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慈受院 (薄雲御所) 楓  


薄雲御所2 

晴明神社を出て堀川通を北に向かって歩いていくと、ワインレッド色の楓の木が。
その楓にひきよせられるように近づいてみると、そこは慈受院というお寺でした。

1428年、室町幕府4代将軍・足利義持の正室の栄子が、義持の遺言を受けて個室の菩提を弔うために創建したお寺です。
その後、皇族・将軍家・近衛家・花山家が住職を務める門跡寺院となりました。

三条東洞院の高倉宮御所跡(中京区曇華院前町の東)に通玄寺という3代将軍・足利義光が創建したお寺がありました。
慈受院は曇華院・総持院とともに通玄寺の三子院のひとつとされていました。
慈受院は竹之御所、総持院は薄雲御所と呼ばれていました。

のちに通玄寺と曇華庵は合併し、曇華院と改称されましたが、1864年の蛤御門の変で焼失してしまいました。

慈受院は廃絶したようですが、総持院が両院の法灯を引き継ぐとして、寺号を慈受院と改めました。
しかし、寺名を改めたのちも、薄雲御所と呼ばれたようです。

ううーん、ややこしいですね~。
わかりやすいように、まとめておきますね。

通玄寺の三子院 
①曇華院・・・通玄寺と曇華庵が合併し、曇華院と改称された。1864年の蛤御門の変で焼失。
京都市中京区曇華院前町

②慈受院(竹之御所)・・・廃絶
京都市上京区荒神口通寺町東入北側

③総持院(薄雲御所)・・・大正時代、総持院と慈受院の法灯を引き継ぎ慈受院と改めるが、薄雲御所はそのまま。
京都市上京区京都市上京区堀川通寺ノ内上ル百々町

薄雲御所


●源氏物語ゆかりの寺院



慈受院前の案内板には「源氏物語ゆかりの寺院」と記されています。
これはどういうことなのでしょうか?

源氏物語の主人公・光源氏のモデルは、源徹・源高明・光孝天皇・藤原伊周・源光・嵯峨天皇・藤原実方など、諸説ありますが
藤原道長も光源氏のモデルではないかと言われています。

旧慈受院はその道長が創建した法成寺の旧地にありました。
そういうことで、源氏物語ゆかりの地だというのですね~。

ただ、現在の慈受院は、もともと総持院があった場所にあり
総持院は廃絶した慈受院の法灯を引き継いで慈受院と改称したのですから、少々、むりくり感が~。

けれど、総持院はもともと「薄雲御所」と呼ばれていました。
そして源氏物語の中で、光源氏は藤壺中宮が亡くなった際にこんな歌を詠んでいます。

入日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがへる

(夕日がさす峰にたなびく薄雲の色は、私の喪服の袖に色を似せているのだろうか。)

総持院が「薄雲御所」と呼ばれたのは、この光源氏の歌と関係があるのかもしれませんね。




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[2020/08/21 18:33] 京都府 | TB(0) | CM(0)

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