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伏見桃山城 夕景と月 『不老不死の城』 

伏見桃山城の夕暮れ

伏見桃山城 
昭和39年に伏見桃山城キャッスルランドという遊園地に造られた鉄筋コンクリート造の模擬天守です。
キャッスルランドは2001年に閉園しましたが、模擬天守は伏見のシンボルとしてここに残されています。

伏見桃山城 月 
なんと二基の天守閣があります!
こんな天守閣は見たことがありません。

模擬天守を作る際、洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にしたとのことです。
ウィキペディアの洛中洛外図に描かれた伏見城を見てみました。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Fushimi_momoyaja_jyou_40.jpg

あれれーーー?天守閣は一基しかありませんね?

http://fushimimonogatari.web.fc2.com/momoyama/momoyamajyo.htm
こちらのサイトの中ほどには指月城と木幡城のイラストが掲載されています。

指月(しげつ)城、木幡城とはどちらも伏見城の別名です。

1594年2月、指月山(京都市伏見区 桃山町泰長老付近)で築城工事が始まり、8月には豊臣秀吉がここに移り住んでいます。
この城のことを指月城といいます。
ところが1596年の慶長伏見地震で倒壊してしまったのです。
その後すぐに場所を木幡山に変えて城は再度作り直されました。この城が木幡城です。

キャッスルランドはこの指月城と木幡城のふたつの模擬天守を作ったんじゃないかと思いますがどうでしょうか。

しかし伏見城の模擬天守が建っている場所は木幡城天守があった場所ではないんですね~。
木幡城天守はここから南東500mほどのところにあったとされますが、現在は明治天皇陵となっており立ち入り禁止です。



さて最初に建てられた指月城についてですが、指月といえば、指月布袋画賛とい禅画を思い出します。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/sengai01.html
布袋さんが空指さしています。絵には記されていませんが、指のずっと先には月があるのでしょう。

解説には次のように記されています。

子供達と戯れる布袋さんのほのぼのとした情景のようだが、「月」を暗示する賛文「を月様幾ツ、十三七ツ」の存在から、禅の根本を説いた教訓「指月布袋」の図であることがわかる。月は円満な悟りの境地を、指し示す指は経典を象徴しているが、月が指の遙か彼方、天空にあるように、「不立文字」を説く禅の悟りは経典学習などでは容易に到達できず、厳しい修行を通して獲得するものであることを説いている。http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/sengai01.html より引用

でも私は指月布袋にはこれとは異なる意味があるのではないかと考えています。

月は欠けてもまた満ちていきます。
古の人々はそんな月に不老不死のイメージを抱いたのではないかと思います。

中国では月にはヒキガエルまたは兎が住んでいると考えられていました。
ゲイという若者が西王母から不老不死の薬をもらいますが、ゲイの妻コウがその薬を盗んで月に逃げ、コウはヒキガエルに変身したという伝説があります。
また中国では兎は杵臼で不老不死の薬をつくと考えられていたそうです。

布袋は弥勒菩薩の化身とされますが、弥勒菩薩は56億7000万年後に復活するとされます。
そして布袋は死後に姿を見かけられていますが、これは死んだ布袋が生き返った(復活した)ということでしょう。

指月布袋とは不老不死を意味するものではないでしょうか。

西福寺 お精霊迎え
↑ 西福寺の布袋像

指月城の名前どおり、地震で倒壊した指月城は木幡城として蘇りました。
その後1600年の伏見城の戦いで落城しましたが、その後徳川家康によって再建されました。
伏見城は2度蘇ったものの1623年に廃城となりました。

御香宮 神幸祭 花笠 

御香宮の表門は伏見城大手門を移築したものと伝わっています。


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[2015/10/26 00:00] 京都府 | トラックバック(-) | コメント(-)