10月第3日曜日 午後1時より 則成院 二十五菩薩練供養

来迎橋の上を二十五菩薩がゆっくりと渡ってこられます。
かなり以前にネガで撮影したものをスキャナーで読み取ったんですが、きれいな色がでません~。
ネガって古くなると退色してしまうんですね~
仕方ないからモノクロにしてみました。(モリタさん、ありがとう~
http://eos60bass.blog.fc2.com/blog-entry-2565.html)だけど、モノクロも難しいですね~。
この日は練供養の行事があるため、午後2時より4時まで本堂の参拝はできないようです。
http://www.negaigamatoe.com/tokubetsuhaikan.html#suspension別の日に参拝したことがありますが、本堂には御本尊の阿弥陀如来を取り囲むように二十五菩薩が安置されていて
息をのむような美しさでした。
http://www.negaigamatoe.com/amidanyorai.html練供養は、この本堂の二十五菩薩たちが死者を迎えにあの世からこの世へとやってくる様を表現したものなのでしょう。
平安時代の僧、恵心僧都源信が比叡山で行ったのが練供養会式の始まりとされます。
1005年、源信は自分の生まれ故郷でもある、奈良の當麻寺で練供養会式を行いました。
當麻寺の練供養はそれ以降、現在にいたるまで毎年行われています。
當麻寺 當麻のお練り 『中将姫は藤原豊成の和魂だった?』 
↑ 當麻寺 練り供養
即成院の本堂の裏側には茄子与一の墓と伝えられる石造宝塔があります。
那須須与一といえば平家物語で、船首の竿につけられた日輪の扇を射貫いた話が有名ですね。
即成院の寺伝によればその後、与一は出陣する途中で病を患い、出家してこの寺に庵をむすび没したとのことです。
那須与一の墓は『ぽっくりさん』と呼ばれていますが、各地に『ぽっくり寺』と呼ばれる寺がああります。
調べてみると、『ぽっくり寺』と呼ばれる寺のいくつかは奈良県香芝市にある阿日寺(あにちじ)など、源信を開基とする寺だったのでびっくり!
そして『ぽっくり寺』は下の世話にならずに往生できるご利益があると信仰されています。
源信が練り供養を始めた當麻寺には中将姫伝説が伝わっており、中将姫の名前からとった中将湯は婦人病に効用があるとして大和国宇陀郡の雲雀山青蓮寺の檀家・藤村家に代々伝えられています。
言い伝えによれば、藤村家の者が中将姫をかくまい、そのお礼にと中将姫が中将湯の製法を教えたとのことです。
那須与一は中将姫の男版なので、「下の世話にならずに往生できる」という信仰が生じたのかも?
中将姫・・・女神・・・婦人病の神
茄子与一・・男神・・・下の世話にならず往生させてくれる神
ぽっくりは『円満』という意味の万葉言葉『ほくり』からくというという説もありますが、私は『ふぐり』から来る言葉なのではないかと考えています。
松ぼっくりというのは『松陰嚢(まつふぐり)』が転訛した言葉なのだそうです。
那須与一は男版中将姫ということで、このような名前がつけられたのだったりして?
いつも応援ありがとうございます♪
にほんブログ村
にほんブログ村