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枚方宿 ふとん太鼓 『伊香色女は卑弥呼、伊香色男は卑弥呼の男弟のイメージで創作された?』 

大阪府枚方市 枚方宿
2017年10月8日 撮影


枚方 ふとん太鼓2 
①枚方宿


江戸時代、江戸の日本橋から三条大橋にいたる東海道に設置された53の宿場を東海道五十三次といいます。
その後1619年に東海道の延長線の、摂津国高麗橋にいたる京街道(大坂街道)に四つの宿場が設置されました。
東海道五十三次に四つの宿場を足して、東海道五十七次と呼ばれました。

その東海道五十七次の56番目の宿が枚方宿です。

意賀美神社-ふとん太鼓 
今も江戸時代の面影を残す枚方宿の町並に、「べーらべーら べらさっさ」というお囃子が聴こえてきましたよ。

意賀美(おがみ)神社の氏子さんたちがふとん太鼓を担いでやってきました!



②伊香色男・伊香色女の邸宅内にあった意賀美神社

現在の意賀美神社は万年寺山にありますが、もともとは現在地より100mほど南にあった伊香色男・伊香色女の邸宅内にあったとされます。
そして万年寺山には須賀神社があったそうです。
須賀神社は流行していた疫病退散祈願を目的として872年に創建されたとされます。
御祭神は牛頭天皇でした。

須賀神社のある万年寺山には万年寺というお寺があったそうです。
江戸時代まで神仏は習合して信仰されており、神宮寺(神社に付属した寺)が建てられることがありました。
万年寺は須賀神社の神宮寺だったのかもしれません。
しかし明治3年、万年寺は廃寺となりました。

また岡村に日吉大社があり、明治42年〈1909年)、須賀神社と日吉大社は意賀美神社に合祀されました。
そしてその翌年、意賀美神社は万年寺山に遷座したということです。

意賀美神社 
意賀美神社 春に撮影したものです。

③意賀美は龗?それとも伊香?

意賀美神社の主祭神は高龗神(たかおかみのかみ)という水神です。
意賀美神社の近くには淀川が流れているので、水神を祀っているのでしょうか。
また意賀美神社という神社名はこの高龗神の「おかみ」からとったのかもしれませんね。

あるいは意賀美神社の「意賀美」は「いがみ」と読むことができ、もともと意賀美神社があったのは伊香色男・伊香色女の邸宅なので、伊香から意賀美神社となったのかもしれません。
(伊香色男は伊香色雄命でイカガシコオ、伊香色女は伊香色謎命でイカガシコメと読むのだと思います。まちがってたら教えて!)

枚方 ふとん太鼓 
③ニギハヤヒの子孫と欠史八代の一・開化天皇

ウィキペディア「意賀美神社(枚方)」によると、伊香色男は開化天皇の時代の人で、ニギハヤヒの5世の子孫で物部氏の遠祖とあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%B3%80%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82)#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

またウィキペディア「伊香色謎命」には、孝元天皇の妃、開化天皇の皇后、父は大綜麻杵命で、母は高屋阿波良姫、同母兄に伊香色雄命がいると書いてあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%A6%99%E8%89%B2%E8%AC%8E%E5%91%BD

まず孝元天皇の妃となり、孝元天皇が亡くなった後、開化天皇の皇后となっていますね。
開化天皇の父親は孝元天皇、母親は伊香色謎命の叔母の欝色謎命です。
つまり、元ダンナと叔母の間に生まれた子と再婚したというわけで、いまでは考えられないような結婚です。
ですが、古には血の純潔を守るため、近親婚は当たり前だったとする説もあります。

それよりも興味深いと思うのは、伊香色女(伊香色謎命)・伊香色男(伊香色謎命)姉弟がニギハヤヒの子孫だということ、
そして開化天皇が欠史八代といって、実在しなかったのではないかと考えられている八代の天皇の一人だということです。

枚方 ふとん太鼓2 
④欠史八代

欠史八代とは第2代綏靖天皇から第9代開化天皇の8代の天皇のことを言います。
なぜこの8代の天皇が実在しなかったと考えられているのかといえば、
これらの天皇にはほとんど事跡らしいものが記されていないこと、
第10代崇神天皇の和風諡号が初代神武天皇と同じ「ハツクニシラス」であるため、同一人物ではないかと考えられていることなどがあげられます。


枚方 ふとん太鼓3 
⑤初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があった?

