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常林寺 木槿 萩 『世継子育地蔵尊と遠敷明神は同体だった?』 

京都市左京区 常林寺
 2016年9月15日 撮影

 常林寺 木槿 

●世継子育地蔵尊

京阪出町柳駅下車してすぐのところに常林寺があります。

常林寺は1573年に創建されたお寺で、創建当時は寺町通荒神口東入る南側にありました。
ところが1671年に焼失し、同年現在地に移転しました。

常林寺 地蔵堂 萩

↑ 常林寺境内にある地蔵堂です。

地蔵堂には世継子育地蔵尊が祀られています。
こらのお地蔵さまは常林寺が移転してくる以前からここにあったそうです。

常林寺の門前の道はかつて若狭街道と呼ばれていました。
世継子育地蔵尊は、この若狭街道を往来する人々に厚く信仰されたといわれます。

●鯖街道

若狭街道は小浜市~若狭町三宅~現出町商店街とほぼ南北に繋がる街道で、魚介類の物流に用いられたため鯖街道とも呼ばれました。
(国道27号、国道367号に相当)

https://gazoo.com/drive/recommend_route/Pages/22343.aspx
こちらのサイトの地図がわかりやすいかも。

若狭湾で撮れた鯖を塩でしめ、行商人が徒歩で1日かけて京都まで運んだのだとか。
京都につくころには鯖の塩加減がちょうどよくなっていたそうですよ。
あー、鯖が食べたくなってきた~♪

●若狭街道の歴史は1300年以上?

平城宮跡や飛鳥の都の跡から出てきた木簡には、若狭から海産物が運ばれたと思われる記述があるそうです。
そうすると、若狭街道の歴史は1300年以上?

●奈良東大寺二月堂の閼伽井と繋がっていた若狭


若狭は古より奈良の都と関係が深かったのだろうと推測します。

二月堂 修二会 お松明 
東大寺二月堂 修二会 お松明

東大寺二月堂の閼伽井屋(若狭井)では毎年3月12日深夜ごろに修二会の行事のひとつ、お水取りが行われています。
これに先駆け、若狭・遠敷川の鵜の瀬では3月2日にお水送りの行事が行われています。

お水送り 
若狭 お水送り

なんでも鵜の瀬と二月堂若狭井は地下でつながっており、鵜の瀬より流した香水が10日で二月堂若狭井に到着するというんですね~。
そしてこれをくみ上げて仏前にお供えするというのがお水取りの行事です。

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-6/2012_09_07.htm
こちらのサイトによれば、京都盆地の地下には地下水脈、地底湖がある可能性があるとのことですが、どうなんでしょうね?
本当に繫がっているんでしょうか?

それはさておき、二月堂修二会がはじめられたのは751年といいますし、お水取りの起源も実忠(726~?)とされているので、奈良の都と若狭は古くからつながりがあったと言えるでしょう。

●鵜の瀬は二月堂のほぼ真北にある

鵜の瀬は東経135度47分30秒の場所にあります。
東大寺二月堂は統計135度50分39.4秒で、鵜の瀬はほぼ真北にあります。



二月堂は奈良の文字のやや右(東)。

●北は神聖な方角だった。

ここから「天子、南面す」という言葉を思い出します。

⚫︎天子…天から統治を許された人物は北極を背にして、南を向く、という意味。
http://nihonsinwa.com/page/1126.htmlより引用

つまり天子は北極星に例えられているのだと思います。

この様に、北は神聖な方角であると考えられていたようです。
それで、東大寺二月堂の修二会では神聖なる北の方角から香水を送り、それを汲むという行事が行われているのではないかと思います。

●遠敷明神は水銀の神?

この『お水送り』『お水取り』には次のような伝説があります。

若狭彦神社の遠敷明神(おにゅうみょうじん)は漁に出かけていて、修二会に遅刻しました。
遠敷明神がそのお詫びに閼伽水を送ることを約束すると、二月堂の下の岩が割れ、白黒二羽の鵜とともに清水が湧き出しました。


遠敷(おにゅう)や二羽の鵜とは丹生(ニュウ。丹とは水銀のこと)の意味ではないかとする説があります。

そして東大寺の大仏建立の際、大仏に金アマルガム(金に水銀をまぜて溶かしたもの)を塗り、水銀を加熱して蒸発させることで鍍金(金メッキ)をほどこしたといわれ,(このため、奈良の都には大変な水銀汚染被害があったと考えられています。)
二月堂のお松明の行事は、大仏に鍍金をほどこす様を再現したものではないかという説もあります。

水銀は昔は『みずかね』と呼ばれていました。
お水とりの水とは『みずかね』のことだったのかもしれませんね。

●世継子育地蔵尊は遠敷明神の本地仏?

常林寺に戻りましょう。

奈良時代、都に海産物を運ぶためには若狭街道を通り、さらに南下して都のある奈良へ向かったのではないでしょうか。
行商人たちは古くからこの世継子育地蔵尊の前を通ったことでしょう。

常林寺 萩

日本では古くより神仏は習合して信仰されていました。
これは、日本古来の神々(スサノオ、菅原道真など)は、仏教の神々(薬師如来、十一面観音など)が衆上を救うために仮にこの世に姿を著したものであるという考え方(本地垂迹説)に基づくものでした。
そして日本古来の神(スサノオ、菅原道真など)のことを権現、日本古来の神のもともとの正体である仏教の神(薬師如来、十一面観音など)のことを本地仏といいました。

常林寺の世継子育地蔵尊は遠敷明神の本地仏として、古来よりここに祀られていたのではないかと思ったりしました。



毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/10/06 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)