大阪市西淀川区 野里住吉神社
一夜官女祭・・・2月20日 ●岩見重太郎の狒々(ヒヒ)退治伝説
ピンクの着物に冠をかぶったかわいいお稚児さん.たち。
でもこのこのお稚児さんたち、人身御供なんです。
こんな伝説があります。
かつて野里村は風水害と疫病の流行が相次ぎ、『泣き村』と呼ばれていました。
こういったことがおこるのは神様が怒っているからに違いない。
村人たちはそう考え、毎年一人の女性を生贄として神にささげていました。
ある時、この町に岩見重太郎という武士がやってきてこういいました。
「神は人を救うもので人間を犠牲にしたりしない。」
そして乙女の代わりに自分が唐櫃に入りました。
翌朝、村人たちが神社に行くと、武士の姿はなく、境内は血まみれになっていました。
血痕は隣の申村まで続いており、大きな狒々狒々(ひひ)が死んでいました。
●薄田隼人正兼相が犬に喩えられた理由この話に出てくる岩見重太郎とは桃山時代の武将で、薄田隼人正兼相(すすきだはやとのしょうかねすけ)と同一人物とされています。
薄田(すすきだ)は姓で、隼人正(はやとのしょう)はよくわからないんですが、ググってみると官位だとか、通称だと出てきます。(御存じの方、教えてください)
そして名前が兼相(かねすけ)です。
岩見重太郎は小早川隆景の剣術指南役・岩見重左衛門の二男ですが、叔父の薄田七左衛門の養子となって全国へ武者修行に出ました。
武者修行を終えたのち、薄田隼人と名乗るようになりました。
小早川隆景の死後浪人となり、のちに豊臣氏に仕官しました。
大坂夏の陣の道明寺の戦いにおいて陣頭指揮を取りましたが戦死しました。
岩見重太郎が狒々退治をしたという話は野里住吉神社だけでなく、各地に伝わっています。
狒々とは大きな猿のような姿をした妖怪で、人間の女性を襲うとされています。
また、早太郎(はやたろう)とか疾風太郎とかいう名前の犬が狒々退治をしたという伝説もあります。
犬の早太郎とは薄田隼人正兼相(岩見重太郎)のことではないか、という説があります。
薄田隼人正兼相(岩見重太郎) の隼人正を語呂合わせで『早』として、『太郎』をつけたのではないかというのですね。
薄田隼人正兼相(岩見重太郎) =早太郎、というのはなるほど、と思いますが、なぜ早太郎は犬にされているのでしょうか?
隼人とは南九州の民のことです。
奈良時代、隼人は強制的に都につれてこられて宮門の警備をさせられていましたが、
警備をするにあたり、犬の鳴き声をまねていたそうです。
そのため薄田隼人正兼相は犬の早太郎にされたのではないでしょうか。
謎々だったんですね。
●犬猿の仲?秀吉はその容貌から「猿」と呼ばれていましたし、たいへん女好きでした。
狒々とは大きな猿の姿をした妖怪で、人間の女性を襲うのでしたね。
狒々とは秀吉のことなのかも?
狒々が秀吉のことだとすると薄田隼人正兼相が秀吉を退治したということになるけど
薄田隼人正兼相は秀吉の臣下で、薄田隼人正兼相が秀吉に逆らったなんて話もない。
おかしいじゃん、とか言われそうですね。
たしかに、薄田隼人正兼相が秀吉に逆らったという話はありません。
犬の早太郎とは薄田隼人正兼相のことだという説があるのでしたね。
犬猿の仲、というように、犬と猿は仲が悪いとされます。
薄田隼人正兼相=犬 豊臣秀吉=猿
それで田隼人正兼相(犬)が狒々(豊臣秀吉)を退治したなどという話ができたのかなあ?などと思ったりします。
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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