鷺池 浮見堂 百日紅となら燈花会  『大伴家持、藤原仲麻呂を批判する歌を詠む?』 

 
奈良市高畑町 鷺池・浮見堂
なら良燈花会・・・ NPOなら燈花会 公式サイト


浮見堂 百日紅


鷺池のほとりの百日紅が見頃となるころ、なら燈花会が行われます。 

 
浮見堂 ライトアップ 

青い光はカメラのストロボですが、アクセントになってきれいなんじゃないかと思います!

ときどき「ストロボ焚くなーー!」とか怒られる方がいますけど、他の方が焚いたストロボの光を拾って面白い写真になることも結構ありますよね~。
ゆったりおおらかにいきましょうや~。(と自分に言い聞かせる~)

浮見堂の右上の山に扁平な△が見えますが、この山は高円山で8月16日にはここに大文字の送り火が点火されます。
(送り火の写真は後日アップします。)

●藤原仲麻呂政権を批判する歌

758年、中臣清麻呂の屋敷で催された宴会の場で、高円山の歌が詠まれています。

高円の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば /大伴家持
(高円の 野の宮は荒れてしまいました。その野に立っていた君の御代も遠い昔になってしまったのですね。)

高円の 峰の上の宮は 荒れぬとも 立たしし君の 御名忘れめや(大原今城)
(高円の 峰の上の宮は荒れてしまいましたが、そこに立っていた君の御名を忘れることはありません。)


高円山には聖武上皇の離宮があったのですが、宴会が行われる少し前の756年に聖武上皇は崩御されていました。
そして同年、聖武上皇の娘である孝謙天皇は淳仁天皇に譲位しています。
淳仁天皇の即位は当時権力を握っていた藤原仲麻呂の後押しを受けたものでした。
大友家持や大原今城の歌は藤原仲麻呂政権を批判したものだと思います。

●大伴家持は反骨精神旺盛だった?


763年に大伴家持は藤原良継・石上宅嗣・佐伯今毛人らと藤原仲麻呂暗殺計画を企てたとして逮捕され、764年には薩摩へ左遷されています。

同年、藤原仲麻呂は孝謙上皇と対立して挙兵しますが敗れて斬首されました。
そして孝謙上皇が再び皇位について称徳天皇となり、僧の道鏡を重用しました。

770年、称徳天皇が崩御し、道鏡が失脚すると大伴家持は順調に昇進するようになります。
782年に氷上川継の乱への関与を疑われて都を追放されるも、翌年には許されて中納言となっています。

785年、大友家持は死亡しましたが、藤原種継暗殺事件に関与したとして墓から死体が掘り出されて流罪となりました。
大伴家持はなかなか反骨精神の旺盛な人であったような印象を受けます。

浮見堂 ライトアップ2 


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/08/12 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)