夜明け前の白鬚神社の鳥居。
勅使が白鬚神社を訪れ、白鬚明神に「仏法流布のため、土地をお譲り下さい」と祈ると釣り糸を垂れた老翁が現れました。
老翁は「釣りの場がなくなるから土地は譲らないよん」と勅使に言いました。
そこへ薬師如来が現れて翁を説得します。
翁は比叡山を仏法結界の地として釈尊に譲ったという伝説を語って社殿に入ります。
その後翁は白髭明神となり、天女・竜神とともに勅使の前に現れて舞いました。
(謡曲 白鬚)
朝日に輝く琵琶湖の湖面を釣り舟が渡っていきます。
それはまるで謡曲「白鬚」のワンシーンのようでした。
白鬚神社の白は新羅(しらぎ)を表すとする説があります。
また韓国語で白髭のことをぺクチャと言いますが、百済は韓国語でペクチェと言いよく似ているため、百済の神ではないかとする説もあります。
古代朝鮮語の文献はわずかしか存在せず、そのため古代朝鮮語がどのような言語であったのかについてはよくわかっていません。
しかし言葉は時代を経てもそんなに変わらないのではないか、と私は思います。
例えば、平安時代の歌人・喜撰法師が次のような歌を詠んでいます。
わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり
(私の庵は都の辰巳(東南)にあって鹿が住むような山奥だがしっかりと住んでいる。それなのに、「あいつは世を憂いてあんなところに住んでいるのだ。宇治山ならぬ憂し山だ』と世の人は言っている。)
庵は現在では「いほ」ではなく「いおり」、と言うことが多いですが、その他の言葉はほとんど現代の言葉と同じです。
わが→我が
都→都
たつみ→辰巳(ここでは方角の辰巳。東南)
しか→しっかりと。今でも「しかと承りました」などと言う。※鹿の掛詞
住む→住む
世→世
うぢ山→宇治山 ※「うぢ」は「憂し」の掛詞)
人→人
言ふ→言う
なり→也(コロ助の口癖だったよね。)
なので、白鬚を意味する現代韓国語のぺクチャ、百済を意味する現代韓国語のペクチェは古代においてもそんなに違う言葉ではなかったのではないかと思います。
中国や半島からやってきた渡来人は、日本海流にのって日本海側に到着したといわれ、古代、この辺りには大勢の渡来人が住んでいたとされます。
それにしても白髭神社とは新羅の神社なのか、はたまた百済の神社なのか、どちらなんでしょうね?
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[2015/10/19 00:00]
滋賀県 |
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