京都市西京区 法輪寺
重陽神事 9月9日●菊の被綿↓ これは何でしょう?
菊の被綿(法輪寺)
古には奇数は陽、偶数は陰の数字と考えられていました。
9は一桁の数字では最も大きな数字なので、陽が極まった数字であるとして、9月9日は「重陽の節句」とされていました。
「重陽の節句」は「菊の節句」とも呼ばれていますよ。
重陽の節句の前夜、菊の花に綿をかぶせ、翌朝、綿についた雫で体を撫でると長寿になると言われていました。
これを「菊の被綿(きせわた)」といいます。
上の写真は菊に綿を被せたものだったのですね。
●700歳の長寿を得た菊滋童
なんで「菊の被綿」などという習慣が生じたのでしょうか。
それは700歳の長寿を得た菊滋童の伝説からきます。

菊滋童の像(法輪寺)
周の穆王が寵愛していた少年・菊慈童は、あるとき誤って帝の枕の上を超えてしまい、レッケン山に流刑となりました。
穆王は菊滋童に観世音菩薩 普門品というお経にある「具一切功徳慈眼視衆生、福聚海無量是故応頂禮」を毎日唱えるようにと言いいました。
菊慈童がこれを菊の下葉に書きつけたところ、菊の下葉の露が不老長寿の薬となりました。
そしてそれを飲んだ菊滋童は700歳の長寿を得ました。
法要のあと、菊滋童の舞が舞われました。●穆王と菊滋童はBLだった。菊滋童が穆王の枕を超えた、という点に注意してください。
穆王は菊滋童を寵愛していたとありますが、これは単に「かわいがっていた」という意味ではなく、「BLの関係にあった」ということでしょう。(きゃー♡)
●♂と♂が重なることはまさしく重陽陰陽では男は陽、女は陰です。
♂と♂が重なることはまさしく重陽だといえるのではないでしょうか?
つまりBLは長寿の妙薬ということだと思います。
日本で男色がたしなみとされていたのはそのためでは?
●軍配は魂を呼び寄せる呪具だった。
菊滋童は手に軍配団扇のようなものをもって舞っていますね。
軍配団扇というより団扇かな?
唐招提寺の『うちわまき』で用いられる団扇に似ています。
http://narashikanko.or.jp/event/index.php?m=d&id=67団扇はもともとは魂を呼び寄せるための呪具だったと聞いたことがあります。
菊滋童が御本尊の前で繰り返し団扇を振っているのを見ていると
御本尊の魂を蘇らせようとしているのではないか、と思えてきました。
菊滋童が700歳の長寿を生きることができたのは、繰り返し何度も死んでは蘇ったためだったりして?
●軍配団扇を持つ布袋
そういえば、京都・六道の辻にある西福寺の門前には軍配団扇を持つ布袋像が置かれています。
布袋像はサンタクロースのように大きな袋を持つ姿が多いですが、このように軍配を持つ姿の布袋もあるようです。
以前、布袋で画像検索したら、このような姿の布袋像がいくつか出てきました。
布袋は中国に実在した僧で、死後に姿を見かけられています。
布袋は一旦死んだあと、生き返ったということだと思います。
布袋が弥勒菩薩の化身とされるのも、布袋が生き返ったからだと私は考えています。
弥勒菩薩は56億7000万年後に復活する(生き返る)菩薩とされていますので。
西福寺の布袋が軍配団扇を持っているのは、死者の魂を呼び寄せるためではないでしょうか。
六道珍皇寺 迎鐘西福寺の近所には死者の魂を呼び寄せるという六道珍皇寺の鐘があり、お盆には「迎鐘」といってこの鐘をついてお精霊さん(おしょらいさん/先祖の霊のこと)をお迎えするという習慣がありますね。
西福寺にも迎鐘があります。
西福寺 迎鐘