大阪市天王寺区 四天王寺・一心寺
撮影 2016年6月19日 四天王寺の境内をぶらぶらお散歩。
●四天王寺は物部守屋の土地と奴婢をもちいて建立された。587年、廃仏派の物部守屋vs崇仏派の蘇我馬子の戦争がありました。
聖徳太子は蘇我馬子側に参戦していました。
戦争は蘇我馬子が勝利し、聖徳太子は物部守屋の土地と奴婢をもちいて四天王寺を建立したのです。
●四天王寺のミシャグジ神?おや?「咳の地蔵尊」と書いてありますね。
これはもしかして、ミシャグジ神では?
多賀大社 桜 『お多賀杓子とミシャグジ』 ↑ こちらの記事に書いたんですが
名古屋市南区の石神社ではミシャグジという神様に杓子を奉納する習慣があります。同様の信仰は各地にあるようです。
横浜市の社宮司社は「咳の神」「おしゃもじさま」と呼ばれ、この社に奉納されている杓子を持って帰り、のどを撫でると咳の病が治ると信仰されています。
そこで私はミシャグジ神とは石の神であり(石神社がミシャグジとして信仰されているところから)、石→セキ→咳と言う語呂合わせから咳の神に転じたのではないかと推理しました。
●石上神宮は石神(ミシャグジ)?先ほども述べたように、四天王寺は物部守屋の土地と奴婢を用いて建立した寺です。
この辺りはもともとは物部氏の土地であったのでしょう。
奈良県天理市にある石上神宮は物部氏が祭祀する神社でした。
あれっ? もしかして石上神宮の石上とは「石神」が転じたもので、ミシャグジとは物部氏の神様なんじゃないの?
●洩矢神=ミシャグジ=物部守屋?長野県諏訪地方では洩矢神(もりやしん、もれやしん)が厚く信仰され、ミシャグジ神と同一視されることもあるそうです。
洩矢と守屋って発音がいっしょやん?
で、この洩矢神
の後裔が守矢氏で、代々諏訪大社の神長官を務めてきたというんですね~。
そしてこの守矢氏が守ってきた「七本の峯のたたえ」はミシャグジ神が降りる木だと言われているそうです。
「七本の峯のたたえ」とは何のことなのか、よくわからないのですが(汗~)
http://www.toho-motoneta.net/index.php?%B1%CC%CC%F0%BF%DB%CB%AC%BB%D2%2F%C5%DA%C3%E5%BF%C0%A1%D6%BC%B7%A4%C4%A4%CE%C0%D0%A4%C8%BC%B7%A4%C4%A4%CE%CC%DA%A1%D7↑ こちらのサイトに次のような内容が記されたサイトがありました。
諏訪七木(すわしちぼく) ①桜湛(さくらたたえ)
②真弓湛(まゆみたたえ)・・・檀(まゆみ)。
③峯湛(みねのたたえ)・・・峰タタイノ木。樹齢200年程のイヌザクラが現在は峯湛の木とされている。現存している。
④檜湛(ひくさたたえ) ・・・干草タタイノ木。
⑤松木湛(まつのきたたえ)
⑥橡木湛(とちのきたたえ) ・・・栃の木。
⑦柳湛(やなぎたたえ)
諏訪大社上社の御神体は‘守屋’山とされているそうですが、守屋山って物部守屋と同じ名前ですよね。
さらに諏訪大社上社の南西6kmほどの場所には守屋神社があり、物部守屋を祀っています。
そして諏訪大社上社の御神体・守屋山に頂上にある磐座は守屋神社の奥宮ともされているのです。
守屋神社では諏訪大社との関係は否定されているそうですが、私には関係がありそうに思えるなあー。
つまり、次のように推測するわけです。
①守屋山の頂上にある磐座に降臨する神=洩矢神=ミシャグジ神=物部守屋の霊
②守屋山を御神体とする諏訪大社上社=物部守屋を祀る神社
③代々諏訪大社の神長官を務めた守矢氏=洩矢神の後裔=物部守屋の後裔
四天王寺の境内には守屋祠もあります。
そこで、さらに次のように推測します。
④四天王寺は守屋の霊を慰霊するための寺であり、守屋に対する信仰があった。
⑤①で説明したように、洩矢神=ミシャグジ神=物部守屋の霊だと考えられる。
⑥四天王寺にはかつてミシャグジ神に対する信仰があったが、なんらかの理由で咳の地蔵尊におきかえられた。
●一心寺にもミシャグジ神が鎮座していた?
四天王寺からとことこと歩いて数分、一心寺にやってきました。
一心寺は1185年に四天王寺の別当・慈円の要請を受けて法然が草庵を結んだのが始まりとされます。
一心寺は四天王寺と関係の深いお寺なんですね。
このあたりは大阪の陣の舞台となったところで、大阪夏の陣・天王寺・岡山の戦いで討ち死にした本多忠朝の墓があります。
本多忠朝の墓(上の写真の五輪塔)の周囲にはジャカランダの花が咲いていました。
きれいだと思ったけど、最盛期には紫色の桜のようにぎっしり花がつくみたいですね。
来年はジャカランダの最盛期に参拝したいです。
えーー、本多忠朝はお酒が大好きで、そのため冬の陣では負けてしまい、家康にこっぴどく叱られたそうです。
それで名誉挽回とばかりに夏の陣では頑張ったのですが、討ち死にし 死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれています。
史実ではなく、伝説じゃないかと思いますが。
そんなわけで本多忠朝の墓は「酒封じの神」として信仰され、禁酒祈願に訪れる人が大勢いるとのことです。
その本多忠朝の墓所に、たくさんのしゃもじが奉納されていました。
おお、これもまさしく「ミシャグジ神」に対する信仰です。
本多忠朝の墓は大きな石の五輪塔なので、石神として信仰され、そのためしゃもじを奉納する習慣が生じたのではないでしょうか?
また四天王寺にはミシャグジの信仰があったと推測されるので、四天王寺と関係の深い一心寺でもミシャグジが信仰されるよういなったのかもしれません。
いやまて、本多氏と本田氏はもともと同族であったともいうし、もしかしたら本田善光と関係があるのかも?
本田善光は物部守屋が難波の堀江に流した仏像を持ち帰り、善光寺に祀ったとされる人物です。
宮元 健次さんが、『善光寺の謎 (祥伝社黄金文庫)』という本の中で次のような意味のことを書いておられるそうです。
①善光寺内陣に守屋柱と呼ばれている柱がある。
②戒壇めぐりを行うことは、守屋柱を一周し、錠(独鈷)によって守屋柱に宿る守屋の霊を封じることである。
③善光寺は物部守屋を慰霊するための寺である。
(参照/善光寺 門前町 ライトアップ 『善光寺は物部守屋を慰霊する寺だった?』 )
もしかして本田善光とは物部氏であり、本多氏の祖も物部氏だったりして?
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[2016/06/21 00:08]
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