智積院 梅 『長谷川等伯 松林図屏風は不老不死を表している?』 


京都市東山区 智積院
撮影 2017年 2月中旬

智積院 金堂 梅 

智積院 金堂

①鶴松にささげられた桜楓図


智積院がある場所には、豊臣家ゆかりの禅寺・があり、1601年に家康がこの祥雲寺を与えました。
そこで玄宥はその祥雲寺の土地に、もと紀州・根来にあった智積院を復興させました。

現在の智積院収蔵庫には祥雲寺の客殿にあった長谷川等伯一派の障壁画が残されています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%BA%E7%A9%8D%E9%99%A2#.E6.96.87.E5.8C.96.E8.B2.A1
↑ ウィキペディアに障壁画の写真が掲載されています。

智積院障壁画 桜図 

智積院障壁画 楓図 模写

上2枚は大書院に飾られている複製障壁画・桜楓図で上が楓図(長谷川等伯筆)、下が桜図長谷川久蔵筆)です。

祥雲寺は1591年にわずか3歳でなくなった秀吉の子・鶴松の菩提を弔うために建てられたお寺です。
桜楓図は幼くして亡くなった鶴松にささげられたものだといえるでしょう。

②息子・久蔵、26歳で亡くなる。

智積院の桜図を描いた長谷川久蔵は、長谷川等伯の息子です。
この久蔵も1593年に26歳の若さで亡くなってしまいました。

また1598年には等伯のパトロン・豊臣秀吉も亡くなりました。

③松林図屏風

鎮長谷川等伯といえば、『松林図屏風』 ですよね!

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3APine_Trees.jpg 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AHasegawa_Tohaku%2C_Pine_Trees.jpg 
無駄なものを限りなく削り、余白を多く残していています。
強烈なインパクトの静けさを感じるというか、とても不思議な絵です。

年記がないので制作年代は未詳ですが、作風から1593年~1595年ごろに描かれたものではないかと考えられています。
等伯の息子・久蔵が亡くなったころで、悲しみにくれる等伯が自分自身のために描いたとも言われます。

また故郷の能登の海岸の松林を描いたのではないかとも言われていますよ。

智積院 鐘楼  
智積院 鐘楼

⑤松林図は草稿?

松林図にはいくつかの謎があります。

1.紙継ぎのずれがある。
2.左右で紙幅の寸法が異なっている。
3.通常の屏風絵に使われる頑丈な雁皮紙ではなく、きめの荒い薄手の料紙を用いている。
4.画面両端の「長谷川」「等伯」印が基準印と異なる
5.松林図によく似た「月夜松林図」が存在する。
※月夜松林図は この方のブログで見ることができます。
http://cardiac.exblog.jp/12919526/
松林図には山が描かれていますが、月夜松林図には満月が描かれています。また紙の裏に墨を塗ってあります。

そのため、屏風絵ではなく襖絵だったのではないかとか、草稿ではないかともいわれています。

⑥松林図と月夜松林図は月山を表している?

ですが、わたしは「松林図は月夜松林図の草稿ではなく、2枚はワンセットになっている」と考えます。
月夜松林図に描かれた月と、松林図に描かれた山は謎々になっているのではないでしょうか。
つまり、月と山で月山を意味しているのではないかと思うのです。

月山とは山形県中央部にある山で、月山神社があります。参拝したことはないんですが~。


智積院-明王殿 梅 
智積院 明王殿

⑦山形県は即身仏のメッカ

そして山形県は即身仏のメッカとして知られています。

http://www.asahi-kankou.jp/kankou/spot_syuinroku.html
http://yamagatakanko.com/log/?l=348168

ウィキペディアは日本の即身仏として18例をあげています。
県別に見ると、山形県8例、新潟県4例、神奈川県・京都府・福島県・茨城県・長野県・岐阜県がそれぞれ1例で、山形県がダントツで多いのです。

※岩手県の奥州藤原氏の3例は自然ミイラではなく人工ミイラとする説もあるので、カウントしていません。)
http://www.saisyouji.jp/saisyo-ji/contents-sokusinbutu-navi.html#zenkoku
←こちらのサイトでは日本には24例の即身仏があるとしています。

即身仏とは五穀を絶って木食(木の実や木の皮を食べる)修行を行ったのち、生きたまま地下の穴倉に入った僧侶の亡骸のことで、
江戸時代に盛んにおこなわれたとされます。

しかし、夏高温多湿になる日本では亡骸を腐らせないようにするのは至難の業で、腐敗してしまった即身仏もたくさんあったと考えられています。

山形県に多くの即身仏が残されているのは、寒冷な気候ということもありますが
水銀土壌が関係しているともいわれます。

さきほど、即身仏になるためには五穀を絶って木食(木の実や木の皮を食べる)修行を行うと書きましたが
水銀土壌で育った木の実や木の皮には水銀が多く含まれています。
その水銀の防腐作用によって死体が腐ることなく保存されたのではないかというのです。

⑧なぜ人は即身仏になろうとしたのか

なぜ人は即身仏になろうとしたのでしょうか。
それは56億7000万年後に弥勒菩薩があらわれるとき、その聖業に参加するためであると聞いたことがあります。
弥勒菩薩の聖業に参加するためには生き返らなければならない。
そして生き返るためには、魂の入れ物である肉体が必要だと考えられていたのではないかと思います。

水木しげるさんの「今昔物語集」(平安時代に成立したと考えられている古典をもとに水木しげるさんが漫画にしたもの)に、こんな話がありました。


死神が閻魔大王から指令を受けてaを殺しにいったところ、まちがって同姓同名のbを殺してしまいます。
そこで、本来殺すべきだったaを殺し、すでに殺されていたbは、生き返ってもいいということになりました。
ところが、すでにbの死体が火葬されてしまっていたため、やむなくbはaの肉体をかりて生き返りました。


この話は古の人々が、生き返るためには肉体が必要であると考えていたのだろうと推測させます。

⑨桜や楓ははかなさを、松は不老不死を表す?

桜楓図と松林図は対照的ですね。
現代人の多くは、桜楓図には生命力を、松林図には死のイメージを感じるのではないでしょうか。

しかし、古の人々はこれとは逆のイメージを感じたのではないかと思うんですね。

桜や楓は華やかですが、あっという間に散ってしまいます。
一方、松は1年中青々としていて散りません。
そういったところから桜や楓にははかなさを、松には不老不死のイメージを持っていたのではないでしょうか。

⑩松林図・月夜松林図には久蔵生き返りの願いが込められていた?

長谷川等伯はわが子・久蔵が生き返るようにとの願いをこめて松林図・月夜松林図を描いたのではないでしょうか。

月と山=月山=即身仏=不老不死
松=1年中青い葉を茂らせる=不老不死

そういえば智積院にはこんな絵も展示されていましたよ。

智積院 布袋唐子嬉戯の図 


布袋唐子喜戯の図 月樵(げっしょう)道人

布袋は弥勒菩薩の化身だと言われています。

参照/
智積院 さつき 『布袋はなぜ大勢の子供たちと戯れているの?』 




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[2017/02/17 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)