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下鴨神社 流鏑馬 『下鴨神社の流鏑馬と端午の節句には関係がなかった~』※追記あり※タイトル変更しました。 

京都市左京区 下鴨神社
流鏑馬神事 5月3日

下鴨神社 流鏑馬-馬車

糺の森を馬車がゆっくりと進んでいきます。

下鴨神社 流鏑馬2

流鏑馬神事がはじまるよ!

 下鴨神社 流鏑馬 
①流鏑馬神事は端午の節句と関係がある?


下鴨神社の流鏑馬神事は葵祭の前儀として行われています。
でも、5月5日の端午の節句に近い5月3日に行われていることから、『端午の節句(5月5日)』とも関係が深そうに思えます。

下鴨神社 流鏑馬4


『端午の節句』は『菖蒲の節句』ともいいますね。
中国では菖蒲の刃が刀の形に似ていることなどから男子にとって縁起のいい植物だとされていました。
日本で『端午の節句』に菖蒲が使われ始めたのは奈良時代、聖武天皇のころからだとされます。
宮中では菖蒲を髪に飾った人々が天皇より薬玉を賜わる習慣があったようです。(葵祭では葵と桂の葉を髪に飾りますが)

で、鎌倉時代ごろより、菖蒲が尚武(武道・武勇を重んじること)に通じるということで、武士が『端午の節句』に流鏑馬を行うようになったとされます。

現在でも『端午の節句』のころに流鏑馬を行っている神社があります。(鹿島神社など)

下鴨神社 流鏑馬3

②薬狩

飛鳥時代にまで遡ると5月5日に宮廷行事として薬狩をする習慣がありました。
薬狩とは、女性は野に出て薬草を摘み、男性は鹿の袋角をとるものです。
鹿の袋角は鹿茸(ろくじょう)といい、不老長寿の妙薬とされているとのことです。

http://www.narayado.info/nara/kusurigari.html
上記リンク先に、古代の薬狩を再現した人形の写真が掲載されています。
それを見ると、男性の人形が弓で鹿を射ようとしています。
騎乗はしていませんが、弓を射るのは『端午の節句』の古くからの習慣だったといえるかも?

 下鴨神社 流鏑馬-平安装束2

 ↑ ↓ 平安装束を身に着けての流鏑馬

下鴨神社 流鏑馬-平安装束 
【追記】
葵祭の起源を調べたところ、次のようなことがわかりました。

567年、風水害によって五穀が実らなかったので、伊吉の若日子に占わせました。
占いの結果、風水害は賀茂の神々の祟りであるとされ、4月の吉日に祭礼を行いました。
午に鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実りました。

ここに「4月の吉日に祭礼を行った」とあります。
これは旧暦4月と言うことだと思います。
現在の葵祭は新暦5月に行われていますが、旧暦は新暦よりも約1か月遅れなので新暦を用いるようになった明治以降に祭礼日を新暦5月にしたのだと思います。

一方、端午の節句はもともと旧暦5月5日に行われていたもので、葵祭と端午の節句には関係はないということになりますね。
すいませんでした~。



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