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伏見稲荷大社 東寺 しだれ桜 『真魚とウロコ』 

京都市伏見区 伏見稲荷大社
2014年4月1日 撮影
京都市南区 東寺
2015年4月2日 撮影


伏見稲荷大社 しだれ桜 
伏見稲荷大社

①伏見稲荷大社は秦氏の氏神?

『山城国風土記』に次のように記されています。

711年、秦伊侶具が餅を的にして矢を射ると、餅が白鳥に代わって飛び立ちました。
そして白鳥は稲荷山に降りてきましたが、降り立った場所に稲が生えてきたので、秦伊侶具はここに社殿を建てました。
のちに子孫は伊侶具が白鳥を射たことを悔い、社の木を抜き、家に植えて祀りました。
木を植えて根付けば福が来、根付かなければ福が来ないといわれます。


伏見稲荷大社で2月の初午の日に授与されている「しるしの杉」はこの伝説にちなむものです。

伏見稲荷大社 狐の像2 

伏見稲荷大社

紀氏の土地を奪った伏見稲荷大社

伏見稲荷大社の南に紀氏の神を祀る藤森神社がありますが、もともと藤森神社は伏見稲荷大社の場所にあったとされています。
その場所に伏見稲荷大社が建てられることになったので、藤森神社は移転したというのです。

そのため、伏見稲荷大社付近の人々は今でも藤森神社の氏子だといいます。
藤森神社の祭礼では氏子さんたちは神輿を担いで伏見稲荷神社に乗り込み、その境内にある藤尾社の前で「土地返しや、土地返しや」と叫び
稲荷神社側の人々は「神さん、今お留守、今お留守」と言い返すそうです。

氏子さん方にはこんな話が伝わっています。

稲荷山はが藤森神の土地だったが、稲荷神が俵1つ分の土地を貸してほしいと言いました。
俵一つ分くらいならと許可すると、稲荷神は、持っていた俵を解いて長い縄にし、その縄で囲んだ土地を借りました。
しかし期限が来ても返さないので、祭礼の際に「土地返せ」と言っています。

伏見稲荷大社があるあたりは山城国紀伊郡といい、紀氏の土地であったのが、藤原氏や秦氏が権力を持つようになって紀氏は土地を奪われたと考えられていますが
秦氏や藤原氏は強引な方法で紀氏より土地を奪ったのではないかと思えます。

藤森神社 藤森祭 神輿 
藤森神社 藤森祭

空海のもとにやってきた紀州の神。

『稲荷大明神流記』には次のように記されています。

816年、紀州国熊野で空海は神に出会いました。
神は空海に『弟子になれ』と言いました。
空海はこう答えました。
『私は密教を広めたいと思っているので、仏法で守ってくださるとうれしいです。
東寺であなたをお待ちしています。』
823年、紀州の神が約束通り東寺にやってきたので、空海は大喜びで神をもてなし、
17日間祈祷して神に鎮まっていただきました。


空海が紀州で出会った神とは紀氏の神ではないでしょうか。

東寺 しだれ桜 ライトアップ2 
東寺 

⑤伏見稲荷大社は紀氏の神までも奪っていた?

伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神、田中大神、四大神を祭っていますが
柴田實氏によると、四大神とは、五十猛命(いそたけるのみこと)、大屋姫(おおやつひめ)、抓津姫(つまつひめ)、事八十神の四柱の神神々のことだということです。(式内社調査報告)

五十猛命(イソタケル)は、スサノオの子で、林業の神です。
記紀の記述によれば五十猛神は紀伊国に祀られている神とあります。紀伊国とは紀州のことです。

 また記紀の記述によれば、大屋都姫命(大屋姫)はスサノオの娘で、五十猛命は兄、抓津姫は妹としており
大屋都姫命と抓津姫はスサノオに命じられて五十猛命と共に全国の山々に木種を撒いたあと紀伊国に戻ったとあります。

そして、和歌山市宇田森の大屋都姫神社では大屋都姫命を、和歌山市伊太祈の伊太祁曽神社では五十猛命を主祭神としています。
都麻都姫命(抓津姫/は都麻都比売神社の主祭神とされていると古い文献には記されていますが、この都麻都比売神社が現在のどの神社のことであるのかは不明です。

紀州は古より林業が盛んだったので、紀州の人々は林業の神・五十猛神や、木種をまいた大屋都姫命・抓津姫を信仰していたのでしょう。
そして紀州は紀氏の本拠地でした。
五十猛神・大屋都姫命・抓津姫は紀氏の神だと考えられるでしょう。

伏見稲荷大社は紀氏の土地を奪っただけでなく、紀氏の神まで奪っていたのでは?

和歌山県有田氏の糸我稲荷神社が最古の稲荷社だともいわれています。

参照/藤森神社 紫陽花 『紀氏の祖神を祀る寺』  
   伏見稲荷大社 田植祭 『伏見稲荷大社に紀氏の神が鎮座していた!』 

東寺 しだれ桜 ライトアップ 
東寺

秦伊侶具とは空海をモデルとして創作した人物?

空海は東寺建設のために稲荷山から木を伐りだしています。
高さ54.8mの東寺の五重塔。
その心柱とするのに適切な木材が稲荷山にしかなかったので、空海は稲荷山を欲したのではないでしょうか。

②の創建説話では紀州の神に鎮まってもらったのは823年となっています。
それ以前には紀氏の神を祀る神社があったはずです。
①の創建説話では秦伊侶具は711年に矢を射たとありますが、これはウソっぽいです。

空海の俗名は佐伯真魚といいます。
そして①の創建説話に登場する秦伊侶具は「はたのいろぐ」と読みますが、「はたのうろこ」とルビをふってある文書もあります。
さらに空海は秦氏だとする説もあります。


私は秦伊侶具とは空海をモデルとして創作した人物ではないかと思います。

空海は佐伯真魚で『魚』なので、そこからイメージして伊侶具(うろこ)という名前にしたんだったりして?

伏見稲荷大社 狐の像

伏見稲荷大社




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[2017/03/29 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)