9月末にも円成寺を参拝したのですが(その時の記事はこちら→
円成寺 紅葉 『後白河天皇はなぜ寝殿造の寺を建てたのか』※追記あり )
さらに紅葉がすすんだかなと気になって、10月末に再度行ってきました。
塔百景61円成寺は山号を忍辱(にんにく)山といいます。
忍辱というと香辛料のニンニクを思い出します。
ニンニクの語源は仏教用語の忍辱からくると言われます。
忍辱とは侮辱や苦しみに耐え忍ぶことを言うそうです。
僧侶はニンニクのように匂いの強いものは食べるものを禁じられていたのですが、精力がつくとこっそり食べる僧侶がおり、隠語として忍辱という言葉が用いられたのだといわれます。
うーん? なぜ匂いの強い香辛料を食べることが仏教用語の忍辱と結びついたのか、この説明ではいまいち理解できませんね~?
これについてはいったん置いておくことにして、今回は西洋の吸血鬼がなぜニンニクが苦手とされたのかについて考えてみたいと思います。
吸血鬼とは死後に蘇り、年をとらず、人の血を吸う妖怪のことです。
吸血鬼は十字架・太陽・ニンニクが苦手とされます。
七福神の一、布袋は亡くなったあと、姿を見かけられています。
これは布袋が死後に生き返ったということでしょう。
布袋は東洋版吸血鬼?
もっとも布袋は仏教で禁じられていた肉食はしていましたが、人の血を吸っていたという話は聞きませんが。
布袋は大きな袋を持っていますが、西洋にも大きな袋を持った神様がいます。
サンタクロースです。
サンタクロースのモデルは聖ニコラオという人物ですが、この聖ニコラオは肉屋が殺して樽につけこんだ子供を生き返らせたという伝説があります。
布袋は自らが生き返り、サンタクロースは死んだ子供を生き返らせた・・・。
ということは布袋やサンタクロースの袋の中には不老不死の薬が入っているのではないでしょうか。
関連する記事を過去にも書いていますので、よかったらお読みいただけると嬉しいです。
伏見桃山城 夕景と月 『不老不死の城』 清凉寺 お松明式 『摩耶夫人が投じた薬袋には何が入っている?』 ニンニクの実は薄皮の中に複数の実が入っていて、薄皮は袋のようにも見えます。
上の写真は大阪の交野天神社境内に置かれていた国栄石です。
国栄石がどのようなものなのかわかりませんが、似たような袋が聖天さんを祀る寺の幕などに描かれていたりしますね。
それはともかく、この国栄石、なんとなくニンニクに似ていませんか?
ニンニクは不老不死の薬?
そういえばタジマモリが常世の国から持ち帰った不老不死の薬・非時香木実(時じくの香の木の実)は橘とされていますね。
タチバナの実をむいてみたことはないんですが、ミカン科なので、ミカンのように果皮の中に複数個の実が入っているのでしょう。
薄い皮の中に複数個の球根が入っているという点で、ニンニクは不老不死の薬・橘と似ています。(橘は球根ではなく実ですが)
だったら死んで蘇ったドラキュラがニンニクが苦手なはずがありません。
「おっ、不老不死の薬見っけ~」ところがドラキュラが不老不死の薬だと思ってニンニクを手にとると、強烈な臭いが!
「うへっ、腐ってるじゃん~!」きっとドラキュラはそう思ったに違いありません。
橘のほかにも不老不死の薬と信じられていたものがあります。水銀です。
水銀は水俣病の原因になるなど不老不死どころか健康に悪いのですが、なぜ水銀が不老不死の薬であるなどと考えられたのでしょうか。
それは水銀の防腐作用によるものだと私は思います。
かつて即身仏になろうとした人が大勢いましたが、彼らの目的は56億7000万年後に弥勒菩薩があらわれたとき、生き返ってその聖業に参加するためだったといわれます。
生き返るためには魂の容れ物である肉体が必要だと考えられていたのでしょう。
即身仏となるためには木食といって五穀を絶ち、木の実や草、木の皮のみを食べる木食という修行を行いました。
脂肪を落とし、死後腐りにくい体にするために木食を行ったのですが
水銀土壌の湯殿山に多くの即身仏が残されています。
これは水銀土壌で育った木の実や草や木の皮を食べることで体内に水銀が蓄積し、水銀の防腐作用で死後腐りにくい体になったためだといわれています。
昔の人は、死後腐らない肉体を持つことが不老不死であると考えていたのだと思います。
ニンニクは一見すると不老不死の薬のように見えますが、腐ったような臭いがします。
「腐った薬なんか飲むと、体が腐っちゃうよ!」そういうわけでドラキュラはニンニクが苦手なのではないかと思うのですが、どうでしょう?
同じように袋の中に複数個の実が入っている橘(ニンニクは球根ですが)が不老不死の薬とされたのは、橘のほうはいい香りがするためではないでしょうか。
毎度、私のとんでも説にお付き合い下さり、ありがとうございました!
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