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長谷寺 紫陽花 立葵 『泊瀬は死の国?』  

奈良県桜井市  長谷寺
10年以上前の6月にフィルムで撮影
  
長谷寺 紫陽花2 

●衣通姫伝説の舞台


長谷寺があるあたりは地名を泊瀬(初瀬とも〉といいますが、泊瀬という地名は衣通姫伝説にもでてきます。

第19代允恭天皇(376?-453)の皇女の軽大娘皇女は肌の美しさが衣を通して現れ出るという意味で衣通姫と呼ばれていました。
軽大娘皇女は同母兄・木梨軽皇子と近親相姦に陥りました。
当時は異母兄妹間での結婚は許されていましたが、同母兄妹の結婚は禁忌とされていたのです。

木梨軽皇子と軽大娘皇女は同母兄・ふたりの近親相姦はばれ、そのため群臣は次期天皇として木梨軽皇子の弟の穴穂皇子(あなほのみこ、後の安康天皇)を支持するようになりました。
允恭天皇崩御後、木梨軽皇子は大前小前宿禰(おおまえこまえのすくね)と共謀して穴穂皇子を討とうとしました。
しかし大前小前宿禰が裏切ったため木梨軽皇子は捕えられ伊予へ流罪となってしまうのです。

軽大娘皇女は兄が帰ってくるのを待っていましたが、待ちきれなくなって兄に会いにいきました。
軽大娘皇女を迎えた木梨軽皇子は次のような歌を詠みました。


こもりくの 泊瀬の河の 上つ瀬に 斎杙(いぐい)を打ち 下つ瀬に 真杙(まぐい)を打ち
斎杙には 鏡をかけ 真杙には 真玉をかけ 真玉如(な)す 我が思う妹(いも)
鏡如す 我が思う妻 ありと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲ばめ

(泊瀬の河の上流に斎杙を打ち、下流には真杙を打ち、斎杙には鏡をかけ、真杙には真玉をかけ、その鏡のように我が思う妹、その真玉のように我が思う妻、おまえがいるからこそ家に帰りたいと思い、国を偲ぶのだよ。)

その後ふたりは自害して果てました。


允恭天皇が宮を構えていたのは飛鳥でした。
泊瀬の地は飛鳥に近く、ふたりにとってなじみのある土地だったのかもしれません。

長谷寺 たちあおい 

これは立葵かな?違っていたら教えてくださいね!

●長谷は葬送の地?

長谷という地名は葬送の地を表しているということを聞いたことがあります。
そういえば現在でも長谷寺の奥の院付近にはたくさんのお墓がありますね。

●舞台から死体を投げ捨てていた?


京都の清水寺と同様の舞台つくりの本堂があるのも気になります。
かつて清水寺の舞台から死体を投げ捨てていたといわれていますが、長谷寺の舞台からも死体を投げ捨てていたのかもしれません。

●『隠国の』は黄泉の国にかかる枕詞だった?

和歌に『隠国(こもりく)の』と出てきますが、『隠国の』は『泊瀬』の枕詞です。
また『隠国の』は『志多備』の枕詞でもあります。
『黄泉の国』のことを『志多備国』ともいいます。

『隠国』とは『志多備国』『黄泉の国』のことで、『泊瀬』または『初瀬』『長谷』は死の国という意味の地名なのではないでしょうか。

木梨軽皇子と軽大娘皇女の霊は長谷寺に眠っているのかもしれませんね。

智積院 紫陽花 『紫陽花は死をイメージさせる花だった?』 
↑ こちらの記事に、「かつて紫陽花は萼片が4枚であることから「死」をイメージさせる花だった」と書きましたが
そう考えると、隠国の泊瀬に紫陽花ほど似合う花はないかも。
 
長谷寺 紫陽花

 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/07/05 00:00] 奈良県 | トラックバック(-) | コメント(-)