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正定院 鶏頭 『賽の河原に立つ寺?』 

京都市左京区 正定院(しょうじょういん)
2017年9月初旬 撮影


正定院 鶏頭2 

正定院

①正定院は萩の寺?


鮮やな赤紫色の花に誘われて正定院を参拝しました。
おそらく、鶏頭の一種だと思います。

でも、ネットでぐぐると正定院は萩の寺であるとでてきます。
萩野花は気がつきませんでした。もしかしたら奥まったところにあったのかもしれません。

正定院の近くにある常林寺では萩の花がほぼ満開となっていましたが。

常林寺 萩

常林寺 萩

②砂川の三軒寺




上の地図を見ると長徳寺・常林寺・正定院の3つの寺は並んで建っていますね。
いずれも浄土宗のお寺で、「砂川の三軒寺」と呼ばれています。

長徳寺は春のおかめ桜で有名なお寺です。

長徳寺 おかめ桜3

春の長徳寺 地蔵堂

ぐぐってみると、この長徳寺も萩の寺だと出るのですが、萩らしい植物はわかりませんでした。
門より中に入ると萩が確認できたかもしれませんが、立ち入り禁止となっていていました。

それはともかく、「砂川の三軒寺」と呼ばれているのは、かつて三軒の寺の後を砂川という小川が流れていたためです。

③砂川三軒寺の三地蔵

長徳寺の門前には地蔵堂があり「北向地蔵尊」が安置されています。

長徳寺 おかめ桜

長徳寺 地蔵堂

百済国王の守本尊で飛鳥時代、舒明天皇(在位629-641)のころ、日本に伝わったといわれています。
宮中に安置されていましたが、823年に西寺の守敏(しゅびん)に下賜されたといいます。
その後、どのような経緯を経て長徳寺にやってきたんでしょうかね?

また常林寺にも地蔵堂があり、世継子育地蔵尊が安置されています。

常林寺 地蔵堂 萩

常林寺 地蔵堂

常林寺は1573年に創建されたお寺で、1671年に現在地に移転してきたということです。
常林寺の世継子育地蔵尊は常林寺が移転してくる以前よりここにあったとされます。

さらに正定院にも「ちご地蔵尊」と呼ばれるお地蔵さまがありました。
境内に置かれていた石仏の地蔵尊は新しいもののようでしたが、本堂などに古い「ちご地蔵尊」があるのかもしれません。

正定院 ちご地蔵尊 

正定寺 ちご地蔵尊


どうやら「砂川の三軒寺」は地蔵信仰の厚い寺であったようです。

③砂川は賽の河原になぞらえられていた?

古の人々は平安京をこの世、平安京の外をあの世に喩えていたと聞いたことがあります。
また京都の西院(さいん)という地名は、音が賽の河原の賽に通じるので賽の河原に喩えられていたともいいます。

高山寺 石仏

賽の河原に喩えられた西院の 高山寺にも地蔵菩薩が祀られていました。


現在砂川はないので、どのような川だったのかわかりませんが
砂川という名前からは、砂の河原がある川というイメージが思い浮かびます。

賽の河原で、幼くして亡くなった子供たちが親のために石を積むと言う話がありますね。

日本には先祖の供養は子孫が行うべきという考え方がありました。
井沢元彦さんはこんなことをおっしゃっていたと思います。
「聖徳太子の子孫は全員斑鳩寺で首をくくって自殺したので、聖徳太子の霊を供養する人がいなくなっていまった。
それで聖徳太子は怨霊になったのではないか」と。

幼くして親より早く亡くなってしまった子供の霊は、親を供養するための供養塔を作ろうとしているんですよね。

ところが鬼がやってきて石を積んで作った塔を壊してしまいます。
そこへ地蔵菩薩がやってきて、子供たちを救ってくれると言われています。

鬼来迎 子供の亡者を救う地蔵菩薩 
子供の亡者を鬼から救う地蔵菩薩 広済寺 鬼来迎


「砂川の三軒寺」の背後を流れていた砂川は賽の河原に喩えられていたのではないでしょうか。
それで「砂川の三軒寺」では地蔵菩薩をお祀りしているのではないかと思ったりします。

正定院 襖絵の石碑 

正定院


正定院 鶏頭 
正法院


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[2017/09/12 23:23] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)