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金熊寺 梅 『神のお告げの税金対策?』 


大阪府泉南市 金熊寺 信達神社
2012年3月中旬 撮影


金熊寺 梅

①金峯・熊野の神を祀る寺

金熊寺は、役の行者(634?ー701?)が創建したと伝えられています。
隣にある信達神社は古くは金熊寺大権現宮といい、金熊寺の鎮守でした。

信達神社 
信達神社

昔、海岸にたどりついた神武天皇の像を祀ったのが始まりで、
682年に役小角が金峯・熊野の神を勧請して本殿に合祀したと伝わります。

②金熊寺は金峯山と熊野三山からとった?

金峯とは吉野にある金峯山のことだと思います。
金峯山寺は役行者を開基とする神仏習合の寺院です。

 金峯山寺 蔵王堂 桜

金峯山寺 蔵王堂

熊野には熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)があり、やはり修験道が盛んでした。

おそらく金熊寺という寺名は金峯・熊野からとったのでしょう。
そういえば、熊野三山はお詣りしたことがないなあ~。
近いうちに行ってみたいです。

金熊寺 梅林 

③なぜ梅が植えられたの?


300年ほど前、信達神社の神主・矢野氏に「この地に梅樹を植えると神領益々隆盛となる」のお告げがあり、矢野氏一族によって白梅をメインに2000本の梅が植えられたといいます。

ここに梅が植えられたのは、熊野が紀州(和歌山県)にあることと関係がないでしょうか。
紀州といえば南高梅が有名ですね。

紀州で梅が栽培されるようになったのは、江戸時代とされます。
紀州藩田辺領の農民がやせ地は免租地(租税の一部または全部を免除する土地)となるということで、梅の栽培を始めたといいます。

金熊寺周辺で梅が栽培されるようになったのは300年ほど前ということですから、江戸時代ですね。
紀州藩田辺領と同じく、租税の免除を狙ったのではないでしょうか。

それを神様のお告げがあったなんぞと表現したのでは?

金熊寺 梅林


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[2017/03/23 00:00] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)