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城南宮 梅 『城南宮と方違』 


京都市伏見区 城南宮
2017年3月初旬 撮影


城南遇 神苑 しだれ梅 
城南宮といえばしだれ梅が有名なんだけど、どうやって撮ったらいいのか、いつも悩む~。
 
①藤森神社、伏見稲荷大社に土地を奪われて移転する。

伏見稲荷大社 千本鳥居 雪 
伏見稲荷大社

現在伏見稲荷大社のある場所には古くは紀氏の神を祀る藤森神社がありました。
ところが平安時代に伏見稲荷大社がその地に鎮座することになったため、藤森神社は現在地に移転しました。

伏見稲荷大社鎮座にともなう藤森神社の移転はスムーズに行われたのではなく、伏見稲荷大社側がかなり強引な手法を用いて行われたようです。
そのため、今でも伏見稲荷大社近辺の住民は藤森神社の氏子だといいますし

藤森神社の祭礼では氏子さんたちは神輿を担いで伏見稲荷神社に乗り込み、その境内にある藤尾社の前で「土地返しや、土地返しや」と叫び
稲荷神社側の人々は「神さん、今お留守、今お留守」と言い返すそうです。

藤森神社 蹴鞠3 
藤森神社

氏子さん方にはこんな話が伝わっているそうです。

稲荷山はが藤森神の土地だったが、稲荷神が俵1つ分の土地を貸してほしいと言った。
俵一つ分くらいならと許可すると、稲荷神は、持っていた俵を解いて長い縄にし、その縄で囲んだ土地を借りた。
しかし期限が来ても返さないので、祭礼の際に「土地返せ」と言っている。

すごいお祭りだなあ~。 


城南宮 梅2 
城南宮 唐渡天満宮

②天皇家・藤原氏・空海が藤森神社の土地を奪った?


伏見稲荷大社は東寺の鎮守とされています。
東寺は鎮護国家のため、嵯峨天皇によって建設が始まったのち、空海に下賜された寺です。
つまり、藤森神社は天皇家や空海に土地を奪われたということでしょう。
当時の天皇家は藤原氏と密接な関係がありましたので、天皇家・藤原氏・空海が藤森神社の土地を奪ったといったほうが適切でしょうか。

空海は東寺五重塔に用いる木材を稲荷山から伐りだしています。
東寺の五重塔は日本最大の仏塔で高さは54.8mもあります。
その五重塔に用いる心柱に適切な木材が稲荷山以外にはなかったため、稲荷山を手に入れる必要があったのではないかと想像します。

東寺 桜 ライトアップ 
東寺

③藤森神社の移転によって真幡寸神社も移転する。

そういうわけで藤森神社は伏見稲荷大社に土地を奪われて現在地に移転することになったわけですが、そこには真幡寸(まはたき)神社がありました。
真幡寸神社は藤森神社に土地を譲って移転しました。
これが城南宮です。

④城南宮も藤森神社同様、紀氏の神社だった?


藤森神社と城南宮の間に土地の貸借にまつわるトラブルなどの伝説は残されていません。

そして藤森神社と城南宮には同様の伝説が伝えられています。

a.神功皇后が新羅を攻略する折りの旗を御神体として奉納した。
b.平安京遷都の際,王城鎮護のため国常立尊を合祀した。

同様の伝説が残されているということは、城南宮も紀氏の神社だったのかな?

城南宮 梅 
城南宮 神楽殿

⑤城南宮、鳥羽離宮に取り込まれる。


平安末期の院政期には城南宮の周囲に鳥羽離宮が造営されました。
鳥羽離宮は白河上皇・鳥羽上皇らが院政を行った場所です。
城南宮は鳥羽離宮の一部となり、鳥羽離宮は城南離宮とも呼ばれたといいます。

もし、城南宮が紀氏の神社だったとしたら、院政期には天皇家にその土地や神々が奪われていたということになりますね。

⑥方違

白河上皇は9回に及ぶ熊野御幸を行っており、その後、鳥羽上皇が21回、後白河上皇が33回(34回とも)、後鳥羽上皇が28回熊野御幸を行っています。
そのほか、崇徳上皇・後嵯峨上皇も熊野御幸を行っています。
上皇だけでなく、貴族たちも熊野詣を行ったようです。

そして熊野詣をする際には城南離宮で潔斎し、またここに泊まってから熊野へ向かっていたようです。
城南離宮に泊まったのは、方違(かたたがえ)を目的としていたとされます。

城南宮 神輿殿 梅 
城南宮 神輿殿 

⑥方違って何?

古の人々は、目的地に天一神・太白・大将軍・金神・王相の方位神がいる場合、いったん別の方角にいって一泊し
翌日、そこから目的地を向かうという面倒なことをしていました。
これは陰陽道の占いによるものです。

さらに天一神・太白・大将軍・金神・王相は定まった方角にいるのではなく、周期的に方角を変えるとされていました。

えっ?
神様が定まった位置にいるのではないということは、城南宮の位置が熊野に対して吉の方角ではなく、凶の方角になることもあったということなんじゃないの?

⑦方忌呪術の簡略化?

コトバンクは世界大百科事典内の城南宮の言及として、次のように記しています。

「…庶民社会では方違神社参詣の俗信が興り,禁忌の方向に対して舎宅を構えたり,窓や垣を開いたり塞いだり,あるいは旅行・回船の門出などをなすものは,この神社に参れば方違の意味が生ずるとするもので,大阪府堺市の方違神社は有名である。

京都では洛南鳥羽の城南宮(真幡寸(まはたき)神社)が有名で,禁忌の方向に造作したり,転宅したりするとき,境内の土を持ち帰ってまけば,祟りを避けられるという。

かくて方忌呪術の簡略化の結果は方違本来の意味をまったく一変させてしまったのである。…」

https://kotobank.jp/word/%E5%9F%8E%E5%8D%97%E5%AE%AE-1339966

⑧熊野詣の際、城南宮に立ち寄っていた理由

古の人々は熊野詣の方違を目的にしていたというよりは、熊野へ出立するにあたり潔斎の目的でここに立ち寄っていたのではないでしょうか。

なんでかって?

④で、城南宮は紀氏の神だったのではないか、と書きました。
紀氏は紀州を本拠地としていました。

そして熊野もまた紀州にあり、熊野の神も紀氏の神である可能性が大です。

つまり、人々は紀氏の神がすむ熊野へ詣でるにあたり、紀氏の神・城南宮にお詣りをしていたのではないか。

そんな風に私は考えているわけです。

城南宮 絵馬殿 梅 
城南宮 絵馬殿



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ありがとうございました!



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[2017/03/10 01:40] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)