Author:佳音
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前回、旧宇田川家住宅について書きましたが、そのすぐ近くに旧大塚家住宅があります。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E5%AE%9F_(%E6%B5%A6%E5%AE%89%E5%B8%82)#/media/File:100_views_edo_096.jpg↑ リンク先は歌川広重の名所江戸百景「堀江ねこざね」です。浦安という地名は明治22年に3つの村が合併してつけられたもので、江戸時代には当代島村・猫実(ねこざね)村・堀江村といっていました。広重はこのうちの猫実村・堀江村を描いたのですね。大塚家住宅は浦安市堀江にあり、かつての堀江村にあった民家だと考えられます。広重の絵を見ると旧大塚家住宅のような茅葺屋根の民家がたくさん描かれています。 大塚家は農業と漁業を営んでいました。屋根裏2階があって土間と玄関の天井から上に登れる構造になっているそうです。洪水がおこると家財道具をそこに持ち込んだり、避難したりしていたのだとか。 土間をあがったところには ↑ こんな人形が置かれていました。お父さんは網をつくろっているのだと思います。お嬢さんは海苔簾(のりす)を作っているのかな? 上が神棚、下が仏壇になっています。その大きさから、大塚家の人々が信仰心の厚い人々であったことがしのばれます。 家の中にトイレがあるのは珍しいと説明を受けました。そういえば、じいちゃんちのトイレは離れにあって、雨の日は傘をさしてトイレに行ったなあ~。宇田川家住宅も大塚家住宅もお風呂が見当たらなかったですが、お風呂はどうしていたんでしょう?銭湯があったのかな? 稲荷神社 大鯨の御社②漁業を捨てた町このあたりではかつて海苔の養殖、アサリや蛤の養殖、漁業が盛んに行われていました。近隣の村との漁業権の争いがあったり、度重なる風水害があったりで大変だったようですが。昭和30年に旧の堤防が完成したことで、風水害はようやく減少したとのことです。また漁師たちはゴミ問題や海の汚染とも戦いました。人糞で肥料を作る工場が計画されるということが2度にわたってあったそうですが、漁師たちは工場予定地を買い取ることで阻止しています。 東京都がゴミを埋め立てて島を造ろうとしたこともありましたが、住民たちの反対運動によって実現しませんでした。 昭和39年ごろの境川。(説明板より)昭和33年には製紙工場の排水が海の魚を死滅させるという事件がおきています。製紙工場はいったんは工場排水を流さないと約束したにもかかわらず再び排水を流し始めたので、怒った住民が工場に乱入し、機動隊員との乱闘に発展するという事件がおきています。この年、環境保護法が成立した背景には、浦安の漁師たちの強い働きかけがあったといえるでしょう。しかし海の汚染には勝てず、昭和48年、漁師たちは漁業権を全面放棄し、ディズニーランド誘致に合意しました。大塚家住宅のほか、稲荷神社境内の大鯨の御社や、大海津見神(海の神)を祀る清滝神社が、かつて浦安が漁村だったことを物語っています。清滝神社 ↑ ↓ 東京ディズニーランド(夕焼け空と海は合成です・・・汗)※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。いつも応援ありがとうございます♪ にほんブログ村 にほんブログ村
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