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本薬師寺跡・布袋葵 と 薬師寺・月 『妄想の本薬師寺』  

 
本薬師寺跡 布袋葵 日傘 
●藤原京の薬師寺跡

今はただホテイアオイが生い茂る休耕田ですが、飛鳥時代、ここには薬師寺がありました。 

本薬師寺跡 

680年、天武天皇が皇后・鵜野讃良(うののさらら/のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立を発願しました。
686年,天武天皇は薬師寺の完成を見ないまま崩御されました。
薬師寺の造営がほぼ完成したのは発願から18年後の698年のことでした。

本薬師寺 布袋葵

690年には藤原京建都の工事も始まり、 694年に藤原京遷都が行われました。
藤原京がほぼ完成したのは704年のことです。
薬師寺はこの藤原京の中に建っていました。

●薬師寺の意の二基の塔は天武天皇と持統天皇の象徴だった?

本薬師寺 塔跡 布袋葵

↑ 本薬師寺東塔跡の心礎です。
塔の心礎には仏舎利が置かれます。
仏塔は墓だといってもいいでしょう。

持統天皇は703年に崩御し、野口王墓古墳に天武天皇とともに葬られました。
当時の人々は薬師寺の二基の塔を見上げるたびに天武天皇と持統天皇を思い出したことでしょう。

●捨てられた藤原京

本薬師寺跡 布袋葵2

ところが藤原京遷都から16年後、藤原京完成からわずか6年後の710年、平城京遷都が行われました。
これに伴い、薬師寺は現在の奈良市西ノ京町に移転しました。
薬師寺は18年もの歳月を費やして建立されたにもかかわらず、その後わずか22年で平城京に移転してしまったのです。
 
●平城京に移転した薬師寺の塔は藤原氏の象徴?


平城京に移転した薬師寺にも二基の塔が作られました。

梅原猛氏は、薬師寺は平城京に移転することで、天武天皇・持統天皇を象徴するものから、聖武天皇と光明皇后の象徴に変わった、というような意味のことをおっしゃっておられたと記憶しています。

平城京遷都をおしすすめたのは藤原不比等です。
藤原不比等の娘の光明皇后は人臣として初めて皇后になるなど、天皇家と藤原氏には密接な繋がりがありました。
薬師寺は官寺ですが、平城京移転には藤原氏の財力が相当用いられたと考えられます。
梅原氏の指摘どおり、薬師寺の二基の塔は聖武天皇と光明皇后の象徴であり、また藤原氏の権力の象徴でもあったことでしょう。

薬師寺 月
塔百景13


本薬師寺跡からの帰路、西の京にある大池の前を車で通りかかりました。
池の向こうには薬師寺の西塔・東塔があり、その姿を水面に写していました。
(現在、薬師寺の東塔は解体修理中で写真のような景観ではありません。)

藤原京の薬師寺の、二基の塔が並ぶ風景もこんな感じだったんでしょうか。
↓ と、いうことで藤原京の薬師寺を妄想してみました。(笑)



妄想の本薬師寺 布袋葵 

塔百景14


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/09/01 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)