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葛城山 紅葉 すすき 『雄略天皇、葛城神、一言主神は同一神だった?』 

奈良県御所市 葛城山
2014年11月3日 撮影


葛城山紅葉 
●能・葛城

知らなかったんですが、能に葛城という作品があるそうです。

出羽国(山形県)・羽黒山の山伏が、大和国(奈良県)葛城山へとやって来ました。
たいへんな雪に困っていると里女が彼女の庵へ案内してくれました。
そして焚火をして山伏を温めてくれたのでした。

里女は山伏に言いました。
「雪の中で集めて束にした木々の細枝を標〔しもと〕といいます。
標結ふ 葛城山に 降る雪の 問なく時なく 思ほゆるかな という古歌もあるんですよ。」と。

山伏が夜の勤行を始めようとすると、里女は「自分の三熱〔さんねつ〕の苦しみを助けて下さい」と言いました。
山伏が女性の素性を訪ねると「自分は葛城の神ですが、昔、役の行者に命ぜられた岩橋を架けなかったため、不動明王の索に縛られ苦しんでいるのです。」といって消えてしまいました。
山伏は女神のために祈祷すると葛城の神が現れ、、お礼を述べて舞い、岩戸の中へ姿を隠しました。

葛城山 紅葉と薄 
●標を束ねる葛

標結ふ 葛城山に 降る雪の 問なく時なく 思ほゆるかな
標(しもと)を束ねるのに葛を用いたので、葛城を導く言葉として用いられているそうです。

この歌は古今和歌集にある歌だそうですが、ぐぐっても現代語訳がでてきません~。

「木々の細い枝を束ねた標(しもと)を束ねる葛、その葛の文字を持つ葛城山に降る雪を絶え間なく思っています。」
みたいな意味ですかね?
間違っていたらご指摘いただけますと嬉しいです。

のちに女神は
自分は葛城の神ですが、昔、役の行者に命ぜられた岩橋を架けなかったため、不動明王の索に縛られ苦しんでいるのです。
と言っています。


女神は自分を細い枝にたとえ、葛で束ねられた標(しもと)のように不動明王の索に縛られていることを伝えようとして
標結ふ 葛城山に 降る雪の 問なく時なく 思ほゆるかな
という古歌を持ち出したのではないでしょうか。

不動明王の索とは不動明王が手に持っている羂索(投げ縄のようなもの)のことではないかと思います。


●葛城の神は一言主神だった?

平安時代の「日本霊異記」や「今昔物語集」にはこんな話が記されています。

役行者は鬼神たちに葛城山と吉野金武峰山を結ぶ橋をかけるよう命じたが、一言主神は顔が醜いのを気にして夜しか働かなかったため橋は完成しなかった。
これに怒った役行者は一言主神を呪術で縛り付けた。


能「葛城」で女神は
昔、役の行者に命ぜられた岩橋を架けなかったため、不動明王の索に縛られ苦しんでいるのです。
と言っています。

葛城の神とは一言主神だったんですね!

●容姿の醜い一言主神

能「葛城」では女神はただ「岩橋を架けなかった」と言っていますが、「日本霊異記」や「今昔物語集」では「一言主神は顔が醜いのを気にして夜しか働かなかった」となっています。

祇園祭 宵山 役行者山

上の写真は祇園祭・役行者山の御神体で、中央が役行者、向かって右は葛城神、向かって左は一言主神です。
一言主神は鬼の姿をしています。
私なんかは鬼の姿をした一言主神ってかっこいいと思いますが、一般的に見て美しいとは言い難いかも。
やはり観音菩薩のような優し気な顔を美しいと思う人がほとんどでしょう。

●やっぱり一言主神は女神だった。

雄略天皇が葛城山に登る時、向かいの山の尾根伝いに山に登る人たちがありました。
その一行は天皇の一行とまったく同じいでたちをしていました。
雄略が『この大和の国に私をおいてほかに大君はないのに、今誰が私と同じ様子で行くのか』と問うと、向かいの山の方から、全く同じ返答が返ってきました。
雄略やお供の者が怒って矢を弓につがえると、向こうの人たちも矢をつがえました。
雄略が『そちらの名を名乗れ。そしてそれぞれが自分の名を名乗って矢を放とう。』と言うと、
『私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。私は悪いことも一言、良いことも一言、言い放つ神。葛城の一言主の大神である。』と返事が返ってきました。
これを聞いた雄略は畏まり、『おそれおおいことです。わが大神よ。現実の方であろうとはわかりませんでした。』
と言い、自分の刀や弓矢、お供の着ている衣服も脱がせて拝んで献上しました。
一言主大神は、手を打ってそれを受け取り、雄略が帰る時、一言主大神一行が雄略を長谷の入口まで送りました。 

そして雄略天皇は次のような歌を詠んでいます。

籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家をも名をも

(ヘイ彼女。いい籠持ってるじゃん。いいヘラ持ってるじゃん。この丘で菜を摘む彼女、家はどこ?名前はなんてーの?
大和の国は僕ちんが治めてるんだよん。僕ちんこそ名乗っちゃうよ。家柄も名前も。/友人による現代語訳です。)

これは先にご紹介した伝説(青文字部分)の、雄略天皇と一言主神の出会いの歌ではないかと私は思うんですね。
つまり、菜を摘む娘は一言主神ではないかということです。

ナンパしてきた雄略天皇に対して、娘はこう答えたのではないでしょうか。

『私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。私は悪いことも一言、良いことも一言、言い放つ神。葛城の一言主の大神である。』
参照/一言主神社 秋季大祭 『性別がルーズな日本の神』

そう、雄略天皇がナンパした娘は一言主神じゃないかと私は思うんです。

能「葛城」は一言主神が女神であることを裏付けているように思えます。

葛城山 薄

●三熱の苦しみ

能「葛城」では一言主神と思われる女神が
「三熱〔さんねつ〕の苦しみを助けて下さい」
と言っています。

三熱とは仏教の用語で、竜・蛇などが受ける三つの苦悩のことです。

①熱風・熱砂に身を焼かれる。
②悪風が吹いて住居・衣服を奪われる。
③金翅鳥 (こんじちょう) に食われる。

ちょっとまってー。
雄略天皇の伝説にこうあったではありませんか。

雄略は畏まり、『おそれおおいことです。わが大神よ。現実の方であろうとはわかりませんでした。』
と言い、自分の刀や弓矢、お供の着ている衣服も脱がせて拝んで献上しました。
一言主大神は、手を打ってそれを受け取り、雄略が帰る時、一言主大神一行が雄略を長谷の入口まで送りました。


もしかして、雄略天皇は三熱の②「悪風が吹いて住居・衣服を奪われる。」に該当するのでは?

でも能「葛城」では三熱の苦しみがあるのは葛城の神=一言主神だったはず。

いや、一言主神と雄略天皇は全く同じいでたちをしているのでしたね。
全く同じいでたちをしていたということは、一言主神と雄略天皇は同一神?

さらに、葛城の神と一言主神は同一神と考えられるので、葛城神・一言主神・雄略天皇は同一神ということになりませんか?


葛城山 薄2   


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/10/27 00:03] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)