京都市左京区 金戒光明寺
2016年11月中旬 撮影
京都府長岡京市 光明寺
2010年11月下旬 撮影
ジェイソン・ブラウン選手、NHK杯ではよい成績を残せませんでしたが、キス&クライでも終始ニッコニコ~。
たかがグランプリシリーズ、大事なのは全米選手権だと考えているのかな?
案外成績がふるわなかったことよりも、日本にこれたことが嬉しくてニコニコしていたのかなあ、と思ったりします。
ジェイソンは日本が大好きなのだそうです。
日本語もうまかったけど、「ジェイソン、あなたはお笑い芸人か?」と思っちゃった(笑)
http://www1.nhk.or.jp/figure/movies/index.html(インタビューコーナー「明子の部屋」ネイサン・チェン ジェイソン・ブラウン/02:31くらいから)
私はそんなジェイソンが大好きです♡
180度以上開脚するバレエジャンプやスパイラル!美しい~!
https://www.youtube.com/watch?v=QuE3PvitiIU四回転ジャンパーのネイサン・チェン、なんか顔が好きだなあ♡
と思ってたんですが、吉田秋生先生の漫画「夜叉」の静に似てない?
金戒光明寺●
法然が草庵を結んだ場所1175年、法然(1133年 - 1212年)は比叡山の黒谷をおり、岡崎の地に草庵を結びました。
これが金戒光明寺の初めとされます。
金戒光明寺
●浄土宗の教えは時代にマッチしていた?法然は「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽浄土へ行けるとする浄土教の教えを説きました。
法然の教えはこの時代のニーズに大変マッチしたものであったのといえるのではないでしょうか。
1156年には保元の乱、1159年には平治の乱が起っています。
1167年には武士の平清盛が太政大臣となっています。
1180年には源頼朝が挙兵し源平合戦が始まります。
そして1185年、壇ノ浦の戦いで平家は敗れ、滅亡しています。
つまり、この時代は武士が世の中に台頭してきた時代だったといえると思うのですが
武士とは戦で人を殺すことを職業とする人々です。
仏教では殺生は慎むべきことであるとされており、武士たちは「自分たちは殺生を行っているので死後極楽浄土へ行けない」と考えたのだと思うのです。
法然はそうした武士の心を敏感にくみ取り、武士の心に寄り添った教えを説いた。
それが「南無阿弥陀仏と唱えさえすれば、誰でも極楽浄土へ行ける」という浄土宗の教えだったということなのかな、と思います。
●敦盛殺害を悔いた熊谷直実
金戒光明寺の塔頭に熊谷堂があります。
熊谷氏は桓武平氏・平貞盛の孫・維時(これとき)の六代の孫と称しており、熊谷直実はもともとは平家方の武士でした。
しかし後に源氏方の武士となり、平敦盛の首を討ちとります。
直実はこれをひどく悔い、出家して法然に弟子入りします。
直実の先祖・平貞盛は空也が愛していた鹿を殺したことを悔い、空也堂を建立しています。
平貞盛は藤原秀郷とともに平将門を討った人物であり、空也は平将門の怨霊鎮めを行った僧なので、平貞盛が殺した鹿とは平将門のことだと思います。
そしてその子孫である熊谷直実もまた平敦盛を殺したことをひどく悔いたのです。歴史は繰り返されるのか?
私は空也と平将門は同一人物であり、平野将門・平敦盛はともに実は皇統であったのではないか、と考えています。
詳しくはこちらの記事を参照ください。↓
光明寺 桜 『一枝を伐らば、一指を剪るべし』 ・
水火天満宮 しだれ桜 『平敦盛は皇統だった?』 )
そのため「神聖な天照大神の子孫である天皇の皇子を殺してしまった!死後私は極楽浄土へ行くことはできない!」と考えて絶望したのではないかと思います。
●熊谷直実、法然に弟子入りする。
「極楽浄土へ行くことはできない」と絶望した熊谷直実に法然はこう言いました。
「罪が軽いとか重いとかは関係ないよーん。誰でも念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるんだよーん。」
「私のような罪人でも南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行けるんですか!」
と熊谷直実が言ったかどうかはわかりませんが、直実はこらえきれずに涙を流したそうです。
可哀想に、よほど罪の意識にさいなまれていたのでしょうね。
茶化して書いてしまいましたが、法然という人は人の心に寄り添うことができる、包容力のある人物だったのかもしれませんね。
直実は出家して法然に弟子入りしました。
金戒光明寺にある熊谷堂は出家した直実の草庵であったということです。
熊谷堂●熊谷直実、誕生寺を創建する。法然が生まれた岡山県久米郡には誕生寺というお寺があります。
誕生寺は1193年の熊谷直実が法然が生まれた場所に創建したお寺だということです。
光明寺●熊谷直実、光明寺(長岡京市)を創建する。熊谷直実は法然が初めて念仏の教えを説いたとされる場所にもお寺を創建しています。
これが長岡京市の光明寺です。
そのほかにも熊谷直実は蓮生寺(静岡県藤枝市)・法然寺(京都市右京区)・熊谷寺(埼玉県熊谷市)などたくさんのお寺を創建しています。
こういうことはお金がないとできないことです。
光明寺直実がこれらの寺を建てたのは、浄土宗の教えにすがろうとした直実の心のあらわれなのか?
それとも直実は金銭によって阿弥陀仏の御加護を得ようとしたのか?
法然は「誰でも南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土へ行ける」と説きましたが
直実は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでは不十分、阿弥陀様をお祀りするお堂を建てて阿弥陀様にひきたててもらおうと考えたんだったりして?
光明寺毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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