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浮見堂より大文字送り火を望む 『天皇(すまらぎ)の 神の御子の 御駕(いでまし)の 手火(たび)の光りぞ ここだ照りたる』  

奈良市春日野町  鷺池
大文字送り火・・・8月15日 


浮見堂 夕景 2 

夕暮れの鷺池、浮見堂。

 

浮見堂 夕景 

闇に包まれるころ、奈良の大文字送り火が点火されます。
奈良の大文字送り火は昭和35年8月15日に戦没者慰霊と世界平和を祈って始められました。

奈良大文字送り火


●志貴皇子の葬列の送り火

大文字送り火が点火される山は高円山といい、奈良時代の皇族・志貴皇子の墓があります。

万葉集に笠金村が詠んだ志貴皇子への晩歌があります。

亀元年歳次乙卯の秋九月、志貴親王の薨ぜし時に作る歌 并せて短歌

梓弓 手に取り持ちて 大夫(ますらを)の 得物矢(さつや)手挟み 立ち向ふ
高円山(たかまどやま)に 春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何(い)かと問へば
玉鉾の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲の 衣ひづちて 立ち留まり 吾に語らく
なにしかも もとな唁(と)ふ 聞けば 泣(ね)のみし哭(な)かゆ
語(かたら)へば 心ぞ痛き天皇(すまらぎ)の 神の御子の 御駕(いでまし)の 手火(たび)の光りぞ ここだ照りたる

(梓弓を手に持ち、勇士たちが狩の矢を指に挟み持ち、立ち向かい狩をする高円山。
その高円山に、春野を焼く野火のように火が燃えている
「この火は何か、」と問うと、小雨が降ったかのように涙で真っ白な喪服を濡らしながら道を歩いて来る人が立ち止まって答えた。
「どうしてそんなことをお尋ねになるのですか。
聞けば、ただ泣けるばかり。語れば、心が痛みます。
天皇の尊い皇子様の、御葬列の送り火の光が、これほど赤々と照っているのです。」)

この歌をふまえて見ると、大文字送り火が志貴皇子のご葬列の送り火のように見えてきます。


●大文字送り火の由来

高円山に大文字送り火の由来を記した碑があり、次のように記されているそうです。

高円山はかつて聖武天皇が離宮を営んだ地であり、弘法大師の師匠で大安寺の僧であった勤操が岩渕寺を創建した霊山である。
また護国神社のご神体の裏に位置する。こういったことから、高円山に大文字送り火を点火することにした。


護国神社は明治維新から第二次世界大戦までの奈良県出身の戦死者29,110柱の英霊を祀る神社で、昭和17年に創祀されました。

春日山岩渕寺は奈良時代に大安寺の僧、勤操(ごんぞう)によって創建されたと伝えられています。
勤操は空海の師匠で、空海は岩渕寺で勤操に弟子入りをしたそうです。

ところがいつのことか、岩渕寺は廃寺となってしまいました。
新薬師寺の十二神将はもとは岩渕寺にあったものだといわれています。
また白毫寺は岩渕寺の一院ではないかともいわれていますが、
白毫寺は志貴皇子の邸宅跡だともされています。

岩渕寺は志貴皇子の霊を弔うための寺だったのはないかと思ったりします。




毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/08/15 00:00] 奈良の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)