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詩仙堂 さつき 『三十六柱の怨霊の肖像画を飾るお堂?』 

京都市左京区 詩仙堂
撮影 
 2012年6月10日
 

詩仙堂 皐月 

●石山丈山、武士をやめて文人になる。


石山丈山(1583年 - 1672)は徳川家の家臣で、1615年、33歳のとき大坂夏の陣に参加しました。
このとき丈山は「本陣をはなれてはいけない」という軍の指示を無視して大阪城へ向かい、城門から出てきた敵を倒しました。
この丈山の行為は軍の規則を破ったとして、軍功は認められませんでした。
それで嫌気がさしたのでしょうか、丈山は武士をやめて京都の妙心寺で禅の修行をするようになりました。
また儒学も熱心に学んだようです。
その後、武士として浅野家に仕えた時期もありましたが、54歳の時、相国寺畔の睡竹堂に住み、文人としての生活をスタートさせました。
「詩仙堂」に住むようになったのは、59歳のことで、90歳で亡くなるまで詩仙堂で生活しました。

●三十六歌仙

詩仙堂という名前は、中国の詩人三十六人の詩と像を描いたものを飾ったところからそう呼ばれるようになったとのことです。

日本の歌人で三十六歌仙というのがありますね。
藤原公任の『三十六人撰』に撰ばれた36人の歌人のことです。

36人の名前をあげておきますね。

柿本人麻呂・山部赤人 ・大伴家持 ・猿丸大夫・僧正遍昭 在原業平
大中臣頼基・坂上是則・源重之・藤原朝忠・藤原敦忠・藤原元真
小野小町 ・藤原兼輔・紀貫之・凡河内躬恒・紀友則 ・壬生忠岑
源信明・斎宮女御・藤原清正・藤原高光・小大君・中務
伊勢・藤原興風・藤原敏行・源公忠・源宗于・素性法師
藤原仲文・清原元輔・大中臣能宣・源順・壬生忠見・平兼盛

石山丈山は日本の歌人が歌仙であるのに対して、中国の詩人のことを詩仙とし、三十六歌仙になぞらえて三十六人の中国の詩人を選んだのでしょう。  

詩仙堂 皐月2 
 
●六歌仙

さて、三十六歌仙のほかに六歌仙と呼ばれている人物がいます。
僧正遍照・在原業平・小野小町・文屋康秀・喜撰法師・大友黒主の6人の歌人です。
このうち、僧正遍照・在原業平・小野小町の3人は三十六歌仙にも選ばれています。

●大友黒主と大伴家持は同一人物だった?

また、六歌仙の大友黒主とは大伴家持のことではないかと、私は考えています。
大友黒主は大伴黒主と記されることもあり、大友黒主と大伴家持はほとんど同じ歌を詠んでいるからです。
また「古今和歌集仮名序」に「大友黒主は古の猿丸太夫の次なり」とあります。よく意味がわかりませんね。

古今和歌集の奥義を口伝や切紙によって師から弟子に伝えたもののことを古今伝授といいますが
百人一首を選んだ藤原定家は古今伝授を受けています。
定家は「大友黒主は古の猿丸太夫の次なり」の意味を知っていたはずです。
そう思って百人一首を調べてみたところ、猿丸大夫は5番、その次の6番は大伴家持でした。

藤原定家は古今和歌集仮名序に「大友黒主は古の猿丸太夫の次なり」とあるのを受けて、猿丸大夫の次に大伴家持をもって来たのだと思います。

詳しくはこちらの記事をお読みください。→ 祇園祭 後祭 山鉾巡行 『大友黒主の正体は大伴家持だった?』 

●喜撰法師は紀氏一族をさす?

六歌仙の一、喜撰法師は紀名虎または紀有常のことではないかという説があります。
ですが、もっと広い意味で「紀氏一族」ととらえてもいいかもしれません。

●三十六歌仙は怨霊だった?

とすると、三十六歌仙に紀貫之・紀友則が選ばれていますから、三十六歌仙の中に六歌仙のうち五歌仙までが選ばれているということになります。

六歌仙や三十六歌仙は歌のうまい歌人のことだと一般には考えられています。
しかし小説家の高田祟史さんはそうではなく、「六歌仙とは怨霊である」と説いておられます。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人物のことで、天災は疫病は怨霊の祟りで引きおこされると考えられていました。

そして、六歌仙は全員藤原良房及び藤原氏の他氏排斥の犠牲者なのです。

詳しくはこちらの記事をお読みください。髄心院 八重桜 石楠花 『男神は井戸に姿を映して女神になった?」 

そして三十六歌仙の中には六歌仙のうち五歌仙までが選ばれていると考えらえます。
三十六歌仙もまた怨霊なのではないでしょうか。

とすれば、詩仙堂に飾られている中国の36人の詩人も怨霊であるかもしれませんね。

●和歌は呪術の道具だった?

高田祟史さんは、かつて和歌は文学ではなく、呪術の道具であったとおっしゃっています。

たとえば在原業平が藤原基経の40歳の祝いの席で、次のような歌を詠んでいます。

花 りかひくもれ いらくの むといふなる まがふがに
(桜の花よ、散ってあたりを曇らせておくれ。 老いが来るという道が見えなくなってしまうように。)


五七五七七の冒頭の漢字をつなぐと「桜散老来道(桜散り老い来る道)」となります。
業平と藤原基経は政治的に対立しており、業平は一見、基経の長寿を願うような歌を詠みながら、その裏に呪いをかけていたというのです。

丈山はたくさんの漢詩を読んでいますが、漢詩にも呪術的な側面があったのかもしれないですね。

六丈山は漢詩のほか、煎茶、作庭にも秀でた才能を持っていたようですが、煎茶や作庭に呪術的な意味を持つものであったのではないかと私は考えています。
それについてはまた改めて書きたいと思います。

 詩仙堂 皐月3  



毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/06/11 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)