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OSAKA光のルネサンス 2015 『日本でBLがたしなみとされたのはなぜ?』 

OSAKA光のルネサンス2015
 
中の島図書館 ウォールタペストリー3

↑ 中の島図書館で行われるウォールタペストリーを見るために45分も行列に並びました~。
でもそのかいあって、素晴らしい映像を見ることができましたよ。
三脚は禁止の上、動きが早いのでISO12800で~。 ↓

中の島図書館 ウォールタペストリー2 

中の島図書館 ウォールタペストリー 

↓ 中央公会堂ではプロジェクションマッピングが行われていました。

中央公会堂 光のルネサンス 
歌舞伎の見得(みえ)ですね。オモシロイ♪

中央公会堂 光のルネサンス 歌舞伎 

歌舞伎のルーツは出雲阿国(1572年~?)が行った「かぶき踊り」だとされます。
その後、遊女歌舞伎が全国で行われるようになったそうです。
現在では歌舞伎役者さんは男性ばかりですが、もともとは女性が演じるものだったのですね~。
また、若衆が演じる若衆歌舞伎なども行われていたそうです。
若衆とは衆道(男色のこと)で受け手の側の少年のことです。

これらの歌舞伎はエロチックな内容のものであったそうで、遊女や若衆をめぐる喧嘩や刃傷沙汰が絶えず、遊女歌舞伎や若衆歌舞伎は江戸幕府によって禁止とされてしまいました。
そして野郎頭の青年男子を役者とする野郎歌舞伎が行われるようになったそうです。
野郎頭とは前髪を落として月代(さやかき・・・頭頂部の髪を剃ったもの)を剃った髪型のことで、江戸時代には元服のときにさやかきを剃る習慣がありました。

それにしても、遊女をめぐる喧嘩というのはわかりますが、若衆をめぐる喧嘩が絶えないとは・・・
戦国武将にとって衆道はたしなみであったなどともいいますし、古の日本の殿方たちはなぜこんなにもBLに走ってしまったのでしょうか?

日本のBLは僧が稚児を寵愛する習慣があったことから広まったと考えられています。

でも、私はそれだけではなく、重陽の節句が関係しているのではないか、と思ったりするのです。

古には奇数は陽の数字、偶数は陰の数字だと考えられていました。
そして月と日が同じ一けたの陽の数字になる日(1月7日/1月1日は元旦なので7日とされたのかも?・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日)は節句としてお祝いする習慣がありました。
中でも9月9日は、一けたの陽の数字としては最大の数字となるため、重陽の節句として盛大に祝われたそうです。

京都の法輪寺では重陽の節句に菊のしずくを飲んで700歳の長寿を得た菊滋童の舞が行われます。
また菊の花に真綿をかぶせ、この綿についた露を顔にあてると不老長寿になるなどとも信仰されていました。
重陽の節句は不老長寿を願う日であったようです。

どうもこの菊滋童ってBLの匂いがするんですよね~。
菊自体がBLのシンボルですし、菊滋童は帝より法華経の句を書いた枕を賜っているんですね。
帝から枕をもらうというのは、帝の菊滋童がBLの関係であったということなのではないでしょうか?

さきほど奇数は陽の数字、偶数は陰の数字だといいましたが
陰陽道では男は陽、女は陰です。
男と男が重なるBLはまさしく重陽ではありませんか。
つまりBLをたしなむことは不老長寿の呪術だったのではないかと思うのです。


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[2015/12/29 00:38] 大阪の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)