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鞍馬寺 竹伐会式 『神として祀られた蛇』 

 
京都市左京区  鞍馬寺
竹伐会式・・・6月20日午後2時より

竹伐会式

①大蛇を伐る。


平安時代初期の僧である峯延(ぶえん)上人が寛平年間(889~897年)、鞍馬寺で護摩の行をしていると北の峰から大蛇が現れて上人に襲いかかりました。
上人が真言を唱えて調伏すると、別の大蛇が現れ、蛇は鞍馬の御香水を守護すると誓いました。
蛇は里人に神として祀られました。


『竹伐会式』は、この伝説にちなむものだとされます。

丹波座、近江座より2組づつ、合計4組8人の鞍馬法師が登場します。
鞍馬法師は弁慶のようないでたちをしていました。
弁慶は延暦寺の僧兵でした。
ということは、鞍馬法師も僧兵なんでしょうか。

そういえば、ここ鞍馬寺は源義経が幼いころ住んでいたところでしたね。
弁慶は京の五条の橋の上で義経に出会い、生涯義経に仕えました。

鞍馬法師は大蛇になぞらえた長さ4m、太さ10cmの青竹を節ごとに5段に伐る速さを競い合います
早く伐り終えたほうが、豊作になると言い伝えられています。

つまり竹は峯延上人に襲いかかった大蛇をイメージしたもので、これを伐ることで悪霊を退散させようというのがこの会式の主旨なのでしょう。
くらまてら たけきりえしき

②由岐神社

鞍馬寺境内に由岐神社があります。
拝殿は桃山時代のもので、真ん中が割れた珍しいデザインは割り拝殿と呼ばれています。 

由岐神社はもともとは京都御所にありましたが、地震や平将門の乱などが相次いだために朱雀天皇が詔を出し、940年9月9日に鞍馬に遷宮しました。
遷宮にあたって矢を入れる靱(ゆき)を奉納したところから靱(ゆき)神社と命名され、由岐神社になったとも伝わります。
靱とは矢を入れる道具のことで、細長い袋状の形をしています。

由岐神社の御祭神は大己貴命と少彦名命で、八所大明神が相殿されています。

由岐神社 割拝殿

③蛇蛇は由岐明神(大己貴命と少彦名命)?

大己貴命は大国主命の別名です。
大国主命は葦原中国をおさめていましたが、天照大神は 葦原中国は自分の子孫が収めるべきだとしてタケミカヅチとフツヌシを大国主命のもとに派遣しました。
タケミカヅチとフツヌシは大国主命に「天孫(天照大神の子孫)に国を譲るように」とせまり、大国主命は立派な宮殿を建てることとひきかえに国を譲りました。
この物語は「出雲の国譲り」と言われています。

ですが、「国を譲れ」といわれて「はい、どうぞ」と差し出す王などいるんでしょううか。
実際には、激しい戦いがあったのではないでしょうか。

 少彦名命は蛾の皮を着た小さな神様で、大己貴命と少彦名命は兄弟の契りをかわし、共に国作りをしたことが記紀に記されています。

江戸時代までの日本では、神仏は習合して信仰されていました。
ということは、鞍馬寺の伝説に登場する蛇神とは由岐神社の神のことであるとも考えられます。

くらまでら たけきりえしき2

④由岐神社の三本杉と大神神社

また由岐神社の拝殿の傍には3本の大杉があって、しめ縄がかけられていました。
三本杉といえば大神神社の御神紋です。
http://oomiwa.or.jp/ (サイト上部に三本杉の御神紋があります。)

大神神社の御祭神の大物主神は蛇神とされていて、境内にはいつも蛇の好物である玉子がお供えされています。

さらに、記紀には大物主命と大国主命が同一神であることを示す記述があります。

大国主の前に海の向こうから光り輝く神があらわれて『私を祀るように』と言いました。
大国主が神に名前を問うと『私はあなたの幸霊・奇霊』と答えました。
こうして祀られたのが大神神社です。 (古事記・日本書紀)


従って、大己貴命(=大国主神・・・由岐神社の神)=大物主神(・・・大神神社の神)=蛇神 となるのではないでしょうか?

大神神社 茅の輪 
大神神社 拝殿

⑤上人に襲いかかった蛇=荒魂、御香水守護を誓った蛇=和魂

鞍馬寺の伝説では最初に上人に襲い掛かる蛇が登場し、その蛇が上人に調服されたのち、御香水守護を誓って神として祀られた別の蛇が登場しますね。

別の蛇、という書き方をしていますが、実はこの二匹の蛇は同体で、上人に襲い掛かった蛇は荒魂、御香水守護を誓った蛇は和魂なのだと思います。

神はその表れ方で、御霊・和霊・荒霊のみっつに分けられるという。
御霊は神の本質、和霊は神の和やかな側面、荒霊は神の荒々しい側面のことをいいます。

御霊・和霊・荒霊という観念は、陰陽道に基づくものだと思います。
陰陽道では荒ぶる怨霊(陰)は十分に祀れば人々にご利益を与えてくださる神(陽)に転じると考えるのだと聞いたことがあります。
神と怨霊は同義語であるともいわれますが、それはそのためでしょう。

鞍馬寺 竹伐会式

⑥靭が奉納されたのは、その中に蛇をいれておくため?

靱がは矢を入れるための細長い入れ物であることはすでにお話ししましたが、靱は蛇を入れておくのにも具合がよさそうです。
蛇神様に靱の中に入っていただき、大人しくしてもらう。
そういった理由で、靱が奉納されたんだったりして?

また大物主は矢の神でもあります。というのは、次のような伝説があるのです。

セヤダタタラヒメに一目ぼれした大物主は矢に姿を変えて流れていき、セヤダタタラヒメが用を足すために川へやってきたところを下から陰処をついた。(古事記)


靱は矢の神である大物主を封じ込めておく道具としてもふさわしいものだといえますね。


くらまてら ぶがく 

舞楽の奉納もありました。


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[2018/06/14 16:08] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)