栃木県日光市 日光東照宮
例大祭・・・5月17日・18日雨だけどせっかく日光まで来たので、東照宮の流鏑馬を見たい!
そう思って出かけたんですが、どしゃぶりの雨でリュックの中までびしょ濡れに~。
それでも雨天決行だというので、ずぶぬれになりながら待っていました。
あまりにひどい雨なので、流鏑馬の開始時刻が1時間遅れ、結局4時間も待ちました。はあ~。
流鏑馬が始まると、ぴたりと雨がやんだ~!
4時間も待ったのに、場所取りをしくじって、いい写真は撮れませんでした~。
でも、かっこよさに感動したのでよしとしよう。(汗)
東照宮の建物の絢爛豪華さに度肝を抜かれました~。
塔百景86こんなデコラティブな寺社建築は見たことがないです。
徳川家康は1616年に死亡しました。
家康は次のような遺言を残していました。
「久能山に葬ること。一周忌が過ぎたら日光山に神として祀ること。私は江戸の神になるのだっ!」
その遺言に従って家康の遺体は久能山に葬られ、その後日光に改葬されました。
東照宮は家康を祀る神社なのです。
日光東照宮はその絢爛豪華さだけでなく、陰陽道に基づいた設計になっていることで知られています。
江戸の北に位置し、陽明門の真上に北極星がくるようになっているのだとか。
そして東照宮の主要な建物をつなぐと北斗七星の形になるというんですが、主要な建物ってどの建物のことなんでしょうか?
http://www.toshogu.jp/keidai/index.html (境内図)
ご存知の方、教えてください!

日本では古くから北辰信仰が盛んでした。
平安時代に坂上田村麻呂が創建した東北の7つの神社(大星神社・浪岡八幡宮・猿賀神社・熊野奥照社・岩木山神社・鹿島神社・乳井神社)の配置は北斗七星になっていますし
加門七海さんが、平将門に関係する7つの神社(鳥越神社・築土神社・水稲荷神社・鎧神社・兜神社・首塚・神田神社)も北斗七星の配置になっていると指摘されています。
なので、東照宮の建物の配置が北斗七星の形になっているというのはさほど驚くべきことではないと思います。
それより不思議なのは、東照宮は家康を北極星の神として祀る神社だと思われるのに、なぜその土地が日光と呼ばれ、神社名も東照宮というのかということです。
もともとこの地は二荒(フタラ)と呼ばれており、これを「ニコウ」と音読して日光になったと言われています。
江戸の北にあって北極星の神を祀るのにふさわしい土地なので、日光という地名なのは我慢して東照宮を建てたのでしょうか?
もしそうだとしても、神社の名前を「東照宮」としているのはなぜなんでしょうか?
陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置・西を月の定位置・中央を星とするそうです。
「東照宮」という名前は太陽を思わせます。
だいたい、天皇家からして疑問なんですよ。
天皇家は太陽神・天照大神の子孫なのに、なぜ「天皇」なの?
天皇とは道教で北極星をつかさどる最高神のことですが?
以前の記事、
薬師寺 朝日 法起寺 月 『太陽と月が結婚すると星が生まれる?』 追記あり に次のようなことを書きました。
①伏義と女媧には次のような伝説がある。
女媧は伏羲に「私を捕まえることができたら結婚しましょう」といいました。
女媧は木の周囲を回って逃げ、伏羲はあとをおいましたが、なかなか女媧を捕まえることができません。
そこで伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえ、二人は結婚しました。
女媧は出産しましたが、それは肉塊でした。
その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散り、人間となりました。
②伏義は太陽神、女媧は月神。太陽が月を捕まえるとは、日食である。
③皆既日食のとき、空には星が観測される。
④お盆の習慣が生じたのは、ベルセウス座流星群が流れる様子を見て、先祖の霊が帰ってくると、古の人々が考えたためではないか。
死んだ人の霊は星になると考えられていたのではないか。
⑤「肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となりました。」というのは、人間は人間でも死んだ人間の霊=星のことを言っているのではないか。
太陽と月が重なると(結婚すると)太陽が砕かれて星になると考えられたのではないでしょうか?
太陽が砕かれるということは、太陽の死を意味します。
太陽は月と結婚すると死んでしまうんですね。
そして太陽が死ぬと輝きが砕かれて無数の星になるというわけです。
月神と結婚した太陽神=死んだ太陽神=星の神つまり、家康は生きているときは太陽神であったのが
死んでしまったので、星の神になったということではないでしょうか。
こう考えれば、日光東照宮という神社名でありながら、北極星を祀っていることの理由
また天照大神の子孫なのに天皇という称号を用いていることの理由が説明できると思います。
さきほどお話しした、陰陽道の宇宙観を思い出してください。
東が太陽の定位置、西が月の定位置、中央が星でしたね。
太陽は宇宙の中心ではないのです。
宇宙の中心は星であり、星の中でも中央にあって動かない北極星こそが最高神といえるでしょう。
家康は死んで最高神になったということだと思います。
東照宮を建てたことを、天皇家はどう思っていたでしょうか?
「太陽神は天照大神の子孫の天皇家である!天皇が崩御すると北極星の神になるから、天皇というのである! 家康め、けしからん!」
なーんて感じで怒ったりしなかったでしょうか?
夕刻、東照宮の隣にある二荒山神社に行列がやってきました。
御神輿もやってきました。
可愛らしい八乙女さんたち。
明日(5月18日)は百物揃千人武者行列です!
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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