亀岡市 犬甘野
2015年9月初旬 撮影
①犬甘野は犬飼野がなまったもの?犬甘野(いぬかんの)って変わった地名ですねえ~。
犬飼野がなまったものだと言われています。
犬甘野の近くには犬飼という地名もありますね。
②警備用の犬を飼っていた犬飼部犬飼、犬養(いぬかい)という地名は各地にあります。
似たような地名で、鳥飼・鵜飼・馬飼などの地名もあり、これらは大和朝廷が飼っている動物の世話役が住んでいた場所を示すものと考えられています。
犬はペットとしてではなく、警備を目的に飼われていたとされます。番犬のようなものですね。
六世紀ごろ、朝廷は皇室領地の屯倉の警備を目的とし、諸国に犬飼部を置きました。
奈良時代のはじめごろに廃止となるのですが~。
すると犬飼とは大和朝廷が飼っていた犬の世話役が住んでいたところ?
犬甘野は犬を飼っていた野原という意味でしょうか?
③犬の鳴き声をまねて警備をしていた隼人
犬は警護用に飼われていたといいますが、かつて隼人たちは犬の鳴き声をまねて朝廷の警護を行っていたとされます。
隼人とは昔、九州に住んでいた民で、朝廷に従わず、度々反乱をおこしていました。
そこで、朝廷は隼人たちを畿内に強制移住させていたのです。
畿内に移住させられた隼人たちは、隼人司に属しました。
朝廷の警護のほかには祭祀・相撲・竹細工の製作などを行っていたそうです。
大隅隼人が住んだという現在の京田辺市には『大住』の地名が残っています。
④犬飼・犬甘野は隼人が住んでいたところ?http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/4b0d2d016e2fdfcd3e28bc3f0c559a4a↑ こちらのブログに興味深い内容が記されていました。
「康富記」は室町時代の外記局官人だった中原康富が記した日記です。
その「康富記」丹州佐伯庄、丹州佐伯隼人保、桑田郡内佐伯庄大田杜、佐伯内隼人保氷所、丹州隼人保内松本下地、丹波大田隼人司領などを記しているということです。
丹州とは丹後(京都府北部)、丹波(京都府中央部と兵庫県東部)のことで、亀岡はかつて丹波国桑田郡と呼ばれていた地域でした。

そして次のように記されています。
「実際に隼人が居住していたのは、丹波国佐伯郷で現在の亀岡市稗田野町太田、佐伯から曽我部町穴太(あのう)、犬養あたりとしている。」http://blog.goo.ne.jp/highdyaki/e/4b0d2d016e2fdfcd3e28bc3f0c559a4a より引用
https://map.goo.ne.jp/list/address/26206/↑ こちらのサイトに亀岡市の地名が列挙されています。
亀岡市曽我部犬飼と言う地名はありますが、犬養という地名はありません。
「犬養」とあるのは旧地名で、現在は「犬飼」に変わったんじゃないでしょうか?
すると、犬飼は隼人が住んでいた場所、犬飼野が転じたという犬天野も隼人に関係する地名ではないかと思ったりします。
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[2017/09/19 17:10]
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