fc2ブログ














四天王寺 勝鬘院(しょうまんいん) 夕景 口縄坂 夜景『多宝塔の形は何を表している?』 

大阪市天王寺区 四天王寺・勝鬘院(しょうまんいん)・口縄坂
 
 四天王寺 夕日

四天王寺 (合成)塔百景90


●勝鬘院の起源は四天王寺の施薬院だった。

四天王寺の北側、勝山通りの 坂道をとことことこと登っていきますと、多宝塔が見えてきます。
勝鬘院の多宝塔です。
手前に見えているお堂は四天王寺支院の真光院です。

愛染堂 夕景2 

勝鬘院多宝塔と真光院 塔百景91




593年、聖徳太子が四天王寺内に施薬院という福祉施設を開きました。
病人やけが人に薬を与えて治療する施設ですかね。
これが勝鬘院の起源であるとされています。

四天王寺の南には四天王寺病院がありますが、こちらもこの施薬院を継承するものだとされています。

四天王寺の西にある建設会社・金剛組は聖徳太子が創業者で、世界最古の企業とされていますし
1400年以上を経た今になっても聖徳太子に起源を持つ会社や病院が存在しているなんて、聖徳太子の影響力って本当に半端ないですね。

●勝鬘院の多宝塔は聖徳太子が創建したというけれど・・・

勝鬘院の多宝塔は593年に聖徳太子が創建し、1597年に豊臣秀吉によって再建されたとされています。
もしかしたら聖徳太子が多宝塔を建てたというのは事実かもしれませんが、そうだとしても、おそらくそれは現在のような形のものではなかったと思います。

というのは、ウィキペディアに次のように記されているからです。

「初重を平面方形、二重を平面円形とする二層塔は日本独自の形式であり、平安時代初期に空海が高野山に建立を計画していた毘盧遮那法界体性塔(びるしゃなほっかいたいしょうとう)にその原型が求められる。この塔は空海の没後に完成し、その後も何度か焼失と倒壊を繰り返して、現在高野山にある塔(大塔または根本大塔と呼ばれる)は昭和12年(1937年)に再建された鉄筋コンクリート造のものである。この塔の創建時の形態は、現在の多宝塔に近いものであったと考証されている。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%AE%9D%E5%A1%94#.E5.A4.9A.E5.AE.9D.E5.A1.94.E5.BD.A2.E5.BC.8F.E3.81.AE.E8.B5.B7.E6.BA.90より引用

初重を平面方形、二重を平面円形とする二層塔を初めて建てたのは空海だというんですね~。
聖徳太子は空海より前の飛鳥時代の人物です。

高野山 壇上伽藍 根本大塔  

高野山 根本大塔

多宝塔という言葉は法華経にでてくるそうです。
この法華経の成立時期については諸説あるようですが、紀元100年~150年といわれているようなので、聖徳太子の時代にはあったのでしょう。
もしも聖徳太子が多宝塔を建てたというのが事実なら、それはどんな形をしていたんでしょうか?

 ●多宝塔は天円地方を表している?

現在の日本で多宝塔と呼ばれているのは、初重平面が方形、上重平面が円形の二層塔です。
この形は何を意味しているのでしょうか。

愛染堂 夕景

勝鬘院 多宝塔  塔百景92

私はこの形から天円地方(てんえんちほう)を思い出してしまいます。
天円地方とは古代中国の宇宙観で、天を円、地を方とする考え方です。

●伏儀と女媧の持ち物が逆になっているのはなぜ?

中国に伏儀と女媧という兄妹または夫婦とされる神がいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E3%82%AB#/media/File:Anonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg
↑ こちらはウィキペディアに掲載されている伏儀と女媧の図です。
女媧は手にコンパスを、男神の伏義は手に直角定規をもっていますね。

女媧が手に持つコンパスは円なので天、伏儀が手に持つ直角定規は方なので地。
あれれ、でも陰陽道では天は陽、地は陰とされています。
そして男性が陽、女性が陰なので、持ち物が逆じゃないの?

陽・・・天/男性
陰・・・地/女性

なぜ持ち物が逆になっているのかについては諸説あるようですが、私は記紀神話にある次の物語がそれを説くヒントになるのではないかと思います。

高天原にやってきたスサノオを、天照大神は「高天原を奪いにきたのではないか」と疑いました。
そこでスサノオは疑いをはらすために『誓約(うけい)の子産み』をしようと言いました。
まず天照大神がスサノオの物実(ものざね)である十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から三柱の女神(宗像三女神)が生まれました。
次にスサノオが天照大神の物実である『八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠』を噛み砕き、ふっと吹き出した息の霧から 五柱の男神(正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)が生まれました。
スサノオの十拳剣からうまれた三柱の女神はスサノオの子、天照大神のみすまるの珠からうまれた五柱の男神は天照大神の子とされました。
スサノオは「私の心に邪心がないので、私の産んだ子は女神だったのです。」といいました。


ここに「物実(ものざね)」という言葉が出てきますが、物実とは「物事のもとになるもの」を意味します。

そして天照大神が産んだ子は、スサノオの十拳剣から生まれたので、スサノオの子、
スサノオが産んだ子は、天照大神のみすまるの珠から生まれたので、天照大神の子としたというのですね。

コンパスは伏儀の物実、直角定規は女媧の物実であり、伏儀と女媧は夫婦神なので、相手の物実を持っているのかもしれません。

●多宝塔は男女和合を表している?

方が女性、円が男性であれ、方が男性で円が女性であれ、多宝塔の形・・・方と円が重なっているのは、男女和合を示すものではないかと思ったりします。

このブログで何度も書いているんですが(しつこいとか言わないでね~)
神はその現れ方で御霊・和魂・荒魂に分けられるとされ、女神は和魂、男神は荒魂であるとする説があります。

御魂・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神


そして明治に神仏分離令が出されるまで、神仏は習合して信仰されていました。

多宝塔は男神と女神の和合をあらわす塔なのではないでしょうか?

またウィキペディアには次のように書いてあります。
「多宝塔は、「法華経」見宝塔品第十一に出てくるもので、釈迦が霊鷲山で法華経を説法していると多宝如来の塔が湧出し、中にいた多宝如来が釈迦を讃嘆し半座を空け、二如来が並座したとされることに由来する。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%AE%9D%E5%A1%94#.E5.A4.9A.E5.AE.9D.E5.A1.94.E3.81.AE.E5.87.BA.E5.85.B8 より引用

みほとけに性別はないといわれますが、釈迦は男性なので、多宝如来って女性なのでは?
そして釈迦と多宝如来が並座したとは、釈迦と多宝如来が和合したということを意味していたりして?


勝鬘院は愛染堂ともよばれ愛染明王をおまつりしていますが、愛染明王は男女和合・恋愛成就にご利益があるとされています。
そう考えると、勝鬘院と多宝塔の組み合わせはぴったりだと思えるんですが、とんでもですか?

口縄坂 夜景2 

愛染堂より徒歩10分ほどのところにある口縄坂

いつも応援ありがとうございます♪

にほんブログ村 写真ブログ 近畿風景写真へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村



関連記事

[2016/06/23 00:00] 大阪府 | トラックバック(-) | コメント(-)