(尼崎)、菟道川、鴨川を経て鞍馬川と貴船川の合流点に達し、貴船川を遡り、霊境吹井のある場所に鎮座しました。
これが黄船の宮となったと伝わり、奥の院にある船形石はその船が人目を忌んで石に包まれたものです。

貴船神社 天津磐境 雪

 ②上賀茂神社の第2摂社

京都の貴船神社は平安時代に上賀茂神社の第2摂社となっています。

上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷大神の母神は玉依姫で、下鴨神社に祀られています。
そして貴船神社奥の院にある船形石が玉依姫の乗った船であるという伝説があるので、
貴船神社は上賀茂神社と関係がある神社だということで、上賀茂神社の摂社とされたのではないでしょうか。

貴船神社 雪4

③貴船神社は紀氏の神?


ところが兵庫県尼崎市の長洲貴布禰神社には次のように伝わっています。

平安京遷都の際、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が「任務が無事遂行できますように」と自身の守り神に祈願したところ、事がうまく運び、そのお礼にこの社を建てました。

「紀氏が自身の守り神に祈願した」ということは貴船神社の神は紀氏の神だということでしょう。
また紀氏の本拠地・紀州は森林資源に恵まれており、紀氏はその森林資源を生かした造船技術に長けていたといわれます。

貴船神社はもともとは紀氏の氏神を祀る神社なのではないでしょうか?

貴船神社 雪2 
④玉依姫は紀氏の神?


ホツマツタエという書物では、紀氏の祖神はソサノオであるとしています。
紀伊半島の南部を昔ソサといい、ソサで生まれたのでソサノオと名付けられたというのです。

そして玉依姫は海神の娘とされていますが、海神とスサノオは同一神とみなされることが多いです。
というのはスサノオは父のイザナギに「大海原をおさめよ」と命じられているからです。
大海原をおさめる神は海神である、ということですね。

とすれば、海神=スサノオ(ソサノオ)の娘・玉依姫は紀氏の神だということになります。

 ⑤ホツマツタエ

ホツマツタエは後世の偽書、いわゆる古史古伝のひとつだとされ、信憑性にかけるとされています。
しかし古事記や日本書紀などの正史は為政者の都合のいいように書き換えられているという指摘もあります。

貴船神社 雪 


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[2017/02/27 11:18] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)

飛鳥 八釣 蝋梅 『明石に身を隠した兄弟』 

 
奈良県明日香村八釣
2015年2月中旬 撮影


八釣 ろうばい 

八釣 ろうばい

①明石に身を隠していた兄弟


昔、昔の話です。

雄略天皇が従兄弟の市辺押磐皇子を殺してしまったので、市辺押磐皇子の二人の息子、億計王と弘計王は播磨国明石に身をひそめ、牛馬の飼育をして生活していました。

雄略天皇が崩御したのち雄略天皇の子の清寧天皇が即位しましたが、清寧天皇には子供がありませんでした。
そのことで悩んでいたところ、億計王と弘計王が発見されたという報告がありました。
清寧天皇は兄弟を宮中に迎え入れ、億計王を皇太子に、弘計王を皇子としました。

清寧天皇が崩御すると億計王と弘計王は皇位継承を譲り合い、弘計王が顕宗天皇として即位し、兄の億計が皇太子となりました。
3年後に顕宗天皇は崩御し、億計が即位して仁賢天皇となりました。

明石海峡大橋 
明石海峡大橋

②顕宗天皇


この顕宗天皇の近飛鳥八釣宮があったのが、この明日香村八釣のあたりだといわれています。
(近飛鳥八釣宮は大阪府羽曳野市飛鳥という説もあります。)

もっとも顕宗天皇の実在性は疑問視されていますが~。
よくある貴種流離譚であり、あまりにドラマチックな話で実話とは思えないというのです。
確かにそのとおりかもしれません。

八釣 夕日 

2009年5月初旬撮影

③億計王と弘計王は二上山を擬人化したものだった?


八釣の里の高台に登ると二上山が見えます。
ふたつの頂のある二上山は兄弟のようで、億計王と弘計王を思い起させます。

八釣―二上山を結ぶ直線を延長するとちょっとずれますが、明石付近を通ります。
赤い印が二上山、神戸の西に明石の表記がありますね。
八釣は赤印の東南に橿原の文字が見えますが、その橿原の東南あたりです。



赤印(二上山)の東に堺の文字がありますね。
あんまりいい写真じゃないけど、↓ こちらは堺市庁舎展望ロビーより明石海峡大橋を撮影したものです。

堺市庁舎展望ロビーより明石海峡を望む 

二上山の頂上からも明石海峡が見えるそうです。

二上山は八釣から近いですが、雨の日などには見えなくなることもあります。

もしかして、億計王と弘計王の物語はこの二上山を兄弟に見立てて創作した物語だったりして?

