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當麻山口神社 宵宮祭 當麻寺 彼岸花 『ご先祖様に子孫誕生を報告するお祭り?』 

奈良県葛城市 當麻山口神社
宵宮祭 9月22日

●當麻山口神社 宵宮祭

9月22日、當麻山口神社で宵宮祭が行われるというので友人を誘って行ってみました。

宵宮祭に参列する氏子さんたちがぞくぞくとやってきて拝殿に着席されます。
観光客は私と友人のふたりだけで、「ここにいて写真を撮ってもいいんだろうか?」と不安な気持ちに~。
ですが、みなさん親切で、「写真撮ってもいいですよ」とおっしゃってくださいました。

おごそかに神事が行われる中、私たちのカメラのシャッター音がやけに響いて~(汗)
氏子さんの中にはうるさいと感じられた方がおられるかもしれません。
もしもそうだったら申し訳ありませんでした。

當麻山口神社 宵宮祭

  宵宮祭は新生児が神職さんより祈祷を受け、絵馬を奉納するというものです。
絵馬は拝殿に4枚ほど奉納されていましたが、赤ちゃんの姿はありませんでした。
少子化のため、今年はこの地域で赤ちゃんが生まれなかったのかも?
それで氏子さんの、離れて住むお孫さん、親戚の子供さんなどの絵馬を用意したのではないかと想像します。

http://www.lint.ne.jp/nomoto/PHOTOSALON/kinsatu_1109.html
↑ こちらの方はかわいい赤ちゃんを入れて素敵な写真を撮っておられます。いい写真ですね!

當麻山口神社 絵馬堂

當麻山口神社 絵馬堂の絵馬

●宵宮祭の本来の意味は還御祭だった。

宵宮祭について、コトバンクには次のように記されています。

夜宮,宵宮祭,宵祭とも。現在は例祭の前夜に行われる前夜祭,準備祭となっているが,本来は当番の家やお旅所に奉安されていた神霊が本祭のため本社に帰る還御祭に当たり,例祭の中でも重要な位置を占めていた。

https://kotobank.jp/word/%E5%AE%B5%E5%AE%AE-652649より引用

傘堂 
當麻山口神社の隣にある傘堂

●當麻山口神社宵宮祭の本祭は?

當麻山口神社宵宮祭の翌日に本祭はありません。
1か月後の10月22日に例大祭がありますので、この例大祭の宵宮祭という意味なんでしょうか?
詳しい方、おられましたら教えてください!

●當麻山口神社宵宮祭は彼岸の行事?

暦法のひとつである二十四節気とは1太陽年を24に分割して季節をあらわす名前をつけたものですが
この季節を表す名前の中に春分・秋分があります。
春分と秋分には太陽は真東よりのぼり真西に沈みます。
そのため、春分と秋分には、西方にある極楽浄土に思いをはせる習慣が生じ、さらに先祖供養をする習慣が生じたとされます。
この習慣のことを彼岸といいます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%88%86%E3%81%AE%E6%97%A5#.E8.BF.91.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.98.A5.E5.88.86.E6.97.A5.E3.81.A8.E7.A7.8B.E5.88.86.E6.97.A5

上記ウィキペディアに近年の秋分日が記されていますが、だいたい9月23日ですね。9月22日が秋分日の年もありますが。
當麻山口神社の宵宮祭は毎年9月22日です。
もしかして氏子さんたちが各自めいめいで、先祖供養をする秋分日が本祭で、その宵宮祭という意味合いがあるのかも?

●彼岸と日の没する山・二上山

當麻山口神社は二上山の麓にありますが、奈良から見て二上山は西に位置し、夕日の沈む山であると古より認識されていたと思われます。

私も奈良で二上山に沈む夕日の写真をたくさん撮っています。

二上山 落日

奈良県明日香村より二上山を望む 

●當麻寺の練り供養は沈む太陽を比喩する行事だった?


當麻山口神社はかつて當麻寺境内にあったそうで、當麻寺と関係の深い神社だと考えられます。



その當麻寺では5月に『當麻のお練り』という行事が行われています。

 當麻のお練り


「當麻のお練り」は當麻寺に伝わる中将姫伝説を再現したものです。

中将姫伝説とは次のようなものです。

中将姫は藤原豊成と紫の前の間に生まれましたが、中将姫が幼いころ、母親の紫の前は亡くなってしまいました。
藤原豊成は照夜の前という後妻を迎えましたが、照代の前は中将姫を憎み継子いじめをしていました。
豊成が諸国巡視の旅に出かけた際、照夜の前は従者に中将姫を殺すようにと命じました。
しかし従者は中将姫を殺すにしのびず、雲雀山に置き去りにしました。
中将姫は雲雀山に草庵を結び念仏三昧の生活をおくっていましたが、1年後、遊猟にやってきた父・豊成と再会して都へ戻りました。
その後中将姫は出家して當麻寺に入りました。
29歳のとき、阿弥陀如来をはじめとする二十五菩薩が来迎して中将姫は生きながらにして西方浄土に向かいました。

私は中将姫とは太陽を擬人化したものであり、中将姫が生きながらにして西方浄土に向かうとは、沈み行く太陽が二上山の向うの西方浄土に向かうさまを表現したものではないかと思います。

當麻寺周辺は沈み行く太陽に対する信仰の厚い地域であったのではないでしょうか。

●死者に自らの穢れをあの世にもっていってもらう。

即成院 二十五菩薩練り供養 

↑ こちらは京都・即成院の二十五菩薩練供養です。
即成院本堂には二十五菩薩と阿弥陀如来像が安置されています。
即成院の練り供養は、當麻寺の練り供養と同じく、西方浄土より二十五菩薩が死者を迎えに来る様子を再現したものです。

この行事について、梅原猛さんは「死者に自らの穢れをあの世にもっていってもらう」という信仰があったというような意味のことをおっしゃっていたように記憶しています。

彼岸は西国浄土に思いをはせ、西国浄土におられるご先祖様の供養をする日です。
當麻山口神社の宵宮祭は、このご先祖様に子孫の誕生を報告し、また生まれた子供の穢れをご先祖様にもっていってもらうという行事なのかも?

當麻寺 彼岸花

當麻寺 彼岸花


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/09/29 16:34] 奈良の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)