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雲龍院 河津桜 『BL掛軸?』 (18禁 笑) 

京都市東山区 雲龍院
2016年3月3日 撮影


雲龍院 河津桜3

①謎々掛軸

泉涌寺の塔頭・雲龍院にはこんな ↓ 掛け軸があります。
この二点の掛け軸はいずれも謎々なのだそうです。

雲龍院 掛軸 

②謎々その1

まずは向かって右側の掛け軸の謎解きから。

「ち」が五つ→ちご(稚児)
「も」が五つ→いつも
「の」が三つ→のみ(飲み)
「た」が八つ→たや

つなげて読むと、「ちごのさけいつものみたや(稚児の酒いつも飲みたや)」となります。

 雲龍院 河津桜4

③謎々その2

次に向かって左側の掛け軸を考えてみましょう~。

a.「林下祖師半身」は「林の下に祖師が半身を現す」と読みますが、林の下の漢字は「祖」です。
「祖」は分解すると「示」と「且」に分かれます。
この「祖」が半身を表すので「示」のみをとります。
すると、「林」+「示」で「禁」となります。

b.「水辺尊者頭脚隠」は「水辺で尊者が頭と脚を隠す」と読みます。
「水辺」はさんずい(氵)、「尊」の頭は「2つの点」、脚は「寸」なので、尊からこれらをとると「酉」です。
「氵」と「酉」を合わせると、「酒」になります。

a=禁、b=酒で「禁酒」となります。

 雲龍院 河津桜2

③稚児灌頂♡


これね~、単に酒を飲むなという意味ではないと思うんですよ。
BLのことばっかり考えてるスケベ―だからそう思うのかもですが~(汗)

稚児というのはもともとは子供という意味ですが、寺院で稚児といえば少年修行僧のことをいいました。

少年修行僧は、僧侶の男色の相手も務めていました。(汗)

天台宗でははじめて僧侶の相手をする稚児に対し、初夜の直前に稚児灌頂(ちごかんじょう)という儀式が行われていました。
この儀式を受けた稚児は観音菩薩の化身であるとされ、僧侶はこの稚児灌頂を受けた稚児とならば交わることが許されていたのです。

「稚児の酒いつも飲みたや」とは「稚児を抱きたい」と言う意味で、「禁酒」は「稚児を抱いてはならない」という意味だったりして?

雲龍院 河津桜 
④僧侶はなぜBLに走ったのか?

僧侶は女性との性交が禁じられていたため、稚児との男色に走ったのではないかといわれますが
私は僧侶の男色は呪術的なものであったのではないかと考えています。

9月9日は重陽の節句ですが、700歳の長寿を得た菊滋童の伝説にちなみ、菊酒を飲んだりする習慣があります。

の穆王が寵愛していた少年・菊慈童は、あるとき誤って帝の枕の上を超えてしまい、レッケン山に流刑となりました。
穆王は菊滋童に観世音菩薩 普門品というお経にある「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を毎日唱えるようにと言いいました。
菊慈童がこれを菊の下葉に書きつけたところ、菊の下葉の露が不老長寿の薬となりました。
そしてそれを飲んだ菊滋童は700歳の長寿を得ました。

菊滋童が穆王の枕を超えた、という点に注意してください。
穆王は菊滋童を寵愛していたとありますが、これは単に「かわいがっていた」という意味ではなく、「BLの関係にあった」ということでしょう。(きゃー♡)

で、陰陽では男は陽、女は陰です。
♂と♂が重なることはまさしく重陽だといえるのではないでしょうか?
つまりBLは長寿の妙薬ということだと思います。
僧侶たちがBLに走ったのはそのためではないでしょうか?

 法輪寺 重陽神事2 

法輪寺 菊滋童の舞


⑤菊はBLの象徴だった?

薔薇族という言葉は1971年に創刊されたそっち系の雑誌の名前が薔薇族とかいうところからくるみたいですね。
古には菊がBLのシンボルだったと思います。菊門とかいう言葉もあるしな~。
と思ったら庭の砂で菊が描かれていました!

雲龍院 灯篭  
そういえば、雲龍院は皇室と関係の深い泉涌寺の塔頭でした。
皇室の紋といえば菊ですね。
あれれ?皇室の象徴ってBLなの?




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ありがとうございました!


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[2017/03/19 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)