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法起寺 青空 /法輪寺 夕景 /法隆寺 花火 『人木の墓』  

奈良県斑鳩町 法輪寺 法起寺 法隆寺

法起寺 青空 

法起寺 塔百景95
 

斑鳩の里を歩くと田園風景の中に法隆寺、法輪寺、法起寺の3基の塔が次々に現れます。
この3基の塔のある風景に惹かれて何度ここにやってきたかなあ~♪



法輪寺の東に法起寺、法輪寺の南に法隆寺があります。

●消えた死体

『日本霊異記』に、『聖徳太子が不思議な事を示しなさった話』という話があります。

聖徳太子が片岡村を通りかかったとき、路傍に病気の老人が寝ていました。
太子は自分の着物を脱いで老人に与えましたが、帰りがけに見ると乞食に与えた衣が木の枝に掛けられており、乞食の姿はありませんでした。
太子はその衣を枝からとって着ました。
家来が『賎人が触って穢れた衣をなぜ着るのですか。』と尋ねると、太子は「お前の知らぬことだ」と答えました。
やがて、乞食が他の場所で死んでいるのが見つかり、太子は岡本村の法林寺の北東にあった守部山に墓を造って納め、人木の墓と名づけました。
後に太子の使いの者が墓の様子を見にいくと、墓の口は開いていないのに、乞食の遺体はなくなっていました。
そして、そこには一首の歌が立てかけられていました。

鵤の 富の小川の 絶えばこそ わが大君の 御名忘られめ
(斑鳩の富の小川の水が耐えたなら聖徳太子の御名は忘れられるでしょう。しかしそんなことは絶対にありません。)

使者は乞食を賎しいと見ましたが、聖徳太子は乞食が聖人であることを見抜いていたのです。


●法林寺は法輪寺
法輪寺 夕景  
法輪寺 塔百景9

『日本霊異記』に登場する岡本の法林寺とは法輪寺のことだと思います。
法輪寺は法林寺と書くこともあり、近所には岡本という地名もあります。

守部山、人木の墓の場所についてはわかりません。

●聖徳太子と達磨は同一人物だった?

この聖人は達磨であるとして建立されたのが達磨寺だとされています。

四天王寺 達磨像 


上の写真は聖徳太子が建立したと伝わる大阪の四天王寺にあった達磨像です。

四天王寺に達磨像があるのは、聖徳太子が着物を脱いで達磨の聖徳太子は老人に自分の着物を脱いで着せ、老人がいなくなったあと、またその着物を身に着けています。
着物を共用することで、聖徳太子と老人は同一人物であるということを示しているようにも思えます。

●人木の墓は法輪寺の三重の塔?

そうだとすると法林寺の東北にあったとされる『人木の墓』は聖徳太子の墓だということになります。

法輪寺は聖徳太子の皇子・山背大兄王が太子の病気平癒を願って建立したとされています。
そして仏塔とは仏舎利を祀るためのもの、つまり墓だといってもいいでしょう。

人木の墓とは法輪寺の三重塔のことではないのかな、と思ったりします。

法隆寺 花火

法隆寺 花火 塔百景96


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/07/27 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)