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上賀茂神社 斎王桜 風流桜 『なぜ賀茂神社には斎王がおかれたの?』 

京都市北区 上賀茂神社
2017年㋃中旬 撮影


上賀茂神社 斎王桜 
上賀茂神社 斎王桜 向かって左手に小さく見えているのは風流桜

①斎王

上賀茂神社と下鴨神社をあわせて賀茂神社といいますが、賀茂神社には斎王が仕えていました。
上賀茂神社の斎王桜はその斎王から名前をとったのですね。

現在、賀茂神社に斎王はおらず、そのかわりに資産家の令嬢が斎王代に選ばれています。
葵祭など、賀茂神社の祭礼の際に登場しますね。

葵祭 斎王代列 斎王代 
葵祭 斎王代

斎王とは巫女のようなものですが、一般の神社の巫女を斎王とは言いません。
斎王というのは、賀茂神社と伊勢神宮に仕える巫女に限られ、未婚の内親王がこれを勤めました。
(伊勢神宮の斎王は斎宮、賀茂神社の斎王は斎院と呼んで区別することもありました。)

伊勢神宮に仕えた初代斎宮は10代崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命です。
豊鍬入姫命は父・崇神天皇に命じられ、それまで宮中で祀っていた天照大神を宮中の外の笠縫邑で祀りました。
笠縫邑の比定地はいくつか候補がありますが、奈良県桜井市の檜原神社(大神神社の摂社)が有力です。

大神神社 繞道祭 檜原神社にて 
檜原神社 繞道祭(にょうどうさい

その後、倭姫が2代目斎王となり、倭姫は天照大神を祀るのに適した場所を求めて各地を転々とし、最終的に伊勢の地におちつきました。

②賀茂氏の氏神になぜ天皇家の皇女が仕えるの?

なぜ、伊勢神宮と賀茂神社にのみ斎王(斎宮・斎院)がいるのでしょうか?
天皇家は天照大神の子孫とされているので、天照大神を祀る伊勢神宮が特別視されるのは当然といえば当然です。
でも、賀茂神社は賀茂氏の氏神を祀る神社やん?
その賀茂氏の神社になんで天皇家の皇女が仕えるんでしょう?

上賀茂神社 斎王桜2 

上賀茂神社 斎王桜

③賀茂建角身命=大物主命?

賀茂神社には次のような伝説が伝えられています。

ある日川から丹塗りの矢が流れてきました。
玉依姫がこれを持ち帰り、枕元に置いて寝るとやがて妊娠し、別雷命が生まれました。

丹塗りの矢に化けていたのが賀茂建角身命で、依姫命と賀茂建角身命は下鴨神社に、別雷命は上賀茂神社に祀られています。

下鴨神社 蹴鞠始め2 
下鴨神社 蹴鞠始め

これと全く同じ伝説が奈良の大神神社にも伝わっています。

大神神社の御祭神のる大物主命は丹塗りの矢に姿を変え、用を足しに川へやってきたセヤダタラヒメのほとを突きました。
セヤダタラヒメが矢を持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれ、ヒメタタライスズヒメ(イスケヨリヒメ)が生まれました。
ヒメタタライスズヒメは後に神武天皇の后となりました。

女性の名前はセヤダタタラヒメですが、大物主命の妻に活玉依比売(イクタマヨリヒメ)がいます。
セヤダタタラヒメ=活玉依比売=玉依姫で、賀茂神社の伝説に登場する賀茂建角身命とは大物主命のことではないかと思えます。

大神神社  

大神神社

④八咫烏は復活した太陽神?

八咫烏は賀茂建角身命の化身とされています。

八咫烏とは熊野で初代神武天皇を道案内したとされる3本脚の烏です。

初代神武天皇は日向に住んでいましたが、あまりに国の端であるということで東征し、畿内入りをめざしました。
しかし畿内にはすでにニギハヤヒという神が天下っており、ナガスネヒコという者がニギハヤヒを神と奉じていました。
神武天皇は河内国へ上陸し、ナガスネヒコの軍と戦いますが、敗れます。
そこで神武天皇はいったん南に迂回して紀州から上陸することにしました。
神武は熊野を北上しますが、この際、鴨建角身命が八咫烏となって現れ、神武天皇を道案内しました。
再び畿内入りした神武天皇はナガスネヒコと再決戦を迎えます。
このときナガスネヒコが神と奉じていたニギハヤヒは神武に服し、ニギハヤヒによってナガスネヒコは殺されたと記紀には記されています。


咫は大きさを示す単位で、八は一般には大きな数字を表すと考えられています。
八咫烏とは大きな烏という意味だとされています。

しかし梅原武さんは「八は復活する数字」だとし、「八角墳は死者の復活を願って作った古墳、八角堂は死者の復活を祈って作ったお堂のことではないか」とおっしゃっています。

朝鮮半島や中国では八咫烏は太陽の中に描かれることが多いです。
八咫烏とは復活した太陽神なのではないでしょうか?

