京都市北区 地蔵院 (椿寺)
京都市上京区 千本釈迦堂(大報恩寺)
2017年4月上旬(地蔵院)2016年4月上旬(千本釈迦堂)撮影
地蔵院 五色八重散椿①鍬で傷つけられたお地蔵さま地蔵院のお地蔵さまにはこんな伝説があります。
あるとき干ばつがあり、納屋の庄兵衛は紙谷川の水を独り占めして自分の田に入れ、他の人の田には水を入れさせませんでした。
そこへお坊様があらわれ、庄兵衛に「他の人の田にも水をあげなさい。」とおっしゃいました。
庄兵衛は「このクソ坊主めが!」といって鍬でお坊様の顔を殴りました。
お坊様の顔からは血が流れましたが、黙って立ち去りました。
庄兵衛が後をつけるとお坊さまは椿寺に入っていきました。
椿寺の地蔵堂の扉があいていたので庄兵衛は中に入ってみるとお地蔵さまが血を流しておられました。
このことがあって以来、庄兵衛は水を独り占めすることをしなくなりました。この伝説からこのお地蔵さまは鍬形地蔵と呼ばれているそうです。
また木納屋地蔵とも呼ばれています。
地蔵院 五色八重散椿
②鍬で傷つけられたから鍬形地蔵っておかしくない?つまり鍬で傷つけられたから鍬形地蔵だというんでしょうか。
でもこれ、一般的な日本語の使い方としてはおかしくないですか?
たとえば円盤型UFOというのがありますね。
なぜ円盤型というのかというと、そのUFOが円盤の形をしているからです。
アダムスキー型UFOはジョージ・アダムスキー氏が撮影したため、この名前があります。
形と型はほぼ同じ意味だと考えていいと思いますが
〇〇形、または〇〇型というとき、〇〇にはそのものの特徴や発見者の名前をつけるのが一般的です。
傷つけられた他者の名前をつけることはまずありません。
もしも私がUFOを攻撃してUFOを傷づけたとしましょう。
そのUFOは佳音型UFOと呼ぶでしょうか?
私が発見者であった場合は佳音型UFOと呼ばれるかもしれませんが、私が傷つけたUFOに私の名前がつけられることはないはずです。
③鍬形地蔵には角が生えている?鍬形地蔵の鍬形とはこのお地蔵さまの特徴が「鍬形」ということなのではないでしょうか。
兜につけられている一対の角状の金属の立物のこともを鍬形といいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C#/media/File:Kabuto-p1000670.jpgもしかして、このお地蔵さまの頭部には鍬形のような角が生えている?
↑ 地蔵堂の柱に飾られていた鍬形地蔵の写真です。
なんと、頭から布団を被っているではありませんか!
これは怪しい~。
やっぱり頭に角が生えているのかも?
③木納屋地蔵このお地蔵さまは鍬形地蔵のほか、木納屋地蔵とも呼ばれているとのことです。
納屋とは母家とは別棟に建てられた物置小屋のことで、農家では農作物や 農機具などを、漁村では舟や網を収納するのに用いていました。
それでは木納屋とは何なのでしょうか?
http://gozai.sakura.ne.jp/details1029.html上記ページに吉村宅の木納屋の写真があり「薪を乾燥、貯蔵するところ」と説明があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AA#/media/File:Stacks_of_firewood,Wood_wall_%E8%96%AA_%E3%82%84%E3%81%97%E3%82%8D%E3%81%AE%E6%A3%AE%E5%85%AC%E5%9C%92_DSCF8679.JPG 〈薪の写真)
http://gozai.sakura.ne.jp/img463.jpg(吉村宅の木納屋の写真)
吉村宅の木納屋に置かれている木材は薪にして長いような?
これを短く切って薪にするのでしょうか?
薪ではなく、建築資材としての木材ではないかと思ったりもするんですが、どうでしょう?
鍬とは農機具だと思っていましたが、
ウィキペディアによると
「鍬(くわ)とは、園芸や農作業、土木作業のため土壌を掘り起こす道具である。」
(
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8D%ACより引用)
と書いてあります。
千本釈迦堂 おかめ桜
④大工の神?このあたりには釘抜地蔵と呼ばれる石像寺(しゃくぞうじ)や、大工の棟梁と阿亀の伝説が残る千本釈迦堂(大報恩寺.)などがあります。
石像寺
千本釈迦堂 おかめ桜また北野白梅町駅前に「北野廃寺跡」という石碑が建てられており、かつて広大な寺があったようですが
北野廃寺は太秦にある広隆寺の前身・蜂岡寺だとする説が有力です。
北野廃寺跡広隆寺の御本尊は聖徳太子です。
四天王寺大阪四天王寺の前にある金剛組は聖徳太子を創業者とする世界最古の企業です。(創業578年)
金剛組は多くの宮大工をかかえる建設会社なんですが、その朝礼の風景をテレビでみたことがあります。
社内に厨子があり、その中には聖徳太子像が安置されていました。
そして社員たちはその聖徳太子像に向かって合掌するのです。
まさしく、聖徳太子は建築の神といえるでしょう。
このあたりではかつて建築の神・聖徳太子が厚く信仰されていたのではないでしょうか。
地蔵堂の地蔵が木納屋地蔵と呼ばれるのはそのためではないでしょうか?
また鍬形地蔵と呼ばれるのは、土木工事で用いる鍬が木納屋に収納されることが多かったためではないかと思ったりもします。
千本釈迦堂
⑥鍬形地蔵は手に鍬を持っている?もう一度、③の鍬形地蔵(木納屋地蔵)の写真を見てください。。
よく見ると錫杖はお地蔵さまの前に置かれていて、お地蔵さま自身が持っておられないような?
布団を外すともしかして手には鍬を持っていたりして?
地蔵院 五色八重散椿
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[2017/04/21 11:57]
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