奈良市佐紀町 磐之媛命陵(ヒシャゲ古墳)
撮影 2008年5月6日
●嫉妬深い皇后ヒシャゲ古墳は磐之媛命陵に治定されています。
磐之媛命は孝元天皇の6代目の孫にあたり、仁徳天皇の皇后で、履中天皇・反正天皇・允恭天皇らの母親です。
この方は大変嫉妬深いことで有名な方です。
といっても、現代人の感覚ではいたって普通なんです。
磐之媛命が熊野に出かけている隙に、仁徳天皇が宮中に別の女(八田皇女)をいれて浮気しまくっていたことに激怒して、宮中から出て行ってしまったのです。
まー、昔は一夫多妻制で今とは違っていたとはいえ、ダンナや彼氏が他の女といちゃついていることを好ましく思う女性はあんまりいないと思います。
しかし、昔は女は夫が他の女と浮気しても嫉妬するのはみっともない、みたいな価値観があったんでしょうね。
そういう価値観は3世紀末にはすでにあったようで、魏志倭人伝にも「邪馬台国の女性は慎み深く嫉妬しない」と記されています。
でも本当に当時の邪馬台国の女性が嫉妬しなかったかというとそんなことはないと思うんですよね。
「嫉妬はみっともない」という価値観があったので、嫉妬していないフリをしていたんじゃないでしょうか。
私は、自分の感情に素直な磐之媛さんみたいな人は好きですけどねえ~。
●嫉妬深いユメノの鹿日本書紀の仁徳天皇紀に「トガノの鹿」の物語があります。
雄鹿が雌鹿に「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は偽った夢占いをして「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて死体に塩が振られているのです」と言いました。
翌朝、雄鹿は夢占いのとおりに漁師に射られて死にました。同様の話が摂津の国の風土記にもあります。
トガノに雄鹿が、ユメノに雄鹿の正妻の雌鹿が住んでいました。
雄鹿はしばしば海を渡って淡路島のノジマに住む妾のものに通っていました。
あるとき雄鹿は正妻の雌鹿にこう言いました。
「背の上に雪が降り、ススキが茂る夢を見た。」と。
雌鹿は偽った夢占いをして「雪だと思ったのは塩、ススキだと思ったのは背中に刺さった矢です。あなたが淡路島に行くと矢を射られて死んでしまいます。だから行かないで」と言いました。
それでも雄鹿は淡路島の雌鹿が恋しくて海を渡りました。
その途中、船から矢で射られてなくなりました。動画お借りしました。動画主さんありがとうございます。
鹿が泳いで海を渡っている動画です。
鹿って泳ぐのうまいんですね。
おそらく古の人も鹿が海を泳ぐのを見て、風土記に記された物語を創作したんでしょうね。
●雄鹿=仁徳天皇 雌鹿=磐之媛命?摂津の国の風土記の、嫉妬する雌鹿は磐之媛命のイメージと重なります。
日本書紀では、『トガノの鹿』の話の直前に仁徳天皇と皇后が涼をとりつつ、鹿の鳴き声を聞くという話が記されていますし
話のあとには殺された鹿が佐伯部によって仁徳天皇に献上され、仁徳天皇はそれが鳴き声を愛していた鹿だと知って怒り佐伯部を左遷するという話が記されています。
雄鹿は仁徳天皇、雌鹿は磐之媛命の比喩なのではないでしょうか。
仁徳天皇が献上された鹿を見て怒ったのは、それが自らの死を意味していたためだと思います。
●諡号に徳のある天皇は、不幸な死を迎えた天皇?諡号に徳のある天皇は、不幸な死を迎えた天皇であると言われています。
36代孝徳天皇は難波宮を都としていましたが、中大兄皇子は群臣をひきつれて飛鳥に戻ってしまい、孝徳天皇は難波宮に取り残され、翌年に病を患って崩御されています。
難波宮跡の近くにある大阪歴史博物館にて。飛鳥時代の女官たち。48代称徳天皇は急病を患って数日後に死亡していますが、当時行われていた病回復の祈祷が行われたという記録がなく、暗殺されたのではないかという説があります。
75代崇徳天皇は保元の乱をおこしましたが敗れて讃岐に流罪となり、その地で崩御されました。
81代安徳天皇は祖母の平時子に抱かれて壇ノ浦に入水しました。
仁徳天皇の死因はわかりませんが、雄鹿のように殺されたのかも?
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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