京都市綾部市 東光院
2017年6月18日 撮影
①東光院由来
東光院には下の説明板があったのですが、意味がよくわからない~(汗)
673年、理趣仙人が鳳凰に乗って百済国に向かう途中、山谷より光明を放って光り輝いているのが見えました。
そこで仙人は山上に降りてみると、谷一面に茅が繁殖しており、そこで神童に会いました。
仙人は神童に礼拝しました。
次、「其の頌に曰く」とあります。
頌とは「ほめる」とか「たたえる」という意味ですね。
「神童が理趣仙人をほめて言った」という意味でしょうか?
その次、「桧木医薬師仏 一歩一見 諸群生 現世安穏得長寿 後生 無量寿仏国と」とは?
桧木 | ひのき |
医薬師仏 | 薬師如来は医薬の仏なので、薬師如来のこと? |
一歩一見 | あとの文章に刀々三礼と出てくるので、刀々三礼という意味でしょうか? 一刀三礼というのは、一彫りごとに三回礼拝して仏像をつくることを言いますが、刀々三礼も一刀三礼と同じような意味なんでしょうか? |
諸群生 | 一切衆生? |
現世安穏得長寿 | 現世は安穏とし、長寿を得る? |
後生 | あの世 |
無量寿仏国 | 無量寿仏は阿弥陀仏の別名なので、阿弥陀仏の国? |
つまり、神童が「一刀三礼し、桧で薬師如来を刻めば、衆生の現世は安穏としたものになり、長寿を得る。また死後は阿弥陀仏の国に行けるだろう」と言ったということでいいですか?
間違っていたら教えて下さいねーーー!(すいません!)
②法隆寺について
東光院には上のような説明版もありました。
法隆寺奈良法隆寺も東光院もどちらも薬師如来を本尊としている。
法隆寺の地名は斑鳩(いかるが)で東光院の地名は旧何鹿(いかるが)。
法隆寺には西院伽藍・東院伽藍があり、東光院には西の伽藍(東光院)と東の伽藍(旦寺)がある。
法隆寺近くには富雄川があり、東光院の境内には富緒川が流れている。
③日本では漢字の意味よりも音を重要視していた?日本では漢字の意味よりも音を重要視していたのか、同じものを異なる漢字であらわすことがよくあります。
たとえば、イザナギという神様の名前を、古事記は伊邪那岐命、日本書紀は伊弉諾神と書いています。
奈良東大寺に転害門がありますが、転害門は手貝門、天貝門、手蓋門などとも呼ばれ、転害門前のバス停は「手貝町」となっています。
④みずらを結った童子法隆寺は聖徳太子が建てたといわれ、夢殿の本尊・救世観音は聖徳太子等身大の像だと言い伝わっています。
また聖徳太子像はみづらを結った童子の姿であらわされることが多いです。
大聖将軍寺 神妙椋樹上の写真は大聖将軍寺(大阪府八尾市 )の神妙椋樹です。
聖徳太子は矢を射られそうになったとき、椋の樹の中に隠れたという伝説があり、それをあらわしたものですね。
山岸涼子先生の「日出づる処の天子」では聖徳太子が超能力を使って蘇我蝦夷とともに椋の樹の中に隠れるというシーンがありましたね。
椋の樹は中が空洞になりやすい性質があるのです。
昔の人はそういう椋の樹の性質をよく知っていて、聖徳太子が椋の樹の中に隠れたという話を脚色したのだと思います。
うむむ?
すると理趣仙人が出会った神童とは聖徳太子なのではないでしょうか?
※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
歴史ブログ・
旅 free style もよろしくお願いします~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

にほんブログ村
- 関連記事
-
[2017/06/20 18:55]
京都府 |
トラックバック(-) |
コメント(-)