栃木県日光市 二荒山神社
弥生祭 4月13日~17日日光では屋台のことを家体と呼ぶのだそうです。
弥生祭では11台の家体が町を練り歩き宮入りします。
あいにくの雨でしたが、傘をさす可愛らしい少女たちに胸キュン~♡二荒山神社の御祭神・二荒山大神とは大巳貴命(オオナムヂ)・田心姫命(タギリヒメ)・味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)の総称です。
オオナムヂが父、タギリヒメが母、アヂスキタカヒコネが子です。
今日はこの三神のうち、アヂスキタカヒコネについてお話ししたいと思います。
観光客も家体をひきます。外国からこられた方も大勢家体をひいておられました。
家体をひくと缶ビールをくださいました。(ありがとうございます!)
天照大神は葦原中国は自分の子孫が治めるべきだとし、葦原中国平定のためにアメノホヒを派遣しましたが3年たっても戻ってきませんでした。
そこでアメノワカヒコを葦原中国に派遣しました。
アメノワカヒコは葦原中国を治めていた大国主の娘シタテルヒメと結婚し、葦原中国を自分のものにしようと考えて8年たっても戻りませんでした。
タカミムスビは、「アメノワカヒコに邪心があるならば、矢よ、アメノワカヒコに当たれ」と言って矢を下界に投げたところ、矢はアメノワカヒコに刺さり、アメノワカヒコは死んでしまいました。
アヂスキタカヒコネがアメノワカヒコの葬儀に訪れると、アメノワカヒコの父・アマツクニタマが「アメノワカヒコは生きていた」と言って抱きつきました。
アヂスキタカヒコネの容姿があまりにもアメノワカヒコにそっくりだったので、アヂスキタカヒコネをアメノワカヒコだと勘違いしたのです。
アヂスキタカヒコネは「穢らわしい死人と間違えるな」と言い、喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしました。
喪屋は美濃(岐阜県南部)の藍見の喪山に飛ばされました。アメノワカヒコの妻・シタテルヒメはアヂスキタカヒコネの同母妹です。
アヂスキタカヒコネは別名を 迦毛大御神(かものおおみかみ)といい、奈良県御所市の高鴨神社などでも祀られています。
高鴨神社は鴨社の総本社なので、アヂスキタカヒコネは鴨氏の神ということになりますね。

797年に記された「続日本記」では、「高鴨神は天皇と獲物を争い、土佐国に流された」と記されています。
この高鴨神はヒトコトヌシのことであるとか、アヂスキタカヒコネのことであるとか言われています。
ヒトコトヌシとは一言主神社の御祭神です。
過去の記事、
一言主神社 一陽来復祭 『一言主大神は木霊(山彦)だった?』 の中でヒトコトヌシの伝説をご紹介しました。
雄略天皇が葛城山に登る時、向かいの山の尾根伝いに山に登る人たちがありました。
その一行は天皇の一行とまったく同じいでたちをしていました。
雄略が『この大和の国に私をおいてほかに大君はないのに、今誰が私と同じ様子で行くのか』と問うと、向かいの山の方から、全く同じ返答が返ってきました。
雄略やお供の者が怒って矢を弓につがえると、向こうの人たちも矢をつがえました。
雄略が『そちらの名を名乗れ。そしてそれぞれが自分の名を名乗って矢を放とう。』と言うと、『私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。私は悪いことも一言、良いことも一言、言い放つ神。葛城の一言主の大神である。』と返事が返ってきました。
これを聞いた雄略は畏まり、『おそれおおいことです。わが大神よ。現実の方であろうとはわかりませんでした。』
と言い、自分の刀や弓矢、お供の着ている衣服も脱がせて拝んで献上しました。
一言主大神は、手を打ってそれを受け取り、雄略が帰る時、一言主大神一行が雄略を長谷の入口まで送りました。
ヒトコトヌシは雄略と全く同じいでたちをし、同じ言葉を返しています。
ここから私はヒトコトヌシとは木霊(山彦)であると考えました。
葛城山の南に金剛山がありますが、かつて葛城山と金剛山はどちらも葛城山と呼ばれていたそうです。
そして葛城山の山麓近くには一言主神社が、金剛山の山頂近くには葛木神社があってどちらも一言主大神を祀っています。
高校のときにワンダーフォーゲル部に所属していた友人に聞いたのですが、葛城山から金剛山へ至るダイヤモンドトレールと呼ばれる道では、よく山彦が聴こえるそうです。

昔の人は木霊を、声を発する人と同じ姿形をした神だと考えたのではないでしょうか。
とすれば、ヒトコトヌシと雄略は双子のようにそっくりだったということになります。
まるでアメノワカヒコとアヂスキタカヒコネのようですね。
ヒトコトヌシは雄略を長谷まで送っていったとありますが、長谷は泊瀬ともいい、『隠国(こもりく)の』は泊瀬の枕詞でした。
『隠国の』は『志多備』の枕詞でもあります。
『黄泉の国』のことを『志多備国』ともいいます。
『隠国』とは『志多備国』『黄泉の国』のことで、『泊瀬』または『初瀬』『長谷』は死の国という意味の地名なのではないかと私は考えました。
(参照/
長谷寺 紫陽花 『泊瀬は死の国?』 )
ヒトコトヌシは雄略を死の国へ送っていったのではないでしょうか。
ヒトコトヌシは「私が先に問われた。だから私が先に名乗ろう。」と言っています。
昔は先に問われた人が名乗るというしきたりがあったんでしょうか。
その結果、木霊であったはずのヒトコトヌシが現実の人となって先に名乗ったのだと思います。
そして雄略が「それぞれが自分の名を名乗って矢を放とう」と言ったとおり、名を名乗ったヒトコトヌシは矢を放ち
その矢は雄略にささって死に、雄略が木霊になってしまったということだと思います。
雄略はうっかり木霊に「名を名乗れ」と言ってしまったため、ヒトコトヌシと立場が入れ替わってしまい
ヒトコトヌシが人間に、雄略が木霊になってしまったのではないでしょうか。
こうして見てみると、ふたつの神話は似ていますね。
双子のように瓜二つの神がいて、一方は死に、一方は元気に生きています。
もしかして、アヂスキタカヒコネとヒトコトヌシ、アメノワカヒコと雄略天皇は同一神なのではないでしょうか?
↑ 家体に乗って笛を吹いていたお嬢さん。
関西では屋台に女性が乗っているのは見たことがないです。追記/亀岡祭では女性が山鉾に乗って笛を吹いていましたね。忘れてました。すいません! 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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