滋賀県大津市 延暦寺
2017年11月5日 撮影
延暦寺 鐘楼①なすび婆延暦寺には『なすび婆』の伝説が伝えられています。
昔宮中に仕えていた女が人を殺して地獄に堕ちました。
しかし仏の慈悲によって心は比叡山に住むことが許されました。
織田信長の比叡山焼き討ちのとき、なすび婆は大講堂鐘楼の鐘をついて人々にこれを知らせました。
延暦寺 東塔 阿弥陀堂 101②一富士・二鷹・三茄子の謎玉雲宮 百日紅 『一富士・二鷹・三茄子の謎、そして殺生石はなぜ高田の地に飛散したのか』 ↑ こちらの記事に次のようなことを書きました。
い.初夢で見ると縁起がいいとされるものとして、一富士・二鷹・三茄子という。
ろ.私は、一富士・二鷹・三茄子とは鉱山または鉱物の隠語ではないかと考えている。
は.栃木県那須町の近くには足尾銅山がある。愛媛県新居浜市のなすび平の近くには銅山川が流れ、別子銅山がある。
銅は茄子色をしている。そして茄子が鈴なりになっている状態を坑道に見立てたのではないか。
に.鷹は鷹の爪ではないか。
鷹の爪の赤い色は辰砂(丹/水銀)を、また鷹の爪の実が鈴なりになるようすを坑道に見立てたのではないか。
ほ.富士は不死の意味で、輝きを失わない金を意味しているのではないか。
富士はまた藤をも意味し、藤の花が房になって咲くようすが坑道に喩えられたのではないか。
延暦寺 東塔 弥陀堂前の鐘楼③信仰心からくる言葉の表現日本語では、信仰心から事実とは異なる表現を用いることがあります。
事実とは違うことを言うのは嘘ですが、嘘ともいいきれないような『言い回し』なんですね~。
たとえば日本語では「亡き父が見守ってくれたおかげで事業がうまくいった」のように言うことがありますね。
実際には事業がうまくいったのは自分や社員が努力した結果だといえるのですが、こういう言葉を聞いて「嘘つき」と思う人はいないはずです。
この人にとっては亡き父親は神様のように自分を見守ってくれる存在なのです。
また、この人にとって「亡き父が見守ってくれたおかげ」というのは嘘ではないのです。
「亡き父がいつも見守ってくれている」と信じているのですから。
織田信長の比叡山焼き討ちのとき、なすび婆は大講堂鐘楼の鐘をついて人々にこれを知らせました。というのも、これと同様の表現ではないかと思います。
元三大師堂
④「なすび婆」とは大講堂鐘楼の愛称だった?「なすび婆」とは大講堂鐘楼そのものの愛称であるように思えます。
鐘は銅でできています。
「銅=なすび」なので、「なすび婆」というわけです。
そして「なすび婆」は単なる鐘という存在を超え、神として信仰されていたのではないでしょうか。
比叡山焼き討ちのとき、誰かがこの大講堂鐘楼の鐘をついて人々に危険を知らせたのかもしれません。
ところが実際にはそうでも、人々はなすび婆(大講堂鐘楼)を神のように信仰していたため、なすび婆(大講堂鐘楼)が自ら鐘を鳴らしたという表現を用いたのではないでしょうか?
比叡山より京都方面を望む
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[2017/11/06 19:22]
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