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龍雲寺 水仙 『北条氏朝はなぜ龍雲寺を黄檗宗に改宗させたのか』 

大阪府富田林市 龍雲寺
2016年1月中旬 撮影


龍雲寺 水仙と民家

①龍雲寺は狭山藩士らの菩提寺?

龍雲寺は元は河内長野市石見川にあったそうですが、1724年(享保9年)に狭山藩主北条氏の援助を受けて現在地に移転し、黄檗宗に改宗したそうです。

富田林市の西は大阪狭山市ですし、龍雲寺があるあたりはかつて狭山藩があったということだと思いますが
かつての狭山藩が現在のどのあたりにあったのか、調べてみたのですがわかりませんでした。

北条家と狭山藩士らの菩提寺とする目的から移転したのではないかと思います。

龍雲寺 水仙2

②北条氏

北条氏の祖は戦国時代初期の武将・北条早雲です。
北条家は関東地方を本拠地としていましたが、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐により滅亡してしまいました。
しかし、徳川家康の娘婿であった第5代当主・北条氏直と和平に努めた北条氏規は許されて、高野山での蟄居を命じられました。

蟄居(ちっきょ)とは、武士や公家を部屋にとじこめ謹慎させる刑罰のことをいいます。

1591年、氏直は子をもうけないまま死亡し、北条氏の嫡流は断絶しました。
そこで氏規が氏直の跡を継いで後北条氏の当主となりました。
その後、罪を許されて氏規の子・北条氏盛は下野国内で4,000石、氏規も河内狭山で7,000石を領地として与えられました。
1600年、氏規が没し、氏盛はその家督をつぎ1万1,000石の大名となりました。
こうして狭山藩が形成され、明治維新まで狭山藩は存在していました。

第3代藩主・氏宗は飲酒のしすぎで病を患い、江戸城登城ができない状態が続きました。
そのため氏宗は藩主の座を退きましたが、跡を継いだ氏治は老中・稲葉正則に反対されて家督相続が認められませんでした。
前老中・酒井忠清の取り成しで、氏治は第4代狭山藩主になったものの、狭山藩は1万石に減封されてしまいました。

龍雲寺が移転された1724年、狭山藩主であったのは第5代の北条氏朝です。

龍雲寺 水仙

③布袋は弥勒菩薩の化身

黄檗宗の本山である萬福寺 には本堂の前に天王殿があり、布袋像が安置されています。

萬福寺 布袋 

萬福寺 布袋像

布袋は弥勒菩薩の化身であるといわれますが、萬福寺では布袋は弥勒菩薩そのものであるとしています。
萬福寺の御本尊は釈迦如来ですが、布袋は萬福寺や黄檗宗のシンボル的存在だといえるでしょう。

龍雲寺にも布袋像が置かれていました。

龍雲寺 布袋像

④弥勒菩薩は復活した釈迦?

弥勒菩薩は釈迦の次にブッダになるとされ、56億7000万年後にこの世にあらわれるとされています。
この弥勒菩薩とは釈迦が生き返った(復活した)仏なのではないでしょうか。

そして布袋とは中国に実在した禅僧なのですが、彼には死後に姿を見かけられたなどという話が伝えられています。
死後に姿を見かけられたというのは、布袋はいったん死んだのちに生き返ったということでしょう。
一般には布袋が死の間際に「弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり」という文を残していたため、弥勒の化身だと言われるようになったと考えられていますが、
私はそうではなく、布袋が弥勒菩薩のように生き返ったため、弥勒菩薩の化身であるといわれるようになったのではないかと考えています。

龍雲寺 布袋石像

⑤北条氏朝は佐山藩復活を布袋に祈願した?

北条氏朝は1万石に減封された狭山藩の復活を志し、そのため龍雲寺を布袋信仰の厚い黄檗宗に改宗させたのではないかと思ったりします。

龍雲寺 魚梆(ぎょほう)

魚梆(ぎょほう)黄檗宗の寺にはたいていありますね。




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[2019/01/20 18:00] 大阪府 | TB(0) | CM(0)

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