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祇園白川 八朔 『正月と八朔は最も重要な日?』 ※追記あり & 一部書き直しました。 

京都市東山区祇園、宮川町付近
八朔・・・8月1日 

祇園 八朔   

8月1日、祇園白川、宮川町あたりでは挨拶回りをする芸妓さん、舞妓さんの姿が見られます。

●朔は新月

八朔は八月朔日の略です。
朔とは新月のことです。

●旧暦は月がカレンダーがわりだった。

旧暦(太陽太陰暦)は月の満ち欠けの周期に基づく暦で、月がカレンダーがわりだったのです。
つまり、月齢がそのまま何日であるかを示していたのですね。

http://koyomi8.com/moonage.htm
リンク先は2016年の月齢カレンダーです。
新月は8月3日ですね。
旧暦では新月のこの日が1日となります。
 
祇園白川 八朔3

●二十四節気の雨水の直前の朔日が旧暦1月1日

ただし、2016年8月3日は旧暦では8月1日ではなく、7月1日です。
というのは、旧暦1月1日は二十四節気(1年を24に分けた暦)の雨水(2月19日ごろ)の 直前の朔日とされているためです。

●二十四節気

今はあまり使わないので、「二十四節気ってな~に?」という人もいるかもしれませんね。

太陰暦は一か月の周期が約29.5日なので、1年の日数・・・29.5日×12か月=354日となります。
みかけ上太陽が地球を一周する周期は365日なので、1年で11日、3年で33日もずれてしまいます。
そこで3年に1度、閏月を入れて調整していたのです。
つまり、3年に1度、1年が13か月ある年があったということですね。

このように、旧暦は月がカレンダーがわりとなって便利な反面、実際の季節とずれが生じるという問題点がありました。
そこで、みかけ上太陽が地球を一周する周期を、24等分した二十四節気という暦を併用していたのですね。

2016年はこうなっています。(年によって日にちが1日ほどずれることもあります。)

立春/2月4日 雨水/2月19日 啓蟄/3月5日 春分/3月20日 清明/4月4日 穀雨/4月20日 
立夏/5月5日 小満/5月20日 芒種/6月5日 夏至/6月21日 小暑/7月7日 大暑/7月22日
立秋/8月7日 処暑/8月23日 白露/9月7日 秋分/9月22日 寒露/10月8日 霜降/10月23日
立冬/11月7日 小雪/11月22日 大雪/12月7日 冬至/12月21日 小寒/1月6日 大寒/1月21日
※日付は太陽暦による

祇園白川 八朔4
●八朔は新暦9月ごろの行事だった。

旧暦1月1日は二十四節気の雨水(2月19日ごろ)の 直前の朔日とされているのでしたね。
2016年を例にとって見てみましょう。
雨水は2月19日で、その直前の朔日は2月8日です。この日が旧暦1月1日となります。

旧暦2016年1月1日・・・新暦2016年2月8日
旧暦2016年2月1日・・・新暦2016年3月9日
旧暦2016年3月1日・・・新暦2016年4月7日
旧暦2016年4月1日・・・新暦2016年5月7日
旧暦2016年5月1日・・・新暦2016年6月5日
旧暦2016年6月1日・・・新暦2016年7月4日
旧暦2016年7月1日・・・新暦2016年8月3日
旧暦2016年8月1日・・・新暦2016年9月1日

本来、八朔の行事は新暦9月ごろ行われていた行事だったんですね。

祇園 八朔


●『田の実の節句』


早稲の穂が実るころで、農民の間でお世話になった人々へ初穂を贈る風習がありました。
初穂=田の実ということで、『田の実の節句』ともいわれています。
『たのみ』は語呂合わせで『頼み』に通じることから、武家や公家の間でも、八朔に贈り物をする習慣が生じたと言われています。 

●祇園の八朔の挨拶回り

祗園では舞妓さんや芸妓さんが8月1日に黒い正装の着物を着て八朔の挨拶回りをします。 

八朔の挨拶回りのとき、舞妓さんはうなじに三本の筋をいれます。
これはヤタガラスの三本足をあらわしていると言われています。

旧暦の8月1日は少し秋の気配が漂うころですが、新暦の8月1日は1年の中でも最も暑いころです。
そんな強烈な暑さの中、正装の黒の着物を着て挨拶回りするのですから大変ですね~。

祇園白川 八朔 舞妓さん   

●祇園では八朔は正月と同じく重要視されていた?

12月13日は正月事始めの日で、この日から正月準備を始める習慣があります。
祇園ではこの日より事始めといって、挨拶回りをする習慣があります。
でも事始めの挨拶は正装の黒の着物ではありません。

※追記/正月の始業式には黒の着物を着るんですね。知りませんでした。
教えてくれた aunt carrotさん、ありがとうございます!

祇園白川 事始め

事始め


祇園では八朔は正月と同じく、最も重要な日であると考えられていたのではないでしょうか?

梅原猛さんは数字の8は復活を意味する数字ではないか、とおっしゃっています。
八角堂や八角墳は死者の復活を願って造られたのではないかというのです。
そういえば、天岩戸に籠った天照大神が復活するのに用いられた鏡は八咫鏡といいますね。

舞妓さんのうなじに描かれた三本の筋は三本脚の八咫烏を表すと言われていますが
八咫烏は中国や朝鮮では太陽の中に描かれることが多く、復活した太陽神なので、数字の8をつけて八咫烏と呼ばれているのかもしれませんね。




毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/08/02 00:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)