奈良県吉野郡天川村 洞川温泉
行者祭・・・8月2日、3日
役行者にはこんな伝説があります。
役行者は葛木山と金峯山の間に石橋を架ける計画をたて、鬼神に橋を架ける工事をさせました。
一言主神は自分の姿が醜いのを気にして夜しか働かなかったので、役行者は一言主神を縛り付けました。
そこで一言主神は「役行者が謀反を企てている」と偽りを言いつけ、役行者は伊豆へ流刑になりました。
↑ 祇園祭・行者山のご神体の役行者(中央)、一言主神(向かって左)、葛木神(向かって右)です。
その後、 役行者は無罪であることがわかり、許されて奈良の大峯山に戻ってきます。
洞川温泉はその大峯山に登山口にあり、行者祭は戻ってきた役行者を村人たちが鬼踊りをして出迎えたようすをあらわしたものだと言われています。

↑ 腰つきのエロさがたまらない(笑)「ひょっとこ踊り」
日が暮れると行列が始まりました。
獅子舞、天狗、そして鬼たちが大暴れ~!
●後鬼の末裔が開いた宿場町洞川は古くから大峰講の宿場町でした。( 温泉は近年ボーリングで掘り当てたもの)
役小角は前鬼・後鬼という夫婦の鬼を従えていましたが、洞川は後鬼の末裔によって起こされたと伝えられています。
前鬼・後鬼は生駒山地に住み、人に悪さをしていました。
そこで役行者は彼らの5人の子供のうち末の子を鉄釜に隠し、子供を殺された親の身になってみろ、と訴えました。
前鬼・後鬼は心をいれかえ、役小角の弟子になりました。
前鬼と後鬼の5人の子は下北山村に修行者のための宿坊を開きました。
●長寿企業・小仲坊宿坊のうち、4つは明治まで続きました。
残るひとつの宿坊、小仲坊の五鬼助家は今も続いています。
役行者は飛鳥時代末の人ですから、これらの宿坊の創建も飛鳥時代末ということになります。
世界最古の578年創業の金剛組(大阪市天王寺区四天王寺/創業者は聖徳太子)だといわれていますが、小仲坊もたいへんな長寿企業ですね。

●鬼の子孫61代目の当主は鬼の子孫だということになりますが、もちろん人間です。
鬼とは怨霊のことです。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、疫病や天災は怨霊の祟りによって引き起こされると考えられていました。
小仲坊の当主は、そうした人物の子孫だということなのでしょう。
前鬼はのちに天狗になったともいわれています。
ロックスターみたいだな~。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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