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成就院 古代蓮の里 『仏教はなぜ不可触民を観音菩薩にしたの?』 

埼玉県行田市 成就院 古代蓮の里
2017年7月初旬 撮影

成就院 三重塔

①葉衣観音

成就院の三重塔は一辺2.24m、高さは10m。
とても小さくてかわいい塔です。

塔には葉衣(ようえ)観音がお祭りされています。
この葉衣観音は忍城(おしじょう)城主の阿部忠秋の帰依仏だったと伝わっています。

葉衣観音の葉衣とは「パラーシャ樹の葉をまとうシャバラ族の女性」を意味します。

パラーシャは花没薬樹(ハナモツヤクノキ)のことだと思います。
http://tplant.web.fc2.com/3mame_hanamotu.html

古代蓮の里 蓮 
成就院の近くには『古代蓮の里』があります

②シャバラ族は不可触民だった


そのパラーシャをまとう女性なので、シャバラ族はさぞかし神聖視された民族だったかのようですが、そうではないのです。

ヒンズー教では、人々をバラモン(司祭)・クシャトリヤ(王族・武人)・ヴァイシャ(庶民)・シュードラ(隷属民)の四つに分類していました。
これをヴァルナ制度といいます。
そして共同体の単位のことをジャーティといい、ヴァルナ制度とジャーティを併せてカースト制(ヴァルナ・ジャーティ制)と言っています。
さらにこのカースト制の枠外に属する人がおり、不可触民と呼ばれ、差別されていました。

古代蓮の里 蓮2 

古代蓮の里

③ヒンズー教において否定的な意味を持つものを仏教がとりいれた?

この差別されていた不可触民のシャバラ族の女性が観音様だというのですから、びっくりですが
これについて次のように記されたサイトがありました。

「仏教ではヒンドゥー正統派やそれを取り巻く社会において否定的な意味をもつものを取り入れ,それに肯定的な意味を新たに付与することがしばしば見られ」

http://nbra.jp/publications/68/pdf/68_20.pdf より引用

④聖木・パラーシャ

①で葉衣観音の葉衣とは「パラーシャ樹の葉をまとうシャバラ族の女性」の意味であること、パラーシャとは花没薬樹(ハナモツヤクノキ)のことであることをお話ししました。

パラーシャ(ハナモツヤクノキ)はヒンズー教では聖僕とされているそうです。
この樹は3出複葉なのですが
http://www.asahi-net.or.jp/~zh7k-knk/study/leaf/fukuyou.html(単葉・複葉についてはこちらの記事がわかりやすいです。)
ヒンズー教では左の小葉をブラフマー(創造神)、中央をビシュヌ(世界維持神)、右をヘーシュバラ(破壊と再生の神シバ)とみなすとのことです。

仏教は不可触民・シャバラ族に、ヒンズー教の聖なる樹・パラーシャの葉をまとわせることで、神聖化して仏教の中にとりこもうとしたのでしょうか?

そういえば、インドの神・ビナヤキャも仏教にとりこまれ、ビナヤキャ女神と抱きあう男女双体の神=仏法守護の神=大聖歓喜天として信仰されていますね。
このビナヤキャはもともとはマラケツレツ王といい、人肉を食らう恐ろしい魔物だったのです。
マラケツレツ王に対して人々が挙兵したところ、マラケツレツ王はビナヤキャとなって飛び去り、祟りで疫病を流行らせたという伝説があります。



 動画お借りしました。ありがとうございます。

⑤仏教はヒンズー教に対抗する力をつけるため、あえてヒンズー教の嫌う神を仏教にとりこんだ?

「ヒンドゥー正統派が否定的対象として蔑視し,嫌悪し,また恐れるものを敢えて取り込むことにより,ヒンドゥーとの違いを際立たせ,かつヒンドゥー側に衝撃を与えてそれに対抗する力をつけるという,したたかな意図があったように思える。」

http://nbra.jp/publications/68/pdf/68_20.pdf より引用

↑ この方がおっしゃるように、仏教に異教の神をとりいれた人はヒンズー教に対抗しようという、したたかな意図があったのでしょうか?

私はもしかしたら、それは違うかも?と思います。(すいません~)

古代蓮の里 睡蓮

古代蓮の里に咲いていたオニバス。
大きな葉っぱの中から花がにょきっと突き出ていました。

古代蓮の里 オニバス

⑤日本の仏教は怨霊を鎮魂する宗教だった。

日本の仏教は怨霊を鎮魂するための宗教だったといえるかもしれません。

怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことをいい、このような怨霊を慰霊して神として祀ったケースがたくさんあります。

井上内親王・惟喬親王・藤原純友・平将門などなど。

中でも有名なのが菅原道真ですね。
道真は藤原時平の讒言によって大宰府に流罪とされ、失意のうちになくなりました。
その後、天変地異や疫病の流行などが次々とおこり、これらは菅原道真の怨霊のしわざと考えられたのです。
そして道真を慰霊するために、各地に道真を祀る天満宮がつくられました。

さらに、日本では神仏は習合して信仰されていました。
そのベースとなったのが本地垂迹説という考え方です。
本地垂迹説とは、日本古来の神々(天照大神・菅原道真・井上内親王など)は仏教のみほとけが仮に衆上を救うために仮に姿を著したものであるとする考え方のことです。
そして日本古来の神々のことを権現、仏教のみほとけのことを本地仏といいました。

道真を祀る北野天満宮には神宮寺として東向観音寺があり、その門前には「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられています。
天満宮とは菅原道真のことで、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは「菅原道真のもともとの正体は十一面観音である」というような意味です。

東向観音寺 

東向観音寺


菅原道真は成仏した結果、十一面観音となったというわけです。

日本の仏教は怨霊を鎮魂し、成仏させるのが目的だったといえるのではないでしょうか。

⑥島国には古い形態が残りやすい

島国には古い形態が残りやすいと言われますね。
たとえば蹴鞠は中国で発生し日本に伝えられたものですが、現在では中国に蹴鞠の伝統は残っておらず、日本には残っています。

白峯神宮 蹴鞠  
白峯神宮 蹴鞠

案外、もともとの仏教とは日本の仏教のように怨霊を慰霊するものだったとは考えられないでしょうか。

ヒンズー教で嫌う神を仏教がとりこんだのは、それらの神々を慰霊し、成仏させるためだったのではないかとも考えられるのではないでしょうか。

成就院 
成就院



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[2017/07/16 15:52] 埼玉県 | トラックバック(-) | コメント(-)