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神泉苑 つつじ 『言霊信仰は呪術だった?』 

京都府中京区 神泉苑
2009年5月初旬 撮影

神泉苑 躑躅

①神泉苑は雨乞の地だった。

小野小町が神泉苑で雨乞いをしたという伝説があります。
小町の雨乞いは見事成功し、恵みの雨が降ったということです。

神泉苑で雨乞いをしたという伝説は小町以外にも、空海や静御前などにもあります。
空海は呪術で中国の善女龍王を勧請し、静御前は舞を舞うことで雨を降らせています。

下鴨神社 名月管絃祭 白拍子

下鴨神社 名月管弦祭 白拍子(静御前は白拍子でした。)

神泉苑は雨乞いをするのにふさわしい場所だと考えられていたんでしょうね。

②和歌を詠んで雨を降らせた小野小町

小野小町はどのような方法で雨を降らせたのでしょうか?
それは和歌を詠むことでした。

小町が次のような歌を詠んだところ、雨が降ったというんですね。

ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとては 又天が下とは
(道理であるなあ、この国を日本と呼ぶならば、日が照りもするだろう、しかしそうは言っても、又、天(雨)の下とも言うではないか。だから、雨を降らせてください。)


千早振る 神も見まさば 立ちさわぎ 天のと川の 樋口あけたべ
(神様、日照りを御覧になったなら、大急ぎで天の川の水門を開けて下さい。)



神泉苑 つつじ 

②言霊信仰とはプラス思考?

皆様、御存知のように日本には古くから言霊信仰がありました。
言霊信仰とは「口にした言葉は実現する力を持っている」とする考え方のことですね。

「口にした言葉は実現する力を持っている」とはどういうことでしょうか?

山岸凉子先生の漫画『テレプシコーラ』では鳥山先生が拓人に言霊信仰について教えるシーンがあります。

「いつもダメだ。できない。」と言っていると本当にできなくなる。意地でも「できる。」というべきだ。

鳥山先生は言霊信仰とはそういうものだと言うのです。
つまり、言霊信仰とはポジティブ・シンキングとか、プラス思考だというわけです。

私も言霊信仰とはそういうものだと長い間思っていました。

神泉苑 つつじ2

③言霊信仰は呪術だった?

ところが和歌について興味を持ち、調べていくうちに、言霊信仰とプラス思考は少し違うものなのではないかと思うようになりました。

言霊信仰とはプラス思考のことではなく、呪術だったのではないでしょうか?
つまり「雨が降る」と言葉にすれば本当に雨が降り、憎い相手に「死ね」といえば本当に死ぬ、みたいな。

神泉苑 つつじ

④掛詞(語呂合わせ)は呪術のテクニックだった?


だけど、あまりにストレートすぎるもの言いは、神様のお気に召さなかったようですね。
神様は掛詞、もののな、縁語などを巧みにつかった和歌がお好みだったみたいです。

神様「うーんとうなるようなオモシロイ和歌を詠まないと雨は降らせてやらないよーん」

小町「ぜったい神様をうならせてみせるわ!」

ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとては 又天が下とは
(道理であるなあ、この国を日本と呼ぶならば、日が照りもするだろう、しかしそうは言っても、又、天(雨)の下とも言うではないか。だから、雨を降らせてください。)


日本→日の本(元)→日が照る。
天下→天は「あめ」とも読む→「あめのした」→「雨の下」→雨が降る。

神様「うまい!座布団2枚!」

雨乞いのステージはまるで笑点のようです。

神泉苑 亀塚 鯉塚


小町「もういっちょ、いくわよ~!」

千早振る 神も見まさば 立ちさわぎ 天のと川の 樋口あけたべ
(神様、日照りを御覧になったなら、大急ぎで天の川の水門を開けて下さい。)


小町は『天の川』を語呂合わせで『雨の川』とし、天の川=雨の川の出口をあければ雨が降る、と洒落たわけですね。

神様「う~ん、うまい!座布団3枚!」

小町「座布団じゃなくて雨を降らせてよ!」

神様「わかった、わかった、雨降らせます~」

神泉苑祭 

神泉苑祭


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[2017/05/31 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)