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東寺 桜 『空海がBLのイメージを変えた?』 

 京都市南区 東寺
撮影 2014年4月8日 2015年4月2日


桜の花が咲き乱れる「お大師さま(空海)の寺」東寺。

東寺 桜

塔百景3

●日本にBLを持ち込んだ空海
 
かつての日本は世界に類を見ないBL(男色)大国でした。
BLは衆道と言われ、ほとんどの戦国武将はBLをたしなんでいたのです。

http://ddnavi.com/news/240699/a/
↑ こちらのサイトには次のように記されています。

江戸時代の儒者・貝原好古の『大和事古』には次のように記述される。
「我朝にて男色を愛する事、空海法師渡唐以来のもの也と云伝ふ」
つまり、男色の起源は、密教を日本に伝え真言宗を始めた空海にあるという。
805年に唐から帰国したときに、男色文化を日本に持ち込んだとか。
http://ddnavi.com/news/240699/a/より引用)

●大切なことは文献に残さない

うーん、だけど空海が日本にBLを持ちこんだことを示す文献などはないようですね?

ただ文献がないので、空海は日本にBLを持ち込んでいない、とも言えません。
本当に大切なことは、書き記したりせず、口伝するといったこともありました。
古今伝授などもそうですね。
古今伝授とは古今和歌集の解釈の奥義を伝えるもので、特定の人物に対し、口伝や切紙によって伝えられました。

またあまりに常識的なことはあえて文章に残さないものです。
空海がBLの元祖であるということは常識中の常識!ということで文献に残っていないのかもしれません。

東寺 亀 

●戦国時代のBLブームは自然に発生したものではないと思う。

  
http://ddnavi.com/news/240699/a/
↑ こちらのサイトには次のようにも記されています。

だが著者(※1)は、これに異を唱える。
男同士が愛し合うという感情は自然発生的に起こるものであって、誰かがどこかから持ち込んで成立するという類のものではないと主張する。
http://ddnavi.com/news/240699/a/より引用)
※1 著者とは。『日本男色物語 奈良時代の貴族から明治の文豪まで』(武光誠/カンゼン)の著者のことです。

たしかにBLは自然発生的に起こるケースもあります。
男性の中で、自然発生的にBLに走る人の割合はどれくらいなのかわかりませんが
ほとんどの戦国武将がBLをたしなんでいた、ということは言い換えれば、戦国武将の100パーセントに近い人がBLに走ったということです。
これが自然発生的に起こったことだとは私にはとても思えないです。
何らかの理由から戦国武将にBLが大流行したと考えられるのではないでしょうか。

●奈良時代以前、BLは禁忌だった。

http://ddnavi.com/news/240699/a/
↑ ↑こちらのサイトでは奈良時代の僧侶のBLを禁じる「淫戒」や、720年に成立した日本書紀に記された「阿豆那比(あずない)の罪」についても触れています。

「阿豆那比の罪」とは次のような物語です。

仲のいい二人の神主のうち、一人が亡くなりました。
残された神主は嘆き悲しんで後を追うように死んでしまいました。
二人を合葬したところ、昼なのに夜のように暗くなってしまいました。
別々に葬ったところ、昼の明るさが戻りました。


この「阿豆那比の罪」の物語は日本最古のBLの記事だとされています。

日本男色物語 奈良時代の貴族から明治の文豪まで』の著者は、「阿豆那比の罪」は「合葬」に問題があるのであって、BLそのものを非難したものではないと述べておられると、http://ddnavi.com/news/240699/a/では説明されています。

でも私には「淫戒」や「阿豆那比(あずない)の罪」は、奈良時代以前にBLを禁忌とする考え方があったことを示しているように思われます。

東寺 桜 ライトアップ

塔百景4


●空海がBLをプラスのイメージに変えた?


戦国時代には100パーセントに近い戦国大名が憚ることなくBLをたしなんでいます。
これは、奈良時代以前には禁忌とされていたBLが、奈良時代以降、よいものであるとする意識改革があったためではないでしょうか。
そしてその意識改革をもたらしたのが空海であり、
貝原好古が「我朝にて男色を愛する事、空海法師渡唐以来のもの也と云伝ふ」
と述べたのは、「空海が日本にBLを伝えた」という意味ではなく、「それまでBLは禁忌とされていたが、空海によってBLはよきものであると意識改革が行われた」という意味ではないかと思います。

●重陽の節句はBLの節句?

日本では重陽の節句(9月9日)は菊の節句ともいわれ、菊の花に真綿をかぶせ、この綿についた露を顔にあてると不老長寿になる
と言われていました。

菊はBLのシンボルとされています。
そして陰陽道では男は陽、女は陰なので、男と男が重なるBLはまさしく重陽ではありませんか。
つまりBLをたしなむことは不老長寿の呪術だったのではないかと思うのです。


こちらの記事もお読みいただけると嬉しいです。↓
OSAKA光のルネサンス 2015 『日本でBLがたしなみとされたのはなぜ?』 

東寺 五重塔 ライトアップ  

塔百景5


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[2016/04/19 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)