東京都文京区 湯島聖堂(2016年11月17日 撮影)
奈良県奈良県生駒郡平群町 朝護孫子寺 (2008年11月23日 撮影)
湯島聖堂東京の地下鉄ってとても親切ですね!
今回、地図も持たずに東京の町をウロウロしたんですが
地下鉄の職員さんに行き方を訪ねたら、タブレットで調べて最寄り駅を教えてくれるんです!
おかげで地図なしでも東京観光楽しめました♪ ありがとうございました~。
そうこうして神田明神を目指し、御茶ノ水で下車してとことこ歩いていたんですが
途中、とても紅葉の美しい所があったので寄ってみることに。湯島聖堂です。
湯島聖堂●孔子廟湯島聖堂は生類憐みの令を出したことで有名な江戸幕府5代将軍徳川綱吉が建てた孔子廟だそうです。
徳川綱吉さんは儒学などの学問が大変好きな将軍様であったのだとか。
孔子廟とは孔子を祀る霊廟のことで、日本では儒学の学校に孔子廟が作られることが多かったそうです。
湯島聖堂 大成殿●亀甲紋と虎美しい紅葉とともに私の目を釘つけにしたのが大成殿の扉の亀甲紋と屋根に置かれた虎の像です。
●朝護孫子寺の毘沙門亀甲と張り子の虎奈良の朝護孫子寺の紋は毘沙門亀甲といいます。↓
毘沙門亀甲紋 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bisyamonkikkou3.svg?uselang=ja よりお借りしました。
作者は
Life of Rileyさんです。(ありがとうございます)
で、朝護孫子寺には大きな張り子の虎もあるんです。(写真がなくてすいません~)
朝護孫子寺亀甲紋と虎がある湯島聖堂は毘沙門天の信仰と何か関係があるのかも?
●ムカデは毘沙門天の使い
朝護孫子寺にはこんなものもあります。↓

ムカデが描かれた額とレリーフです。
朝護孫子寺になぜこんなのがあるのかというと、ムカデは毘沙門天の使いとされているのです。
毘沙門天はもともとはインドの神クベーラで、夜叉を使役して貴金属や宝石を採掘させる神でした。
クベーラは鉱山の神だといってもいいのではないでしょうか。
そして坑道のことを俗語でムカデ穴といいます。
ムカデが毘沙門天の使いだというのはこのためでしょう。
●三上山に残る俵藤太の百足退治伝説
ムカデといえば、琵琶湖のほとりにある三上山の、「俵藤太のムカデ退治伝説」を思い出します。
瀬田の唐橋の説明板より俵藤太が三上山の大ムカデを退治したというのです。
俵藤太というのは、彼が龍神から米のつきない俵をもらったところからつけられた愛称で、本名は藤原秀郷といいます。
藤原秀郷とは平貞盛とともに平将門を討伐した人物です。
もしかして三上山の大ムカデとは平将門?
●平将門の乱
平将門は「新皇」と称し東国に独立国をつくった人物です。
しかし940年、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らの軍と戦っている最中、流れ矢に当たって死亡しました。
将門の首は京へ持ち帰られ、鴨川のほとりで晒されました。
将門の首が晒された場所には小さな祠があり「神田明神 天慶年間 平将門ノ首ヲを晒シタ所也」と記したプレートがとりつけられています。
神田明神(京都市下京区)その後、将門の首は空へ舞い上がり故郷へ向かって飛び去ったという伝説があります。
そして故郷へ戻った将門の首が墜ちたところが、将門の首塚だと言われています。
今回の旅で念願だった将門の首塚も参拝することができました。
将門の首塚(東京都千代田区)小さな塚ですが、次から次へと参拝者が訪れては線香をあげ、熱心に拝んでおられました。
平将門は今も東京の人々からあつーく信仰されているのですね!
●湯島聖堂の東北に神田明神が!湯島聖堂には亀甲紋と虎はありましたが、百足を刻んだものなどは見当たりませんでした。
そのかわりというべきか、湯島聖堂のすぐ近くに神田明神があります。
神田明神はオオナムチノミコト、スクナヒコナノミコト、そして平将門を祀る神社です。
神田明神平将門の体は鉄でできていたという伝説があります。
そういったところから将門は鉱山の神、ムカデの神としても信仰されたのかもしれません。
そして亀甲紋と虎のある湯島聖堂は、神田明神と関係が深いのかもしれないなあ、と思ったりしました。
湯島聖堂 入徳門※安井金毘羅宮の櫛祭に登場された着物姿の女性を写真に合成させていただきました。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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