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智積院 紫陽花 『紫陽花は死をイメージさせる花だった?』 

京都市東山区 智積院
撮影 2016年6月13日


●古くから日本に自生していた紫陽花

智積院 金堂 紫陽花  

紫陽花の原種は日本のガクアジサイだといわれています。
智積院の紫陽花はホンアジサイでしょうか。
紫陽花ってたくさん種類があってよくわからないんですよね~。
またホンアジサイというのは通称であると説明しているサイトもありました。

ホンアジサイはガクアジサイの園芸品種だといわれていますが、自生しているともいわれ、よくわかっていないようです。

いずれにせよ紫陽花は古くから日本にあり、万葉集にも紫陽花を詠んだ歌が2首あります。

言問はぬ 木すら味狭藍(あじさい) 諸弟(もろと)らが 練の村戸(むらと)に あざむかえけり/大伴家持
(恋を語らない木ですら、紫陽花のように移ろいやすい。???らの巧みな言葉に私は騙されてしまいました。)


これは大伴家持が大伴坂上大嬢(おほとものさかのうへのおほをとめ)に贈った五首の相聞歌のうちの一首です。

「練りの村戸」は「老練な心」という意味だそうです。
三句目の「諸弟(もろと)」はどういう意味なのかよくわかっていません。
紫陽花の花の色が変わりやすいところから、このような歌が詠まれたのでしょう。

もう一首は次の歌です。

安治佐為の 八重咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつ思はむ/橘諸兄
(紫陽花が八重に咲くように、いつまでも健やかにいてください。この花を見るたび私はあなたを思い出します。)

智積院 金堂 紫陽花2  


●4枚の花弁をもつ紫陽花は「宵(よひ)」を導くための言葉だった。


万葉集に紫陽花を詠んだ歌がたった2首しかないというのはオドロキですが、平安時代の和歌にも紫陽花を詠んだ歌は僅かしかありません。

『古今和歌六帖』にるこの歌は、その僅かな紫陽花を詠んだ歌のひとつです。

あかねさす 昼はこちたし あぢさゐの 花のよひらに 蓬ひ見てしがな
(明るい日中は噂がうるさくてうっとおしい。紫陽花の花が四ひらのように、宵に会いたいわ。)

「こちたし」は「言痛し」で「噂がうるさくてうっとおしい」と言うような意味です。
「あぢさゐの花のよひら」は「(宵)よひ」を導くための言葉です。

●古の人々は紫陽花に4のイメージを持っていた?

うーん、この歌は面白いです!
単なる言葉遊びじゃないの、って?
確かに単なる言葉遊びです。
だけど、この歌は「古の人が紫陽花に、その花びら(厳密には装飾花というそうですが)の数=4のイメージを持っていた」ことを教えてくれているような気がします。

●「かわひらこ(蝶の古名)」という言葉が忘れられてしまった理由

 水尾の里 アサギマダラ

話は変わりますが、蝶々という言葉は漢語で、やまと言葉では「かわひらこ」というそうです。
ところが、古の人は死者の魂が蝶になると考えていたため「かわひらこ」という言葉を忌んで使わなくなり、ついには「かわひらこ」という言葉を忘れてしまったと聞いたことがあります。

これをヒントに考えてみたのですが
紫陽花は花びらが4枚なので、「四」の音が「死」に通じることを忌み、積極的に紫陽花の歌を詠もうとしなかったのではないでしょうか。
紫陽花を詠んだ歌が少ないのは、そのためだったりして?

紫陽花とバッタ

●紫陽花は死者にたむける花だった。

紫陽花が植えられたお寺がたくさんあるのは、紫陽花が死者にたむける花であったからだといいます。
そういえば智積院の紫陽花園のすぐ向う側は墓地になっています。

なぜ紫陽花が死者にたむける花であったのかは、花びらが4枚で、四が死に通じるからではないかと私は思います。

http://homepage2.nifty.com/nijime/htm/honajisai.htm
↑ こちらのサイトには「講談社 週刊花百科 第1巻 第15号」の次のような引用が記されています。

ガクアジサイは平安時代から庭木として植えられていたが、萼片が4枚で「死」に通じるので縁起が悪いと寺などでひっそりと咲くのみであった。

智積院 紫陽花 


毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/06/17 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)