記紀によるとニギハヤヒは初代神武天皇より早く畿内に天下っていたとあります。

またニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコは、神武にこんなことを言っています。
「昔、天つ神の子・ニギハヤヒが天の磐船に乗って降臨した。天つ神の子がどうして二人いるのか。」
これを聞いた神武は自分が天つ神の子であることを証明するため、天の羽羽矢と歩靱を見せました。

ニギハヤヒは天孫(天照大神の子孫)だったんですね。
ニギハヤヒが天の磐船に乗って降臨したとされるところには磐船神社(大阪府交野市)がありますが、「天孫降臨の地」と書いたのぼりが建てられていましたね。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 御神体 天磐船

ついでに言っておきますと、意賀美神社のある大阪府枚方市と、磐船神社のある大阪府交野市は隣接しており、古には交野ケ原と呼ばれたところです。
このあたりは肩野物部氏の本拠地だったところとされています。
それで物部氏の神を祀る神社が多いのでしょう。

⑥物部氏の血の濃い天皇

初代神武天皇と10代崇神天皇が同一人物だとすると、9代開化天皇は実在していなかった可能性があります。

そこで、③ニギハヤヒの子孫と欠史八代の一・開化天皇 のところで書いたことを思い出してほしいのです。

開化天皇の母親は伊香色謎命の叔母の欝色謎命で、皇后は伊香色謎命でしたね。

欝色謎命は物部氏の女性なので、開化天皇の母親は物部氏なのです。

そして開化天皇と伊香色謎命の間に生まれたのが、初代神武と同一人物とも考えられている10代崇神天皇で、崇神天皇の母親と祖母は物部氏だということになります。

崇神天皇は物部氏の血の濃い天皇だといえるでしょう。
ただし、父系の先祖はずべて天皇家で、母系が物部氏です。
 
枚方 ふとん太鼓

⑦入り婿王朝

10代崇神天皇の和風諡号ハミマキイリヒコイニエで、11代垂仁天皇の和風諡号はイクメイリヒコイサチといいます。
どちらも諡号に「イリ」とあるところから「イリ王朝」と呼ばれています。

この「イリ王朝」の「イリ」とは「入り婿」のことではないかとする説があります。

そういえば、記紀神話には入り婿になる話が多いですね。
ニニギは葦原中国に天下って葦原中国のオオヤマツミの娘・コノハナサクヤヒメと結婚していますし
ニニギの子のホオリ(山幸彦)は龍宮にいき、竜宮の王・ワダツミの娘のトヨタマヒメと結婚しています。

すると、伊香色女と伊香色男は物部王朝の皇女・皇子をモデルとして創作された人物なのかな、と考えたりもします。


枚方 ふとん太鼓


⑧伊香色女は卑弥呼で、伊香色男は卑弥呼の男弟のイメージ?

私は邪馬台国とは物部王朝のことであり、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命、卑弥呼の男弟は倭大国魂神=大物主神のことではないかと考えています。
その理由については説明すると長くなるので、こちらの記事を読んでください。↓
崇神天皇陵 夕日 『卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命、男弟は大物主、狗奴国の男王は崇神天皇?』 

姉・伊香色女は卑弥呼のイメージで、伊香色男は卑弥呼の男弟のイメージで創作されたのかも?

枚方 ふとん太鼓


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[2017/10/11 15:06] 大阪の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)