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十輪寺 なりひら桜 渚の院 淡墨桜 『世の中に たえて桜の なかりせば』 

京都市西京区 十輪寺
大阪府枚方市 渚の院
撮影日 2016年4月1日

十輪寺 しだれ桜

●文徳天皇が藤原明子の世継ぎ誕生を祈願するはずがない。

十輪寺は文徳天皇が藤原明子の世継ぎ誕生を祈願した場所と伝わります。
ですが、これは事実とは思われないです。

文徳天皇には紀静子との間に長子の惟喬親王(これたかしんのう)、藤原良房の娘・藤原明子との間に惟仁親王(これひとしんのう/のちの清和天皇)がありました。
そして文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと源信に相談しています。
文徳天皇が世継ぎにしたいと考えていたのは藤原明子所生の惟仁親王ではなく、紀静子所生の惟喬親王だったのです。
源信は当時の権力者・藤原良房を憚って文徳天皇を諌め、惟仁親王が皇太子になったのですが。

十輪寺は文徳天皇の勅願所から藤原北家の菩提寺になったということなので
「文徳天皇が藤原明子の世継ぎ誕生を祈願した」というのは藤原氏がでっちあげた嘘だと思います。

●在原業平と紀氏、藤原氏の関係

十輪寺が別名を「なりひら寺」というのは、晩年の在原業平がここに隠棲していたためであるとの伝説も伝わっています。

業平は惟喬親王の寵臣で、また紀静子の兄・紀有常の娘を妻としていて完全に紀氏側の人間でした。
また世継ぎ争いに敗れた惟喬親王は頻繁に歌会を開いていますが、歌会と称してクーデターを計画していたのではないかとも言われています。
在原業平は惟喬親王の歌会のメンバーであり、クーデターの首謀者だったのではないかとする説もあります。
在原業平はなぜか「色好み」ばかりがクローズアップされていますが、政治的に不遇で、反骨精神にあふれた人物であったのです。

十輪寺は藤原北家の菩提寺だったということを思い出してください。
藤原氏と仲の悪い在原業平が藤原北家の菩提寺に隠棲したりするでしょうか。
もしかすると、十輪寺はもともとは紀氏の寺であったのが、のちに藤原氏に奪われたのかもしれません。

藤原氏が紀氏の土地を奪ったと思われる例として、山背国紀郡深草里(京都市伏見区)があります。
紀郡とは紀氏の本拠地であったところからつけられた地名とされますが、のちに勢力を増した秦氏や藤原氏の土地になったと考えられています。

花に喩えられた藤原明子

十輪寺の回廊で囲まれた中庭には美しいしだれ桜があり、なりひら桜と呼ばれています。

十輪寺 しだれ桜2 
しかし江戸時代後期に描かれた都名所図会 旧十輪寺風景には桜は描かれていません。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7t/km_01_332.html
この桜は推定樹齢200年ということですが、それ以前には桜はなかったのでしょう。
この桜がなりひら桜と呼ばれているのは十輪寺が別名をなりひら寺というところからくるものだと思います。

でも、私にはこの桜はなりひらのイメージというよりは、藤原良房の娘・藤原明子のイメージが感じられます。

というのは藤原良房がこんな歌を詠んでいるからです。

染殿の后のおまへに花瓶(に桜の花をささせたまへるを見てよめる
年ふれば 
()は老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし/藤原良房

染殿の后とは藤原良房の娘、明子のことです。
その明子の前にいけた桜の花を見て、「自分は年をとったが、美しい花を見れば悩みなどない」と良房は歌を詠んだのです。
桜は娘・明子の喩えでしょう。
美しい明子が文徳天皇に入内して清和天皇を産んだので、自分は天皇の外祖父となって政治の実権を握ることができた、というわけです。

そして在原業平は惟喬親王のお伴をして大阪の渚の院で花見をした際、次のような歌を詠んでいます。

渚の院 淡墨桜 
渚の院 淡墨桜

世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし/在原業平

世の中に桜というものがなかったならば、もっとのどかな気持ちで春を迎えられるのに、というのですね。
一般には、桜が美しすぎるため、見る人の心をそわそわさせるという意味だとされていますが
業平は良房の歌をうけてこの歌を詠んだのではないかと私は考えています。
つまり、桜とは藤原明子のことで、「明子がいなかったなら、清和天皇が生まれることはなく、私がお仕えする惟喬親王が天皇になっていたのに。明子など消えてしまえ。」という意味ではないかと思うのです。

また鐘楼から少し離れたところに業平紅葉と呼ばれる楓の木があります。
都名所図会(http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7t/km_01_332.html)を見ると鐘楼から少し離れた向かって右あたりに楓のような木があります。
都名所図会が描かれた江戸末期、十輪寺になりひら桜はなかったようですが、業平紅葉はあったのかもしれません。

十輪寺 業平紅葉 

業平紅葉はなりひら桜(私は藤原明子桜だと思っていますが)が植えられている中庭の外にあります。
桜=藤原明子は、周囲の回廊によって業平紅葉から守られているように見えました。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

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[2016/04/02 16:33] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)