明石海峡大橋 ライトアップ 
明石海峡大橋


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[2017/02/25 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)

上賀茂神社 雪と幸在祭 『幸在祭は鎮花祭?』 


京都市帰宅 上賀茂神社
幸在(サンヤレ)祭・・・2月24日

上賀茂神社 幸在祭

①幸在祭

上賀茂地域では15歳になった男子を「あがり」といいます。
あがりになった男子は2月10日ごろより、毎晩鉦太鼓に合わせて町を練り歩く習慣があったそうです。
現在では2月24日の日中に町を練り歩き、山の神、太田神社、上賀茂神社に参拝しているようです。
  
「あがり」になった少年は大島紬の羽織を着て太鼓を打ち鳴らしながら練り歩きます。
写真向かって左の3人の少年が「あがり」です。
まだ「あがり」に達しない13歳未満の子供たちも鉦や太鼓を持って行列に加わります。

上賀茂神社 幸在祭2

②やすらい祭

私はこの行列を見て、玄武神社や今宮神社で4月8日に行われている「やすらい祭」を思い出しました。
  
玄武神社 やすらい祭

玄武神社 やすらい祭

衣装などはずいぶん異なりますが、幸在祭の行列と同じく鉦や太鼓を持っていますね。

昔の人々は疫病神は桜の花びらにのって散り広がると考えていました。
そこで奈良の大神神社で鎮花祭を行うようになりました。
やすらい祭りはこの鎮花祭と念仏踊りが結びついたものと考えられています。

念仏踊りとは鉦や太鼓を打ち鳴らしながら踊るもののことをいいます。

赤いかつらをかぶった人は鬼と呼ばれていますが、鬼たちは神社の境内や氏子さんの家の門前で念仏踊りをします。

上賀茂神社 幸在祭3

③艮=鬼=童子


艮(丑寅)は方角では東北で、鬼の出入りする方角とされています。
また八卦では艮の符は童子とされます。

艮=鬼=童子 

となり、やすらい祭の鬼と、幸在祭の「あがり」より年齢が下の子供は同様のものとみなすことができます。
こう考えると、やすらい祭と幸在祭はますます似ているように感じられます。

上賀茂神社 幸在祭4

④幸在(サンヤレ)祭とサンヤレ踊り


上賀茂神社の幸在祭は鎮花祭と関係があるのかもしれません。
というのは、滋賀県草津市では5月に各地でサンヤレ踊りが行われているのですが、サンヤレ踊とは疫病神を追い払うために鉦・太鼓・笛で囃して疫病神を追い祓う踊りとされているからです。



動画お借りしました。動画主さんありがとうございます!

2月にはまだ桜は咲きません。
梅の花が咲き始めるころなので、上賀茂神社の幸在祭は梅の花を鎮める行事と成人式が合わさった行事なのかも?

上賀茂神社 幸在祭5 

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[2017/02/24 00:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)

上賀茂神社 燃灯祭 『小松と玉箒草は夫婦和合を意味している?』 


京都市北区 上賀茂神社
燃灯祭(乙子神事)・・・2月の2番目の子の日(2017年は2月18日)


① 燃灯祭

上賀茂神社 燃灯祭2
 
狩衣姿の斎員さんたちが行列を作って御阿礼野(みあれの)へと向かいます。
一般の参拝者も自由に参列できるということなので、私も行列の後ろについていきました。
このごろ伝統行事に関心を持つ人が増えたのか、結構たくさんの人が見学に訪れていましたよ。

御阿礼野は上賀茂神社の境内の裏手にあります。
途中ゴルフ場の中を横ぎるのには面食らいましたが~。
ゴルフプレー中の方々は御阿礼野へ向かう人々が行き過ぎるまで待ってくださいました。(ありがとうございます!)

上賀茂神社 燃灯祭 
御阿礼野に到着して一礼。

上賀茂神社 燃灯祭3 
斎員さんたちは、小松を引きます。

上賀茂神社 燃灯祭4 
小松を引いたのち、境内に戻り、土舎(つちのや)に向かいます。

上賀茂神社 燃灯祭5 

ちょっとわかりにくいですが、斎員さんたちは小松に玉箒草(燃灯草)を添えて紙に包んでいます。

②多紫草から田村草になった?