三輪山 日の出 
大神神社の御神体 三輪山の日の出

⑤猿田彦と八咫烏は同一神?

神武天皇を道案内したのは八咫烏ですが、神武の先祖にあたるニニギという神が高天原から葦原中国へ天下る際、猿田彦という神が道案内しています。

猿田彦は天狗の姿をしています。
そしてニニギを道案内した神なので、祭りの行列では先導役とされることが多いです。

杭全神社 夏祭 猿田彦 

杭全神社(大阪市平野区)平野夏祭 猿田彦神

猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」だと記述があります。
これにぴったりな神名を持つ神がいます。
天照国照彦火明櫛玉饒速日命です。
天は高天原、国は葦原中國のことなので、「天照国照彦」とはまさしく「高天原から葦原中国までを照らす神」という意味になります。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命という神名は先代旧事本紀の記述で、古事記や日本書紀では単に饒速日命(ニギハヤヒ)となっています。
この天照国照彦火明櫛玉饒速日命は男神で、本当の天照大神ではないかという説があります。
天岩戸にこもった天照大神はアメノウズメのストリップダンスに興味をもって天岩戸から出てきますが、女神のストリップダンスに興味を持つのは男神だ、というのです。

さらに天照国照彦火明櫛玉饒速日命は物部氏の祖神とされているので、初代神武以前に物部王朝があったとする説もあります。

猿田彦と八咫烏はどちらも天孫の道案内をしているところから、同一神ではないかと私は考えます。

⑥賀茂氏とニギハヤヒ

賀茂氏はスサノオの11世の孫・大賀茂積命を祖とする氏族で、もともとは出雲国に住んでいました。
また、ニギハヤヒの後裔で、物部氏・穂積氏と同祖とされます。

賀茂氏がニギハヤヒの後裔ということは、ますます賀茂建角身命とニギハヤヒの関係の深さがうかがえますね。
賀茂建角身命は復活した太陽神・天照国照彦火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)であり、八咫烏であるということではないでしょうか。

それで天照大神を祀る伊勢神宮と同様、賀茂神社にも斎王をおいているのではないかと思います。

⑦天皇家の祖神・天照大神はなぜ女神なのか。

そして天皇家は女神である天照大神の子孫とされます。
ですが、④で述べたように天照大神は物部王朝の神だと考えられます。

天照大神は物部王朝の神である。
そこに日本の太陽神(天照大神)が世界的に見ても珍しく女神であることの理由があると私は考えています。

④で述べたように初代神武天皇は日向から畿内へやってきますが、このときすでに物部王朝があったようです。
おそらく神武は物部王朝に婿入りし、そうすることで政権を物部氏から奪ったのではないでしょうか。

神武の先祖のニニギは葦原中国に天下って葦原中国のオオヤマツミの娘と結婚しています。
やはりニニギの先祖である山幸彦も竜宮へ行って海神の娘と結婚しています。
神武の先祖に婿入りした話が多いのは、神武が婿入りしたという史実を神話の世界に投影したためではないでしょうか。

また③で述べたように神武の皇后は大物主命の娘ヒメタタライスズヒメです。
ヒメタタライスズヒメの父親・大物主命は倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)ともいい
ニギハヤヒの別名・天照国照彦火明櫛玉饒速日命と櫛と魂(玉)が同じなので、大物主命とニギハヤヒは同一神とする説もあります。

天照大神は物部氏の神であり、大和の人々は天照大神を厚く信仰していたのでしょう。
また天照大神の子孫が国をおさめるべきだと考えられていたのだと思います。
そこで神武は物部王朝に婿入りし、天照大神を女神とすることで、自分の子孫を天照大神の子孫と名乗らせたのではないでしょうか。

上賀茂神社 風流桜 
上賀茂神社 風流桜



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[2017/04/23 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)