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北野天満宮 余香祭 『醍醐天皇のノイローゼの原因は道真のストーカー行為だった?』 


京都市上京区 北野天満宮
余香祭 10月29日


北野天満宮 菊 

北野天満宮 本殿


●醍醐天皇、道真の詩に感激して更衣を与える。

今ごろは旧暦では9月9日の重陽の節句の時期にあたります。
北野天満宮にも大輪の菊がお供えされていました。

900年菅原道真公は重陽の節句の翌日、9月10日の宴の際に歌を詠んだそうです。

「秋思」という題だというので、たぶん、この漢詩のことじゃないかと思います。(ちがってたら指摘をお願いします!)

秋思詩 (しゅうしのし

丞相(じょうしょう)年を度(わた)って 幾ばくか楽思(らくし)せる
今宵(こんしょう)物に觸れて 自然に悲しむ
聲寒き絡緯(らくい) 風の吹く處
葉の落つる梧桐(ごどう) 雨の打つ時
君は春秋に富み 臣は漸く老いたり
恩は涯岸(がいがん)無くして 報ゆる
猶(なお)遲し知らず此の意 何が安慰(あんい)せん
酒を飲み琴を聽き 又詩を詠ず


右大臣を拝命し年を越したが、政務に負われ、どれほど楽しい思いをしただろうか。
今宵も何かにつけて自然に悲しく思う。
もの寂しい虫の音、秋風の吹くところに。
葉が落ちる青桐、雨が降る夜に。
わが君は若く、私は老いていくばかり。
君の恩にはまだ報いることができていない。
このやるせない心を何が慰めてくれるであろうか、自分にはわからない。
ただ酒を飲み、琴を聴き、また詩を吟詠するばかりである。


この詩を聞いた醍醐天皇は感激されてご道真にご自身のご更衣を与えました。

大阪天満宮 秋思詩 
大阪天満宮に展示されていた人形

 ●道真、去年の秋を思い出し、残り香を拝する。

ところが、その翌年、藤原時平の讒言によって道真は大宰府に流刑となってしまうのです。
そして、道真は9月10日に「重陽後一日」の詩を詠みました。

去年の今夜 清涼に待す
秋思の詩篇 獨り斷腸
恩賜の御衣は今此こに在り
捧持して 毎日餘香を拝す

去年の今夜は清涼殿の宴で、醍醐天皇のお傍にはべっていた私。
「秋思」という題で私は詩を詠んだの。
思い出すとはらわたがちぎれてしまいそうだわ。
あの時、あなたからいただいた着物は、今も大事にしているわ。
毎日、こうしてその着物をとりだして、匂いをかいでいるのよん。
あなたの匂いがまだ残っているから。


余香祭はこれにちなむ行事で、本殿で全国から寄せられた詞を披露します。

大阪天満宮 配所の月 
大阪天満宮に展示されていた人形

●乙女チック道真?


重陽の節句の翌日に詠んだ歌だそうですが、重陽の節句は菊の節句ともいわれます。
菊はBLの象徴(菊座を検索!)ですし、道真は醍醐天皇を愛していたのかも。(きゃー♡)
離れ離れになっても、道真は醍醐天皇を偲び続けているのでしょうか。
なんとも乙女チックな道真さん?

大阪天満宮 人形

大阪天満宮に展示されていた人形


●道真、怨霊になる。


903年、道真は大宰府で亡くなりました。

道真の死後、都では不幸な事件が相次ぎました。

909年、醍醐天皇に讒言をした藤平時平が39歳という若さで病死。
913年、源光が狩の際、泥沼で溺死。源光も道真左遷にかかわったとされています。
923年、醍醐天皇の皇太子・保明親王が薨去。
醍醐天皇は保明親王の子の慶頼王を皇太子としましたが、925年にわずか4歳で夭逝。
930年には清涼殿に落雷があり、多くの死傷者が出ました。

これらの一連の事件は道真の怨霊の仕業と考えられました。

清涼殿落雷事件の3か月後、醍醐天皇は崩御されました。
死因は道真の怨霊に怯えるあまり、ノイローゼになったためとも言われています。

北野天満宮 余香祭

北野天満宮 余香祭 烏帽子には菊が飾られています。

●思い出の清涼殿


雷が落ちた清涼殿は、醍醐天皇と道真にとって思い出の場所でした。
醍醐天皇は重陽の節句に清涼殿で宴を開き、ここで道真が秋思詞を詠んだのでした。
その清涼殿に雷が落ちるなんて、これはもう道真が雷神になって復讐しにきたにちがいないと思ったことでしょうね。

北野天満宮 余香祭 

●桜散り老い来る道


高田祟史さんは和歌とは呪術だったとおっしゃっています。

在原業平が藤原基経の四十歳の算賀にこんな歌を詠んで送っています。
桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに
(桜の花よ、散り乱れてあたりを霞ませておくれ。『老い』が通って来ると聞く道が、花に紛れてしまうように。)


この歌は一見、基経を気遣う歌のようでありますが、
五七五七七の冒頭の漢字をつなげてみると…桜散老来道(桜散り老い来る道)になると高田祟史さんはおっしゃっています。
つまり在原業平は藤原基経に対して
「桜が散ると、老いがやってくる。基経め、さっさと老いぼれて死にやがれ~」と歌を詠んだということですね。

 北野天満宮 余香祭2

醍醐天皇の着物は藁人形がわりにされた?

道真が詠んだのは和歌ではなく漢詩ですが、漢詩も和歌同様、呪術的に用いられることがあったのではないでしょうか。
道真の「重陽後一日」の詩、一見すると乙女心を読んだかのようですが、そうじゃないかも~。

醍醐天皇の着物は、醍醐天皇を模した藁人形のようなものだといってもいいでしょう。
そしてその醍醐天皇の形代ともいうべき着物の匂いを毎日かいでいる道真。
ときどきなら乙女チックですんでも、毎日となれば、すごい執念です。
それも、はらわたがちぎれるような思いで匂いをかいでいる。
まるでストーカーのようです。(ちょっとストーカーとはちがうか?)

だんだん、不気味になってきましたね。

北野天満宮 菊2

北野天満宮 本殿


●醍醐天皇がノイローゼになったのは道真のストーカー行為が原因だった?


道真は醍醐天皇に対する乙女チックな恋心を詩に詠んだのではなく、猛烈な恨み心を詠んだのではないでしょうか。

最初にあげた現代語訳は間違いかもしれません。
次のように訳すべきかも。

去年の今夜は清涼殿の宴で、醍醐天皇のお傍にはべっていた私。
「秋思」という題で私は詩を詠んだ。
それなのに、醍醐天皇は藤原時平の讒言を真に受けて私を大宰府に左遷した。
思い出すとはらわたがちぎれてしまいそうだ。憎き、醍醐天皇め!
あの時、醍醐天皇からいただいた着物がここにある。
この着物は醍醐天皇の形代である。
毎日、こうして着物をとりだして、醍醐天皇の匂いをかいでは、恨んでやるのだ!

こんな歌を詠まれたら、醍醐天皇でなくてもノイローゼになりそう?

北野天満宮 楼門

北野天満宮 楼門


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/10/31 00:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)