玉箒草(燃灯草)はアザミに似た紅紫色の花を8月から10月ごろに咲かせます。
玉箒草というのは古名で、現在は田村草と呼ばれています。

田村草の写真はこちら→ http://www.hana300.com/tamura.html

古名の玉箒は、花後に多数の実がつく様子が箒(ほうき)に似ているところからくるのではないか、そしてそれが転訛して田村草になったのではないかといわれています。
また、その花が美しい紫色なので、多くの紫色の花をつける草、多紫草から田村草になったのだという説もあります。

③恋する女は紫色に染まる

万葉集に次のような歌があります。

紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰
(海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)


紫色に布を染めるためには、椿の灰を媒染剤としました。
紫とは道で出会った女、灰汁は男のことで、男と目があったとたん、女がぱっと美しく瞳を輝かせた、というような意味でしょうか。

こんな歌もあります。

紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも.
( 紫草の紫色のように美しいあなたのことを憎いと思っているとしたら、どうして私はあなたのことがこんなに恋しいのでしょうか。あなたは人妻だというのに)


大海人皇子(のちの天武天皇)が額田王に贈った有名な歌ですね。

この2首を鑑賞すると、恋する女が美しく瞳を輝かせるようすを『紫』といっているように思えるのです。

④松=待つ=弥勒菩薩?

京都・太秦にある広隆寺の弥勒菩薩像は赤松で作られていますが、赤松で造られた仏像は広隆寺の弥勒菩薩像だけです。

File:Maitreya Koryuji.JPG

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMaitreya_Koryuji.JPG よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘 上野直昭 English: OGAWA SEIYOU and UENO NAOAKI [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


弥勒菩薩は56億7000万年後に現れるとされる未来仏です。
弥勒菩薩は56億7000万年の間、復活を待っている仏だともいえるでしょう。
広隆寺の弥勒菩薩が赤松で作られているのは、『松』が『待つ』に通じるからではないでしょうか。

⑤聖徳太子は弥勒菩薩の化身?

広隆寺の弥勒菩薩は聖徳太子が秦河勝に与えたものだという伝説があります。
この伝説は、聖徳太子が弥勒菩薩の化身であると考えられていたことを示すものだと私は思います。

⑥聖徳太子は怨霊である


そして梅原武氏は『聖徳太子は怨霊である』とおっしゃっています。

怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、死後このような人は怨霊となって祟り、天災や疫病の流行を引き起こすと考えられていました。

聖徳太子自身は不幸な死を迎えたように思えませんが、彼の子孫は蘇我入鹿に攻められて全員法隆寺で首をくくって自害しています。

法隆寺 夕景 

法隆寺

聖徳太子等身大の像と伝わる法隆寺の救世観音像の頭には直接釘で光背が取り付けられています。
光背は足元に棒をたてて、その棒にとりつけるのが普通で、法隆寺像は極めて異常な像形なのです。
そこで梅原氏は『法隆寺の救世観音は聖徳太子の怨霊封じ込めの像』であると説かれました。

怨霊=聖徳太子=弥勒菩薩=待つ=松
となり、松は怨霊を表すものだと考えられるのではないでしょうか。

⑥御霊・和霊・荒霊と男神・女神

神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊に分けられるといいます。

御魂・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面


そして和霊は女神、荒霊は男神だとする説があります。
とすれば御霊は男女双体ということになると思います。

御魂・・・神の本質・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神


詳しくはこちらの記事をお読みください。→飛鳥 勧請綱と田植え 『道祖神と大聖歓喜天は習合されている?』

⑦男女和合は怨霊を守護神にする呪術?

大聖歓喜天という仏教の神は象頭の男女双体のおすがたをしています。



大聖歓喜天は祟りをもたらす鬼王ビナヤキャが、十一面観音の化身であるビナヤキャ女神を抱くことによって仏法守護の神となったものです。

そして、ウィキペディアの祟り神の項目には次のように記されています。
「祟り神は、荒御霊であり畏怖され忌避されるものであるが、手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々である。(上記サイトより引用)

祟り神は怨霊といってもいいでしょうが、この祟り神(怨霊・荒霊)を守護神にするための呪術が、男女和合なのではないかと思います。

⑧小松は男(荒霊)、玉箒草は女(和霊)をあらわしている?

燃灯祭では小松を男神=荒魂=祟り神、玉箒草を女神=和魂と見立て、男女和合(小松と玉箒草をセットにする)させることで、祟り神(小松)を守護神にするという意味合いを持っているのではないでしょうか。

とすると小松は男(荒霊)、玉箒草は女(和霊)を表しているのではないでしょうか。

多気山不動尊 道祖神

多気山不動尊 道祖神

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[2017/02/23 00:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)