大阪市住吉区 住吉大社
2017年10月4日 撮影
ちょっと早めに行ったら能を見る事ができました。ラッキー♪
①和歌三神反橋の上で和歌・俳句の入選作品を朗詠したあと、住吉踊・舞楽の奉納がありました。
ここ住吉大社は海の神様として信仰されていますが、和歌の神様でもあるのです。
柿本人麻呂・玉津島姫・住吉明神の三神は和歌三神といい、和歌を守護する神として古くから信仰されてきたのですね~。
②和歌三神は怨霊だった?古には神と怨霊は同義語であったなどといわれます。
陰陽道では荒ぶる怨霊は慰霊すればご利益を与えて下さる神に転じると考えるそうです。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、疫病の流行や天災は怨霊のしわざだと考えられていたのです。
住吉踊そして僧正遍照・在原業平・文屋泰秀・喜撰法師・大友黒主・小野小町のことを六歌仙といいますが、高田祟史さんは「六歌仙とは怨霊である」とおっしゃっています。
その理由は、この6人はいずれも藤原氏と敵対関係にあった人物だと考えられるからです。
詳しいことはコチラの記事を読んでくださいませ~。→
松尾寺 百合 『七福神の正体は六歌仙+惟喬親王だった?』 六歌仙が怨霊ならば、和歌三神も怨霊なのではないでしょうか?
③「小野小町は衣通姫の流なり」とは「小野小町は美人」という意味ではない?古今和歌集仮名序には「小野小町は衣通姫の流なり」と記されています。
この衣通姫と和歌三神の一、玉津島姫は同一視されています。
和歌山県和歌の浦に玉津島神社がありますが、ここの御祭神は稚日女命・息長足姫命(神功皇后)・衣通姫命なんですね。
玉津島姫とは、稚日女命・息長足姫命(神功皇后)・衣通姫命の総称ではないかと思えます。

そしてこの「衣通姫の流」である小野小町が、高田祟史さんがおっしゃるように怨霊であるとすれば、
衣通姫=玉津島=小野小町=怨霊となり、玉津島姫は怨霊なのではないかと思えます。
衣通姫はたいへんな美人であったと記紀には記されています。
それで「衣通姫の流」とは「美人」ということで、「衣通姫の流」である小野小町は美人、と一般的には解釈されています。
ですが、それは間違いだと思います。
「小野小町は衣通姫の流なり」とは、「小野小町は衣通姫と同じ怨霊である」という意味ではないかと思います。
④柿本人麻呂水死説次に、和歌三神の柿本人麻呂について見てみましょう。
梅原猛さんが著書「皆底の歌」の中で、「柿本人麻呂は刑死させられた。柿本人麻呂は水死させられた。」という説を説いておられます。
柿本人麻呂像はお雛様のように首が抜けるようになっているそうです。
梅原猛さんは、「これは柿本人麻呂が怨霊であるので、像より魂を抜く呪術的なしかけではないか」というようなことを書いておられました。

なるほど、柿本人麻呂は刑死させられたのかもしれません。
ただ、水死ではないと思います。
梅原猛さんが柿本人麻呂が水死したとされるのは、柿本人麻呂の妻が次のような歌を詠んでいるためです。
今日今日と 吾(あ)が待つ君は 石川の 貝に交りて ありといはずやも
(今日か、今日かと私が帰りを待っているあなたは、石川の貝に交ざってしまったというではありませんか。
柿本人麻呂が貝に交ざって死んだということは、水死したということだ、というのです。
gifアニメにすると画質が悪くなちゃいますね。何かいい方法ない?⑤柿本人麻呂は遊女ととエッチして死んじゃった?これに対して私はこう考えます。
万葉集には石川女郎という歌人がいて、たいてい男と色恋の歌を贈答しあっています。
一般には古代豪族の石川氏出身の女性だと考えられていますが、江戸時代の国学者の橘守部は「石川とは遊女のことではないか」としておっしゃっています。
私は橘守部の説を支持しますね~。
そして柿本人麻呂の妻が歌に詠んだ「石川の貝に交じりて」の「貝」とは女性器の喩えではないでしょうか。
えっ?柿本人麻呂は石川という遊女ととエッチして死んじゃった?
いえいえ、そういう意味ではないんです。
これを理解するためには聖天さんの伝説を知らねばいけません。
⑥聖天さんと道祖神は習合されている?聖天さんとは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身であるビナヤキャ女神の男女双体のみほとけで、ビナヤキャ女神が鬼王ビナヤキャの足を踏みつけるお姿をされています。
鬼王ビナヤキャは疫病をもたらしたり人に祟る神でした。
そこで十一面観音がビナヤキャ女神に姿をかえ、その性的魅力で、鬼王ビナヤキャの祟神としての力を押さえつけているの図なのだと思います。
動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます!道祖神はこの聖天さんと習合されていると思います。
道祖神はもともとは中国の道教の神ですが、日本ではサルタヒコとアメノウズメの男女双体の神とされています。
ただし、ビナヤキャ女神は鬼王ビナヤキャの足を踏みつけていますが、サルタヒコとアメノウズメは手をつなぎあっています。
でもこれ、手をつなぎあっているんじゃなくて、アメノウズメがサルタヒコの手をつかんで押さえつけているの図だと思います。
というのは、古事記にこんな記述があるんです。
a.ニニギはアメノウズメに「サルタヒコを故郷の伊勢に送り、彼の名を伝えて仕え祀れ」といった。
b.サルタヒコは比羅夫貝に手をはさまれて死んだ。
aについて、ニニギはアメノウズメに「サルタヒコに性的に仕えよ」と言ったのだと思います。
bについては、貝は女性器の喩えで、サルタヒコはアメノウズメの女性器に手を挟まれて死んだ、ということだと思います。
サルタヒコはアメノウズメとエッチして死んだとまあそういうことだと思います。
つまり道祖神とはアメノウズメがその性的魅力でサルタヒコの祟る力を抑えこんでいる、そういう神だと思います。
聖天さんは女神が男神の足を踏みつけているのに対し、道祖神は女神が男神の手を押さえつけているというわけです。
柿本人麻呂が「石川の貝に交ざって死んだ」というのも、女神の性的魅力によって人麻呂の祟る力が抑えられ、道祖神のように男女双体の神になったというような意味ではないでしょうか。
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[2017/10/06 13:57]
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